■本章「女子高生プログラマー事件」 ◆六「信用経済」

 エスポワールの二階、二〇一号室で、九地とあかり先生は対面した。いいと言ったくせに九地は石像のように固まり、ぎくしゃくとした動きをした。

「久し振りです、早瀬さん」

「来栖くん、最近連絡をくれないから心配していたのよ。今度、お酒を持って遊びに来てあげるね」

「いや、それは、いろいろと自重した方が――」

 お酒の席で、何かあったのだろうか。光は想像を巡らせながら、九地とあかり先生のやり取りを、しばらく観察する。

「それで、九地さん。今日はどういった用件なんですか?」

 だいぶ時間を過ごしたあと声をかけた。放っておくと延々と二人だけだ話し続けそうだったからだ。

「そうでした。今日は、平原くんにお詫びをしようと思い、お呼びしたのでした。実は平原くんが帰ったあと調査を継続していたんです。そしてこの週末に、複数の不可解な動きをネットで観測しました」

 板を載せて机にしたビリヤード台。その上に九地はノートパソコンを置く。光たちは画面を覗き込む。表示されているのは桜小路先輩についてのニュースだ。

「これを見て、どう思いますか平原くん」

 教師が生徒に尋ねるように九地は言う。光はじっと見つめる。女子高生、美人、天才、そういった言葉が並ぶ。あおり気味で過激な記事だ。週刊誌の電車のつり広告を思い出す。PVは稼げるかもしれないが桜小路先輩とトランクの魅力を正しく伝えているとは言いがたい。

「バズりそうですが、どぎついですね」

「では、こちらはどうですか」

 次はツイッターのタイムラインを見せられる。桜小路先輩の写真を載せて、女子高生プログラマーとしてアイドル化している。よく似た投稿がいくつもあり、いずれも多くリツイートされていた。中には、カメラアプリで加工したようなキラキラした写真もある。

 九地は光に視線を注いでいる。光は考える。何も問題のないニュースやツイートなら、九地は試験問題のように尋ねたりはしない。これらの記事やツイートには、おかしな点があるのだ。問題となる部分。信用してはいけないというサイン。手掛かりが、どこかにあるはずだ。

 ノートパソコンに手を伸ばして、最初のニュースに戻る。URLを確かめる。見たことがないものだ。ネットジャンキーの光には分かる。このニュースサイトは、おそらく架空のメディアのものだろう。こうした記事は、偽物のニュースという意味からフェイクニュースと呼ばれる。

 次にツイートのページを開く。発言内容が画一的だ。発言は全て、プログラムで機械的におこなっているのではないか、これはボットではないかと光は疑う。ボットは、ロボットを略したものだ。光は、発信者のフォロワーを確認する。ダミーアカウントばかりだ。発言が一桁台のユーザーが並んでいる。やはりボットだと確信する。

「フェイクニュースとボットですね。ネットを賑わせるために、流行を意図的に仕掛けている者がいます」

 九地はうなずく。

「ニュースの方は、フェイスブックで無数にシェアされています。ツイートは、大量にリツイートされています。これは人間社会に対する認知攻撃とでも言うべきものです。

 多くの人に周知する手法には広告もあります。ではなぜ広告ではなく、フェイクニュースやボットを使ったのでしょうか。それは世論をコントロールするためです。人から与えられたのではなく、自分で見つけた情報だと誤認させるためです。こうした攻撃は、選挙の票操作などにも使われており問題になっています。ある国が、敵対国の有力な政治家を追い落とそうとする。逆に、特定の政治家を躍進させようとする。そうした攻撃と同じです。

 見てください。SNSでの言及数が異常な数になっています。正規のニュースと同じタイミングなために、多くの人が偽の情報だと気づいていません。誰かが広報をブーストしています。それも裏社会の方法で。そうした業者にコネクションを持つ人間がやったのでしょう。

 今回の仕掛けで、多くの人が桜小路恵海という女子高生と、彼女が開発したトランクを認知したはずです。人はある対象を見た回数が多いほどその相手を信用します。また、読んだニュースや他人の意見を自分の考えだと信じ込みます。そして世論は形成されていく。今おこなわれていることは株価を不正につり上げる行為と同じです。誰かが桜小路恵海とトランクの信用をつり上げています」

 あかり先生は、ぽかんとしている。ネットに疎い先生には九地の言葉の一割も理解できていないはずだ。光は頭を素早く回転させる。誰かが桜小路先輩とトランクを話題にしようとしている。仕掛けているのはプラチナバリューの地井という人物だろう。

 ビジネスとして考えればサービスの価値を高めるのは当たり前のことだ。商売上それが望ましいのは分かる。しかしフェイクニュースやボットなど黒い手法を使って高めようとしているのはなぜか。価値を長く維持するのではなく短期的に上げて現金化する。あとはサービスが滅びようが桜小路先輩が困ろうが構わない。その前提で評価をつり上げているのではないか。

「神輿にされた先輩は、はしごを外されて金だけを持っていかれる。そうした状態になるということですか?」

「そうかもしれません。そうでないかもしれません。当たり外れのあるギャンブルとしてブーストを狙っているのかもしれません。あるいはつり上げた信用を空売りする。そうした商売を考えているのかもしれません。どちらにしろ闇の世界と繋がった黒幕は、桜小路さんを大切に扱う気はないようです。商材の一つとしてしか見ていないのでしょう。不要になった時点で捨てるつもりだと思います。穴の空いたコンビニのレジ袋のように」

「今すぐにプラチナバリューと関わるのをやめさせないと」

 光は扉に向かおうとする。その光の手を、九天が握って引っ張った。

「待ちなさい。おにいちゃんが言っているのは、全てを悪い方に解釈した場合よ。並んでいる事実だけ見れば、黒とは言い切れないわ」

「確かにそうだけど」

「それに仮に黒だとしても、どうやってやめさせるつもりなの?」

「説得して」

「ぴかりんの、先輩に対する信用度は?」

 全身の力が急激に抜けた。まだ会って数ヶ月しか経っていない。特別親しいというわけでもない。ホテルの前で、地井に見せたような笑顔を向けられたこともない。

「じゃあ、九天が」

「私は赤の他人よ。いきなり説得して、信じてくれると思う?」

「九地さんは?」

「おにいちゃんも部外者。桜小路先輩にとって信用度ゼロの人間よ」

「あかり先生は? 電脳部の顧問なんだし」

「先生、桜小路先輩を説得できる専門分野の知識を持っていますか?」

「ごめんなさい。コンピュータのこと、よく分からないの」

 あかり先生は申し訳なさそうに言う。

「ぴかりん、分かった? 人を説得するには信用がいるの。桜小路先輩の説得は難しいわよ。彼女は自分のスキルに自信がある。そして、自分が選んだパートナーの能力にも信頼を置いている。相対的に周囲の人に対する信用は低い。彼女は周りの人の意見を、取るに足らないものだと見なすはずよ」

 ホテルの前で見せた桜小路先輩の笑顔を思い出す。完全に信頼した人間に向ける目だ。頼れる大人として、無邪気に喜びを見せていた。あの目や表情は、見ていない人間には分からない。

「そうだね、僕の信用度は低い。そして電脳部の人間も同じだ。たぶん彼女の両親も似たようなものだと思う。先輩は周囲の誰よりも情報技術に詳しい。その先輩にプラチナバリューの地井は信用されたんだよね」

 戦う前から敗北を覚悟した。僕は桜小路先輩を説得することはできないだろう。しかし、と光は思う。諦めることはできない。黒かもしれないと分かっていながら、放っておくことはできない。傷つく可能性があるのならば、手を差し伸べなければならない。僕は桜小路先輩を助けたい。光は目に力を込める。

「九地さん。改めて残りの仕事を依頼します」

 九地はうなずき、財布から五千円札を出して光に握らせた。

「平原くん。後払いの分をいったんお返しします。この事件には、おそらく悪人が潜んでいます。まだ完全に尻尾を出していません。あるいは白かもしれないその人物を、あなたはどうしたいですか?」

 細い目がわずかに開き、邪悪な光が漏れてくる。九地の口元は期待に歪んでいる。依頼者の命令で敵に破滅の一撃を与えることを望んでいる。敵の正体はまだ分かっていない。それに正義か悪かも判然としない。限りなく黒に近い灰色。しかし直感が告げている。桜小路先輩は騙されている。

 冤罪を覚悟して裁きの剣を振るおう。被害が出てからでは遅い。現実の社会では、全ての答えが出てから動くと手遅れになることがある。自分には無理なことでも九地にならできる。桜小路先輩が地井を信用しているように、光は九地の力を信じている。彼なら必要な情報を集めて、敵に一撃を与えてくれるだろう。

 光は手にした五千円札を九地に差し出す。言うべき言葉は分かっている。何度も目にした光景。ナイン電脳探偵事務所に響く断罪の言葉。裁きの剣である九地を起動させるキーワード。

「地獄へ落ちろ」

 光は声を絞り出す。桜小路先輩を救うために、まだ見ぬプラチナバリューの地井を、地獄に叩き落とそうとする。

「九天、いいですか?」

 九地は妹に尋ねる。

「許可するわ」

 決意を込めて九天は言う。

「しかるべく」

 九地は笑い声とともに醜悪な笑みを浮かべる。歪んだ九地の表情を初めて見たのだろう。あかり先生は凍りつき、顔を青く染めた。

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