■本章「女子高生プログラマー事件」 ◆五「情報解禁」

 翌日、光は電脳部に顔を出す気がせず、そのまま下校した。九天と並んで帰り、ナイン電脳探偵事務所に行く。ビリヤード台に半ば占領されたこの部屋も、最近ではしっくりと来るようになった。

「九地さん、あかり先生と同級生だったんですか?」

 昨日知った高校時代のことを九地に尋ねる。

「同じ図書部員でしたね」

「仲はよかったんですか?」

「恋人ではなかったですよ」

「あかり先生が、九地さんのことを話していましたよ」

 ノートパソコンに向かっていた九地は手を止める。そして困ったように身を縮め、それ以上は、あかり先生の話題に乗ってこなかった。

 光はスマートフォンを取り出して、ネットのニュースをチェックする。いつもの習慣。光の数少ない趣味だ。

 ――トランク開発者の桜小路恵海さんは女子高生。

 ヘッドラインを見て、ぼんやりとした頭が一気に覚醒した。えっ、どういうことだ? PRUNUSSEAではなく桜小路恵海。ハンドルネームではなく本名。これまで公開していなかった情報が表に出てきている。記事を開き、素早く読む。プロフィールだけではない。写真まで載っている。先輩の名前でウェブを検索する。複数のニュースがヒットした。全て今日公開の記事だ。

「どうしたんですか平原くん」

 九地が顔を上げる。

「これ、見てください」

 息せき切って、スマートフォンを九地に向ける。画面を一瞥したあと、九地は自分のノートパソコンで検索する。光は立ち、九地の背後に移動した。

「どうしたの?」

 宿題をしていた九天が、手を止めて振り向く。

「桜小路先輩のニュースが、ネットに複数出ている。ハンドルネームではなくて本名で」

 九天もやって来る。九地はウェブブラウザのタブを開き、いくつかの記事を確かめる。同時多発的にトランクが紹介されて、先輩の個人情報が公開されていた。横並びで掲載されていることに光は驚く。

「桜小路さんは開発者であって、こうした営業的な仕掛けができる人ではないですよね?」

「ええ」

「それなら誰かが裏で動いていますね。単なるニュースリリースの掲載ではない、ライターが書いたきちんとした記事です。ある程度の金や経験、コネを持った広報が動かないと、これだけ一度に大量には公開されません」

 ベンチャー企業にいた九地は、製品の広報がいかに難しいのかを知っているのだろう。

「いったい誰の仕事なんですか?」

「プラチナバリューの地井。順当に考えれば、そうなりますね」

「これは問題なんじゃないですか?」

「いえ、今のところ問題は何もないです」

「なぜですか?」

「事件性はありません。被害者もどこにもいません。これだけきちんとした広報ができるのならば、プラチナバリューの地井は有能な人物なのでしょう。そういう能力を持つ人間はまれにいます」

 興奮する光をよそに九地は冷静な声で言う。

「でも、怪しい相手ですよ」

「桜小路さんが被害に遭っているのならともかく、今のところはよいビジネスパートナーに出会ったとしか言えません」

「そうですか」

 光は肩を落とす。全ては空回りだったということか。桜小路先輩は騙されていたわけではなかった。勝手に怪しいと決めつけ自分は右往左往していた。事件など、どこにもなかった。一人のストーカーが嫉妬に狂い、走り回っていただけだ。本当に笑える話だなと光は思う。

 財布から五千円を出す。これまでの感謝の気持ちを込めて九地に渡す。

「この件は、これで終わりにしたいと思います。いろいろと、ありがとうございました」

 そろそろ手を引くべきだ。昨日から考えていたことだ。

「調査は継続しなくていいんですか?」

「僕が出しゃばることではないですから」

「まだ何か出てくるかもしれないですよ」

 悲しみの混じった笑みを浮かべ、首を横に振る。

「いいんです。今回の件は、僕の暴走です」

 九地は何か言いたげだ。九天は静かに光を見ている。

「ビリヤード、やってみてもいいですか?」

「ええ、どうぞ」

 台の下に腰を屈め、九地はキューとボールを出してくれた。九地はナインボールの配置に玉を置く。光は構えてキューを突く。キューが無様に揺れ、手玉はあらぬ方向に転がった。どの玉にも当たらず手玉は静止する。

「はは、難しいですね」

 九地が手を出し、キューを受け取る。彼は手玉を元の位置に戻して、キューを構えた。

「全ては物理法則で動いているんです。人間社会も同じです。玉突き衝突の結果、何かが起きるんです」

 手玉は勢いよく動き、いろとりどりの玉が台上に散らばる。いくつかの玉が穴に落ちた。九地は手玉を突き、的球をポケットに落としていく。

「少し教えましょう」

 九地は糸のような目を弓のようにする。社会は玉突き衝突の結果動いている。僕はその動きを読み誤った。しばらく部屋で過ごしたあと、別れの挨拶をして光は事務所をあとにした。


 週末を挟んで月曜日になった。放課後、電脳部の部室に向かうと廊下に人だかりができていた。多くの男子が窓に貼りついている。人の垣根をかき分けて部室に入り、中で音楽を聴いていた翔のヘッドホンを奪った。

「おっ、ヒカルか」

「ねえ、ショウ。あれ何?」

 光は、窓を指して事情を聞く。

「桜小路恵海親衛隊」

「はっ?」

「ネットのニュースで話題になっただろう。その後、SNSで情報が拡散して、まとめサイトでも取り上げられた。一躍、時の人だよ。まあ先輩は、地味だけど美人だしな。文化系で大人しそうなところが、おまえみたいな奴にヒットしたんだろう。つまり、あそこにいるのはヒカル、おまえの同類だ。よかったな、仲間がいっぱいできて!」

 窓の外に視線を注ぐ。そろいもそろって運動とは無縁といった風貌の男たちだ。にわかが。腹立ち紛れに心の中で罵倒する。僕は入学直後から先輩に注目して追っていた。毎日更新のエミペディアだって作っている。きみたちとは違うんだよ、きみたちとは。光はアイドルの古参の追いかけみたいな心境で、ぶつぶつと不満を口から漏らした。

「それで話題の中心の先輩はどこにいるの?」

「こっそりと準備室に逃げ込んで、プログラムを書いている」

「先輩らしいね。開発一筋。変に舞い上がるよりはいいけど」

「まあね。そこは一貫している」

 楽しそうに翔は言う。

「ヒカル、どうする? ライバルが大量に登場だ」

「ふんっ、年期が違うよ」

「それはそれは」

 翔は笑みを浮かべたあと、真面目な顔をする。

「桜小路先輩、さりげなく守った方がいいぜ」

「ファンから守れって言うの?」

「違う。同性の嫌がらせからだよ」

 光は、驚いて翔を見る。

「今日だけで何人かから聞いたぜ。桜小路はつけ上がっている。ハブろうぜ。そういう話をな。先輩、妬みの対象になっている」

 光は体を硬くした。翔は女の子たちと話す機会が多い。自然と彼女たちの噂も耳に入ってくる。光は、女子たちのあいだで孤立している九天のことを思い出す。同じような立場に先輩が追いやられるということか。ひどい話だ。唾を吐きかけたい。義憤を感じた。先輩のために何かしたいと思った。

 翔と話していると入り口の扉が開いて、あかり先生が入ってきた。

「ねえ、平原くん、須崎くん。あれ、どういうことなの?」

 窓の向こうを指差しながら言う。ネットに疎いあかり先生は、事情をまったく知らないようだ。

「実は――」

 手短に昨日のネットニュースの件を説明する。へー、ネットにもニュースがあるのねと、いつの時代の人間なのだという台詞を吐き、あかり先生は感心した。

「それで、当の桜小路さんは?」

「準備室で天岩戸状態です」

「先生が踊る?」

「アマノウズメは裸で踊ったそうですよ」

 ウィキペディアの知識を披露したら蔑むような目で見られた。その様子を見て翔は、おかしくてたまらないといった様子で腹を抱えて笑う。

「先生、ネットに詳しくないから、よく分からないわね」

 あかり先生は困ったように言う。そもそも桜小路先輩が何をしているのかも先生は把握していない。ウェブサービスと言っても、ちんぷんかんぷんだ。時間があれば活字ばかりを読んでいる先生は、ネットの常識は定年退職した教師レベルに低い。

 廊下のざわめきが止まった。外で雑談していた男子生徒たちが口を閉じたのだろう。何かあったのかなと思い、視線を向ける。扉が開き、九天が入ってくる。彼女が窓の方をにらむと、男たちが慌てて顔を引っ込めた。殺気にびびったのだ。九天は本気で殺しかねない目つきをしている。

「どうしたの九天?」

「おにいちゃんが、あんたのことを呼んでいる。桜小路先輩の件で、お詫びがしたいって」

「どういうこと?」

「会ってから説明するって。専門的な話になるからって」

 話の筋が見えない。桜小路先輩の件で、何か見落としていたことでも、あったのだろうか。

「分かった。九地さんに会いに事務所に行こう」

「私もついて行っていいかしら?」

 あかり先生の言葉に驚く。

「先生も来るんですか? まだ勤務中ですよね」

「部活動の一環として話を聞きに行くってことでどうかしら?」

 あっけらかんと先生は言う。思っていたよりも大胆な人だ。もっと控え目で大人しい人かと思っていたけど、そうではないようだ。学校で生徒に向けている顔が全てではないだろう。人は多くの顔を持っている。それらを使い分けることで生活している。ネットではアカウントごとに人格や性別を変えている者もいる。

「九天、いい?」

「おにいちゃんが嫌がらなければいいけど」

「伺ってもいいかしら、来栖さん」

 あかり先生は、無邪気な顔で九天を見る。九天の邪気が押されている。渋々といった様子で九天は、スマートフォンを出して電話をかけた。

「いいって」

「あっさりOKしたね」

「だいぶ焦っていたけど」

 九天は不満そうにこぼす。九地が慌てるところを見てみたかった。光は三人で部室を出て、九地の待つ事務所に向かった。

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