■前章「女子高生ネットストーカー事件」 ◆二「騙し合い」
翌日の放課後になった。光は玄関脇の校舎の壁に寄りかかり、斎藤が来るのを待っている。光は数ヶ月前まで中学生だった。今は高校一年生で、横浜の進学校に通っている。所属はコンピュータサイエンス部。しかし生徒の中で、その名を使う者はほとんどいない。電脳部。そちらの方が通りがよい。今日はその部活をさぼってナイン電脳探偵事務所に行く予定だ。光は下校する生徒たちの姿を見ながら、昨日の部室での会話を思い出す。
「ヒカル、おまえ、何検索してんの?」
肩口から声をかけてきた翔が、光の隣の席に座った。翔は光の親友で、電脳部の異端児だ。金髪ピアスで、女子に絶大な人気を誇っている。軽音部との掛け持ちで、DTM――デスクトップミュージック――に凝っている。翔は画面を覗き込み、そこに書いてある文字を読み上げた。
「ネットストーカー対策? ヒカル、おまえストーキングされてんの?」
「僕じゃないよ」
「ははーん、いつもの依頼か」
光はうなずく。
「でも、上手くいってないんだ。いろいろと調べているんだけどね」
答えたあと大きくため息を吐き、自身の人生を振り返る。光は昔から他人に信用されやすかった。ぴかりんと呼ばれていた小学生時代、よく先生に戸締まりを任された。近所のおばさんたちに留守番を頼まれることも多かった。ヒカルと呼ばれるようになった中学生時代も、そうしたことは続いた。高校生になってからは、コンピュータやスマートフォンやネットのトラブルの相談を受けるようになった。理由は電脳部に所属しているから。しかし、その手の話に詳しいわけではない。実力がないのに信用される苦しさを光は痛感していた。
「依頼主は女の子?」
「正解。同じ学年の斎藤さん」
「可愛いよね。ちょっと派手だけど」
翔は子犬のような笑みを浮かべる。
「斎藤、彼氏いるの?」
「知らないよ。自分で聞けよ」
「何だよ、ちゃんと聞いとけよな」
翔は軽い口調で言う。
「まあ、おまえのお気に入りは桜小路先輩だしな」
耳元で告げられ、顔を真っ赤に染める。光は部室の奥に視線を向ける。桜小路先輩は、眼鏡に三つ編み姿の女性だ。清楚な外見で、この学校の制服がよく似合っている。そうした先輩は、電脳部の人間としては、かなりハイレベルなスキルを持っている。彼女は小学生の頃からプログラムを書いていて、既にいくつかのウェブサービスをリリースしている。桜小路先輩は、僕のように中身がないのに信用されている人間とは違う。周囲から本物の信用を得ている人物だ。
「いつアタックするんだよ?」
「手の早いショウとは違うよ、僕は」
恨みの目を翔に向ける。中身のない僕のような人間が、桜小路先輩につり合うわけがない。翔はへらへらと笑い、目の前のパソコンの電源を入れる。冷却ファンの音が勢いよく響き、OSが起動するまでの待ち時間が入る。翔はモニターに顔を向けたまま声をかけてきた。
「斎藤、あいつネットストーキングに遭ってんの?」
先ほどまでのふざけた態度とは違い、真面目な声だ。
「うん。相手はおそらく成人男性。斎藤さんのツイッター、インスタグラム、フェイスブック、その他全てのSNSやブログに現れて絡んでいる」
光はツイッターのページを開いて、斎藤への発言を表示した。
――この数日、投稿が多いね。生理なの?
――チラ見せじゃなく、裸の写真を投稿しろよ。
――ねえ、会わない? 駅前で待ち合わせしようよ。
――このあばずれが。無視すんなよ。
目を覆いたくなるメッセージが並んでいる。
斎藤のアカウントはフォロワーが多い。女子高生の赤裸々な日常を綴っている。写真も多数投下している。人気が出るのは分かる。彼女をアイドルのように持ち上げて、ちやほやする大人たちがいる。その中に頭のおかしな人間が紛れ込んでいる。
「何とか、なりそうなのか?」
首を横に振り、画面をスクロールする。
――無視すんなよ。俺は、おまえがどの学校に通って、どこに住んでいるか知っているんだぜ。
ネット上のストーカーは、斎藤の学校と住所を知っていると書き込んでいた。
電脳探偵事務所での出来事を思い出していると斎藤がやって来た。茶髪、化粧、ピアス。スカートは短くて、鞄は派手にデコレーションしている。斎藤は光に一瞥をくれたあと、これ見よがしにため息を吐いて、不満を爆発させそうな顔をした。
「まさか、来栖に目をつけられるとはね」
「彼女のこと、知っているの?」
「女子のあいだでは有名人だよ。おまえは男子だから知らないかもしれないけどさ。どこの女子グループにも入らない一匹狼で、いじめた相手を何人か登校拒否にしたそうなんだ」
「そうなの? そんな話、初めて聞いたんだけど」
「高校になってからの話じゃねえよ。中学時代の話。出身が同じ奴らは、みんな知っている。だから誰もあいつと、つるもうとしねえんだよ」
怒った様子で斎藤は言う。
「どうするの?」
トラブルの解決には、その九天を頼らなければならない。自分には、今回の件を解決する能力がない。
「くそ忌ま忌ましいが、一万円払うつもりで持って来た。あいつの家、ネットトラブルの探偵事務所らしいからな。まあプロだから、変なことにはならないだろう。しかし腹が立つ。それもこれも、平原、おまえが解決してくれなかったからだよ」
斎藤は、恨みがましい目で光をにらむ。
「ごめん」
頭をぺこぺこと下げたあと二人で歩き始める。派手に遊びまくっている女に、陰キャの男。何人かとすれ違い、奇異の目で見られた。そのたびに斎藤はにらみ返して、そうした生徒たちを追い払う。これだけ強い斎藤が、関わろうとしない九天はいったい何者なんだ。
「それで斎藤さん。例のネットストーカーの件だけどさ、学校や家の場所を、本当に特定しているかもしれないってさ」
「おい。住所なんて、ネットに書いていないぞ」
怒りを露わにする斎藤に、昨日九地が探し当てたマンションの名前を言う。
「えっ。私、平原に住所教えたっけ?」
「来栖さんのお兄さんが、十分ほどで探し当てたよ」
斎藤の顔が青くなる。ネットストーカーの発言が、嘘ではない可能性があると理解したようだ。
昨日に引き続き、エスポワールの前まで来た。手書きの筆文字の看板に、古びた木造二階建ての集合住宅。錆の浮いた鉄製の階段をのぼり、二〇一号室の扉をノックする。
「どうぞ」
九地の優しげな声が聞こえてくる。扉を開けて中に入る。中央のビリヤード台の奥に、九地と九天の姿があった。
「あれ。来栖さん、学校は?」
「終わって、すぐに帰って来たの。それで斎藤、一万円は用意してきた?」
不承不承といった様子で、斎藤は鞄の中の財布を出す。
「おい、来栖。本当に解決してくれるんだろうな?」
「素人と違って、うちはプロだからね」
光を見ながら素人という言葉を口にする。
「はい、これに住所と名前を書いて」
九天はクリップボードを出して、顧客カードへの記入を求める。九地がゆっくりと立ち上がり、光たちのそばまで移動した。
「既に準備は整っています。あとは斎藤さんの協力が、少しだけ必要です」
九地は執事のように、うやうやしく斎藤に語りかける。その態度に斎藤は、まんざらでもないといった表情をする。
「どういった準備をしたんですか?」
光は九地に尋ねる。
「コンピュータセキュリティの分野には、ハニーポットという手法があります。日本語では蜜壺です。不正アクセスをわざと受けて、情報を集めたり攻撃者の目を逸らしたりするためのものです。そのやり方をヒントに、Sをある場所に誘い込む予定です」
Sというのはストーカーの仮の呼び名だと、九地は説明する。九地が用意したのは、斎藤のツイッターの裏アカウントだった。もちろん本人が作ったわけではないので偽物だ。
「斎藤さんには、自身のツイッターで、裏アカウントについて言及してもらいます。『内輪向けアカウントを作ったよ。アカウント名プラス誕生日の日付だよ』そう、つぶやいてください。アカウント名は、今のアカウントに誕生日の数字を足したものです」
斎藤は、画面に表示された偽の裏アカウントを、まじまじと見る。
「アカウント名プラス誕生日だ」
「そうです」
「何で私の誕生日を知っているんですか?」
確かに不思議だ。
「斎藤さんは一年ほど前に、誕生ケーキの写真を撮りましたよね。だから分かりました。この情報は公開されているのでSも知ることができます。たとえ誕生ケーキの写真にたどり着けなくても、誕生日は閏年を含めて、最大で三百六十六種類しかありません。総当たりで調べても探せる数です。Sには自力で裏アカウントを発見してもらいます」
斎藤はノートパソコンに手を伸ばして画面をスクロールさせる。裏アカウントの斎藤は、何人かの友人たちと活発に話している。仲間内の賑やかな様子が伝わってくる。
「誰だよ、こいつら?」
気持ち悪そうに斎藤は言う。
「これ、もしかして全部ダミーアカウントですか?」
光は九地に尋ねる。
「そうです。人間ではなくプログラムに更新させているアカウントです。Sにこの会話を読ませて罠にはめます」
九地は笑みを見せ、一つの投稿を指す。
――このアプリで動画を投稿したよ。インストールして、私のアカウント名で検索してね。
「こういうときのために、権限を大量に盛り込んだ罠のアプリを、スマートフォンの公式ストアに登録しています。Sがこのアプリをインストールすれば、彼の端末を乗っ取れます。Sの発言ペースから考えて、一日か二日でインストールしてくれるはずです」
九地は不正侵入すると言っている。毒をもって毒を制すということか。
「侵入が成功すれば、Sの個人情報を収集して、どこの誰なのかを特定します。そして斎藤さんに付きまとわないように警告を出します。従わない場合は、警察に相談すると脅します。斎藤さん、それでいいですね?」
九地は斎藤に顔を向ける。斎藤は考える表情をする。何かやばいことだとは気づいているが、詳細までは理解していない様子だ。
「それでいいです」
「では前払いで半額をいただきます。残りはあとでいただきます」
一万円札を斎藤は出す。九地はお金を受け取り、手提げ金庫を持ってきて五千円札を返した。
「それじゃあ斎藤さん。Sを誘い込むツイートをしてください」
斎藤は、緊張したように両手でスマートフォンを持つ。そして九地に指示された文面で投稿をおこなった。
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