夜空に咲くアルビレオ
めんだこ。
夜空に咲くアルビレオ
ああ、星よ。
もし、願いが1つだけ叶うならば。
カササギを呼んではくれないだろうか。
【1:とある真夏の日差しの中】
-1-
晴れた真夏の空の下、猛火の如く降り注ぐ太陽光に照らされた東 奈月(あずま なつき)は項垂れながらいつもバスで通っている通学路を歩いていた。既に汗が下着やシャツに侵略を開始しようとしている。急いでも逆効果だろう。
(何で自転車通学が許されていないんだろう。。。)
奈月が通う天神川高等学校は、都心とはかけ離れた場所に位置している。ド田舎という表現が正しいだろうか。通学に使用できる交通機関はバスのみで、時間帯を逃してしまうと1時間に1本しか通らない。加えて母親が昨日から不在であったため、遅刻しないためには自転車を使う以外に手段はない。
しかしそこで邪魔をしてくるのが校則で、自転車通学が禁止されているのだ。これには理由があり、以前に二人乗りや傘さし運転などで周囲の住民たちに迷惑をかけ苦情が寄せられたからだ。さすがに学校側も対応せざるを得なくなり、今に至る。
1時間待つよりは歩きで学校に向かうほうが早いため、やむを得ず歩くことにした。むやみに自転車を使って捕まるよりかはマシだ。
「大幅な遅刻じゃないか。どうした?」
「バスに置いて行かれました」
着いたころには汗だくになっていた。さらに追い打ちをかけるように、国語の教師であり、私たちのクラス担任である暮林の暑苦しい顔との対面が待っていた。
「まあいい。座れ」
不機嫌そうに言う暮林に「はーい」と言葉を投げつけ、暑さに蝕まれた死霊のようにダラダラと自席に向かう。ハーフでもないのに地毛が明るい所為か、教師からあまりいい印象を与えていないので、今回の遅刻も結構評価的には痛い。
そんなことも一つの日常だろうか。今週初の遅刻、という一つの小さな事件が、ちらりとある男子の席を見た瞬間に何事もなかったかのように吹き飛んだ。
いない。
いつも無遅刻無欠席で、いつも笑顔でいるクラスのムードメーカーのあいつがいない。
その事実が奈月の脳裏に焼き付いてしまったのか、今までの暑さや、成績などの心配が心から吹き飛んでどこかに行ってしまった。どうしていないのか、ただその理由が知りたい。朝礼で何か説明があったのなら、友達が知っているかもしれない。
無い脳みそをフル回転させているうちに、午前の授業は終わってしまったようだ。
-2-
「入院!?」
すさまじいほどの衝撃的な内容に、持っていた割りばしが左手から机上に落下した
「あれ?なっちゃん聞いてないの?てっきり直接教わってたかと思った。」
お弁当のおにぎりを頬張りながら、私の親友である矢沢 要(やざわ かなめ)はきょとんとした表情でこちらを見ている。
「そんな話、ラインでも一言も出てないよ。いつも通りって感じだったし。」
「彼氏なのに?」
「彼氏ではありません。」
おちょくる要を華麗に流し、再度割りばしを取ってたらこスパゲッティを口に運んだ。
急ぎで買ったコンビニのスパゲッティにしては、温度こそ温かくはないが悔しいことにそれなりに美味い。
「聞いてみたら?なんで言ってくれなかったのかって。」
「メッセージは飛ばしてるけど、既読すらつかない。」
不機嫌な私の顔を笑顔でこっちを見つめてくる要が、いつも隣にいるあいつの顔を連想させる。みじめな悔ししさと相まって無性に腹が立ってきた。
「なんかムカつく。」
「ごめんごめん。面白くって。なっちゃんとアキヒナ君ってさ、幼馴染だったとしてもいつも一緒だしすっごい仲いいじゃない。だからつい。」
「それは。。。」
アイツもとい西 陽日奈(にし あきひな)とは、幼稚園に入る前からの仲だ。いつも隣にいるのが当たり前で、ここ周辺地域では東西コンビとして有名になるくらいだ。楽しいときは一緒に笑って、泣きそうになった時は必ずもう片方が傍にいてくれた。時には二人でひったくり犯を懲らしめたりもした。
そんなやつが、私に言わずに休んだのだ。そのこと自体が初めてであり、ましてや入院ともなるとかなり大きなことであるのは間違いない。
心配させたくなかったから言わないでいたのだろうか。奈月の頭は逆に心配で埋め尽くされてしまった。
「そんなに心配なら、お見舞いに行ってあげたらいいじゃん。こんな田舎、入院て言ったらあの病院しかないんだから。」
ここ付近で入院可能な病院は、役所付近にある総合病院となっている。したがって陽日奈がそこで入院している可能性は高い。
「確かに。でも部活があるし、今日お母さんも帰ってくるから行くんならまた日を改めるよ。」
「部活なんて気にしなくていいのに。」
「でも忙しいじゃん、今年なんて特に。2人もいなくなったらダメでしょ」
奈月、陽日奈、要は3人とも同じ天文部に属している。天神川の天文部は少しばかり有名で、新星の発見や、天文学の学術論文の法則を覆す理論を発見するなど、学界からも注目されているほどだ。
更に、今年の8月下旬にはいくつもの流星群が同時に観測されると予測されている。それに備えて、天文部も大忙しというわけだ。
「じゃあ、部長命令で近々お見舞い頼んじゃおっかなぁ。」
「何か伝えたいことでもあるの?」
要は天文部の部長で、陽日奈は副部長だ。おそらくやるべきことが全部要に降りかかっているのだろうか。
「そりゃもうたくさん。アキヒナ君の恋事情とか、なっちゃんをごどう思っているのかとか、」
私が馬鹿だったのだろうか。
「まあ、こっちのことは心配しないで、さっさと行ってきなよ。明日とか。」
そう言って笑顔を見せる要の目は、いつになく真剣だった。
-3-
―なぁ、奈月。織姫と彦星の話って知ってるか?―
―なんとなくだけど知ってる。それがどうしたの?―
―織姫と彦星が再会するにはさ、天の川を渡らなくちゃいけないんだ。―
―うん。それでカササギさんが橋を架けてくれるんだっけ。―
―そう。それが夏の大三角形のベガとアルタイル、デネブいわれているんだ。―
―年に一回しか会えないなんて、切ないお話だよね。―
―そこで奈月に問題です。この物語の主人公って誰だと思う?―
―えっ、織姫と彦星なんじゃないの?―
―そう考えるのが普通だろう。でも物語的には二人はたちは助けてもらう側。ドラクエで言うとただの村人になるだろ?―
―確かに言われてみればそうだね。じゃあ主人公はもしかして…―
―カササギ、つまり白鳥座だ。困っている人たちを助ける。いわば主役を導いて助ける本当の主人公。僕はそう考えている。―
―素敵な考えだね。―
―だろ?ツンねにいろんな考えをもっていたいんだ。―
―ねえ、アキくん―
―ん?―
―私たちにも、いつか現れてくれるかな。白鳥座。―
―はぁ?どう言う意味だよ。―
―ふふっ。教えませーん。―
-4-
『間も無く~、到着いたいま~す。お忘れ物のないように~、お願いしま~す。』
気が抜けるようなバスのアナウンスで夏樹は目を覚ました。どうやらスクールバスの中で眠っていたみたいだ。
(夢。あの時の夢だ。なんでこんな時に。)
あの頃の思い出が夢に出て来るとは奈月も思いもしなかった。
数年前の夏休みの時に、奈月は喘息の大発作を起こし、少しの間大病院に入院したのだ。発作がだいぶ落ち着いてきたところに陽日奈がお見舞いに来た。すると、そのまま奈月を病院裏のちょっとした公園の丘まで連れ出し、大きな花梨の樹の下で夢の内容を語ったのだ。
連れ出された時は、いけないことをしているかのような感覚を身に纏っているかのようで、ワクワクしていたのを覚えている。
きっと疲れているのだろう。今日はこのあと何も予定はないし、早く家に帰って休もう。そう心に決め家までの道のりを歩きだした。
いつもの帰り道。普段なら宿題や部活の課題など脳内にやるべきことが整列をし、順々に行動に移す準備ができている。しかし、陽日奈が入院したという事実が脳に直接衝突事故を起こしているせいか考えることができずにぼーっとしている。今は脳の修繕のために休みたい。率直な感想が口からこぼれてきそうだった。
こぼさないようにと、慌てて頭を上にあげた。すると、目の前には見覚えのある物が映っていた。
「これって。。。。花梨?」
神様は私をいじめているのだろうか。よくおばあちゃんが私にとはちみつ漬けを作ってくもって来てくれた。夢にも出てきた、想い出の樹。その樹が近所の裕福そうな一軒屋の庭先から顔を出していた。まさかこんな近くに生えているなんて、思いもしなかった。
「おや、その花梨の樹が気になるのかい?」
灯台下暗しを身にしみて感じている奈月に、一人の男が話しかけてきた。
「これ、花梨の樹ですよね。」
「よくわかったね。ぼくは庭に植えているものの中でもこいつが一番気に入っててね。」
どうやらこの家の家主のようだ。
「花梨はね、すごく体にいい食べ物なんだよ。」
「よく喉飴として売られていますね。それに、よくおばあちゃんがはちみつ漬けにしてもって来てくれました。」
「おお、それはとてもいいことだな。」
そう言って笑顔を見せる男性は、今は亡き父を彷彿させた。様々な思いが胸から込み上げてくる。込み上げて来た思いが瞼から漏れ出したのをみて、男性は少し驚いた表情を見せたが、すぐにほほ笑んだ。
「色んな思いを持っているようだね。」
「ごめんなさい。」
気にするなと男性は言い、花梨の果実を数個もぎとって言葉を続けた。
「花梨には素敵な花言葉が2つある。」
奈月に1つ手渡した。
「一つ目。"豊麗"。女性への褒め言葉によく使われるね。豊かで美しいことを指す。」
そしてもうひとつを、空いている手に渡す。
「二つ目。"唯一の恋"。これは君の方がピンと来るんじゃないか?」
その言葉に私は言葉を詰まらせてしまった。必死に言葉を探し出し、会話を続ける。
「詳しいんですね。」
「小説を執筆しているからね。嫌でもこういう豆知識は付いちゃうものさ。」
苦笑いをしながらも、彼なりに奈月を元気付けようとしたらしい。
「君にあげよう。」
「いいんですか?」
「ああ。沢山生るからね。遠慮しないで。」
「なんか、すみません。家、そんな遠くないんで、後で必ずお返しをします。」
そう言って、奈月は自宅に走って行った。
-5-
「あら、お帰りなさい。今開けるわね。」
自宅の鍵を開けドアをいつも通りの力の強さで開けると、母である東美星がドアのチェーン越しに奈月を見た。まさかのトラップに腕を持ってかれそうになった奈月は、美星を見て頬を膨らませた。
「インターホン鳴らしたじゃん。なんで取ってくれないの。」
「最近物騒な世の中じゃない。だから出ないようにしているの。」
「う。そ。つ。け。」
「バレた。トイレ行ってたの。そんなに怒ってると老けるよ。」
「うるさい。もう。疲れてるんだからやめてよ。」
「はいはい。じゃあご飯もうすぐ出来るから荷物片してらっしゃい。」
「はーい。今日のご飯は何?」
ああ、いつもの感覚に戻って来た。親って、本当に重要なんだなと再認識させられる。
「酢昆布」
前言撤回しよう。
「はい?それ本当に言ってんの?」
「嘘に決まってんじゃない。ジェノベーゼよ。」
お前を酢昆布にしてやろうか。
たわいもない家族の会話に呆れながら、時間は過ぎていく。母のペースに流されないようにと、パスタをフォークに絡ませながら本題に入った。
「アキ、どうしたの?」
真面目になった奈月の顔を見て、美星は答えた。
「私もさっき聞いたばかりだから詳しくは知らないけど、お腹を壊しちゃったみたいよ。」
「えっそうなの?昨日まで元気だったのに。」
口の中にバジルの香りと味が広がる。松の実と粉チーズがうまくソースと絡まり、食材によるオーケストラが奏でられる。感激の表情を浮かべていると、美星が口を開いた。
「盲腸かしらねぇ。大した病気じゃなきゃいいけど。」
「うん。大丈夫だって信じたい。近いうちお見舞いに行ってくるよ。」
「お見舞いって、奈月。あなた部屋番号わかるの?」
「そんなの気合、きあい。なんとかなるって」
無理やり作った笑顔で美星のほうを振り返ると、ためいきをつきながら言葉を投げかけてきた
「他の人には迷惑かけないようにしなさいよ。いつもすぐ」
「突っ走ってぶつかっちゃうって?もうウチも17になるんだから。心配しないで。」
「親ってものはね、心配さんがいつも隣に付き添ってるのよ。」
「心に留めときまーす。ご馳走さま!」
「もう。。。」
食器を片し、自分の部屋に戻る奈月を見て、美星はため息をついた。
-6-
扉を閉め、明かりをつけずにベッドに倒れこんだ。
暗闇と静寂に包まれた自分の部屋は、心を落ち着かせるのに丁度いい。
仰向けになって深呼吸をする。天井を見上げると、とうぜんだが真っ暗闇で何も見えない。
奈月はそのままスマホの画面を開いた。
「返信は、無しか。」
どうやら呼んでいないようだ。ラインに既読通知が来ていない。ここまであいつと話せな苦なったのはずいぶんと久しぶりだ。
スマホのライトを頼りに、幼いころから使っているk勉強机の上に置いてあるプラネタリウムライトの電源を入れた。
暗闇の部屋に一気に星空が広がる。何度も見ている光景でも、今日見た星空は少し違って見えた。帰りのバスで見た夢、その夜空と重ね合わせる。
「…あった。夏の第三角形。」
天の川に阻まれた、こと座とわし座。それをかわいそうに眺めているはくちょう座。よく陽日奈は主人公って言ってたっけな。
「橋を架けちゃうなんて、すごいよね。君。」
そうつぶやくと、はくちょう座がドヤ顔でこちらを見ているように思えた。確か、はくちょう座の頭の名前は…
「アルビレオ。」
隣に陽日奈がいたら、一緒につぶやいていただろう。
「なにしてんのー。早くお風呂に入ってきなさーい。」
扉の置くから美星の声が聞こえてきた。
「はーい。」
言葉のレシーブをして、脱衣所に向かった。
【2:そっと見つめる】
-1-
「あら、早いわね。…ブラジルにでも行くのかしら?」
「後でちゃんと直す。お母さん、台所貸して。」
髪の毛が湿ったまま寝てしまったために、私の頭はサンバ会場を用意してしまったようだ。
「何に使うの?」
「お見舞い品。今日、アキのところに行ってくる。」
「まだ5時よ?3時間も使って何つくるの?」
「いいからいいから。」
そう言って、奈月はエプロンを身につけ台所へと入って行った。
「じゃ、行ってきます。」
「行ってらっしゃい。アキくんによろしくね。」
家のドアを開けると、セミたちの鳴き声とまとわりつくような熱気などの夏の風物詩のオンパレードが出迎えてくれた。
バス停まででこんなにも暑いのか。と声に出したかったが、余計なものに労力を使いたくない。お見舞い品には保冷剤を使っているためなんとかなるが、熱中症になってこっちが入院してしまったら元も子もない。奈月は水分補給をこまめに行いながら行くことにした。
午前の授業。教鞭を執った先生たちが交代交代にご教授をしてくれているのだが、申し訳ないことに菜月の頭は陽日奈への心配で一杯だった。
あれからラインの返信も一切なく、既読すらついていない。ただスマホを家に置いてあるだけならこちらとしても安心が出来るが、意識不明の状態になっている可能性も否定はできないのだ。
早く病院に行って、アキに会いたい。会って今までの事を全部説明して欲しい。なんで連絡をくれなかったのか。なんで事前に教えてくれないの教えてくれないの。様々な思いがまたも無い脳味噌を掻き回している。
「東、ちょっといいか。来月の観測会についてなんだが。」
授業を終え、病院へと行く身支度をしていると、担任の暮林が声をかけてきた。彼は天文部の顧問でもあり、普段の授業風景からは想像できないほど部活には熱心である。
「え、これから西くんの病院に行くんですけど。」
いかにも急いでいる雰囲気を醸し出しながら奈月は答える。
「ん?お見舞いか。それはすまなかった。」
「要に言っといてくれますか!」
「あ、じゃあちょっと待ってくれ!あいつに渡して欲しいもんがある。」
そう言うと、いかにも高そうな通勤カバンからプリントをどっさりと取り出した。
「俺が行こうと思っていたんだがね。お前が行ってくれるなら助かる。今週の授業内容と、観測会でうちらが何をやるのかとか色々書いてある。」
「わかりました。それじゃ!」
奈月は急いで出て行った。暮林は一人オレンジに染まった教室の中で佇む。
「さて、これからが正念場だ。頑張れよ。」
独り言は、無人となった教室で静かに雲散霧消した。
-2-
天神川総合病院。
小山を三日月ようにくり抜いてそびえったっている病院で、山頂は公園となっており、入院患者にとっては憩いの場となっている。
奈月が喘息で入院したところもこの病院だ。今、その病院の正門のところに立っていることが懐かしく思える。昔はお見舞いが来てくれる側だったが、今は逆にお見舞いに来ている立場になっており、少し変な感じだ。
ロビーに入ると、見た事のある人がいた
「おや…?」
「あなたは、先日の!」
帰宅途中に花梨をくれた男性だった。
「なんでここに?」
「妻が入院していてね。それのお見舞いさ。」
「そうなんですね。お大事にとお伝えしてください。」
「…君もお見舞いかな?その様子だとここに診察しに来たようにはできないけど。」
「そうです。友達が入院してしまって。」
「いい友達を持ったもんだね。」
「え?」
笑みを見せる男性に、奈月は疑問の声を出した。
「いや、なんでもないよ。早く行っておいで。」
そう言うと、男性は手を振りながら病院を出て行こうとした。
「あ、待って!」
「?」
奈月は彼を呼びとめた。
「お名前をお聞きしてもいいでしょうか?」
すると男性はにこっと笑い、答える
「カワイケ マモル。」
「ありがとうございます。では、また!」
そういい残して病棟に向かう奈月を見て、カワイケは優しく笑みを浮かべた。
-3-
「.......薄いなぁ。」
テーブルの上に乗せられた肉料理を口に運んだと同時に思わず口から漏れてしまった感想は、誰もいない病室の中を漂い、むなしく消えた。
まさか自分が入院するとは思ってもいなかった。
ちらりと横を見ると、点滴の跡が残っている。服装もそうだ。一日中パジャマのような格好で横になっている。
「なんで俺がこんな目に」
ため息混じりのこえがまた宙を舞う。目の前の壁に反射してくれれば多少の暇つぶしにもなるだろうが、そんなことは起きるはずもない。
スマホも、近くにペースメーカーをつけている患者がいるようで、使用することもできない。おそらくだが、何人か連絡を待っている人がいる可能性だってある。
「小説でも読もう」
手に取ったのは、先日親が買ってきてくれた小説だ。タイトルは"晴天"話の内容はまだ読んでいないからわからないが、帯紙の内容や裏表紙から推測すると恋愛系の感動小説みたいだ。
久しく涙を流した覚えがなく、この小説を読んでもおそらく泣くことはないだろう。
ページを1枚めくる。
「…ん?」
目に留まったのは"アルビレオ"という単語だった。
アルビレオは、白鳥座の頭に位置している星の名前だ。これは、自分自身の思い出にも偶然なのか重なってしまう
「懐かしいな。」
少しばかり口角が上がった。この単語を見ると、あのサバサバした性格の茶色いボブヘアの女の顔が浮かび上がってくる。
事前に連絡しておけばよかった。と今では後悔している。入院が決まった時は、気が動転してそれどころではなくなってしまったからだ。
「ダメじゃん。俺。」
そう口ずさんでしまったその時だった。
「ダメ男だよ全く。連絡しないとか何なの。」
入口には、パーマがかかったショートボブの良く見慣れた若い女が不機嫌そうな顔で立っていた。
-4-
目の前にいたのは、こちらを見ながら目を丸くしている陽日奈だった。
「奈月…!! お前…ストーカーかよ。」
「第一声がそれ?散々心配したのに。」
まるで救出したが再度座礁したイルカを見るかのような目だ。迷惑そうな、でもなぜか嫌ではない。そんな感じ。
「わるいわるい、突然のことで連絡できなくて。それにしても、よくここがわかったな。」
「入院だったらここしかないでしょ。はい。お見舞い。」
「うわっ。いってぇ!ばっかじゃねーのお前!?」
奈月はぶっきらぼうにお見舞いの品が入った袋を陽日奈の身体の上に放り投げた。陽日奈はぶつくさ文句を言いながらも袋を丁寧に開けていく。
「これは…。あれか。」
「うん。あれ。あんたが好きなやつ。」
奈月が持ってきたのは、ビンいっぱいに詰められた花梨の蜂蜜漬けだった。
陽日奈はよく奈月の祖父母に家に行き、花梨の蜂蜜漬けを食べていた。ちょうどカワイケから花梨をもらったので、見様見真似で作ったのだ。
「…サンキューな。後で食うわ。」
「ん。」
会話が途切れる。このままだんまりを続けると、気まずい雰囲気にこの部屋は浸食されるだろう。付き合ってもいない男女2人きりだと、やはりそうなってしまうかと予想はしていた。
ただでさえ男子という生き物は、自分から話そうとしない修正を持つという学研の報告書にも書かれていそうな常識があるのだから、そうはさせまいと奈月は必死に話題を探そうとする。
「で、大丈夫なの?」
とっさに出てきた言葉としてはファインプレーではなかろうか?
「んー、ま、たぶん大丈夫だろ。」
「また、適当にはぐらかす。」
陽日奈が入院したのはこれで2回目だ、1回目は木登り中の転落による骨折。その時も陽日奈は"たぶん"という言葉で退院日をはぐらかした。彼は、中途半端な強がりという面がある。
それに、"たぶん"という魔法カードを発動すると彼は頑なに自分の体調のことを話さなくなることを奈月は知っていたので、それ以上は詮索しないことにした。
「あ、あと、頼まれてたやつがあった。」
「ん?何?」
奈月は自分のカバンの中から暮林のお見舞い品を取り出し、手渡す。
「しっかり勉強しとけこのウスノロ○○カスヤロー。だってさ。」
「女子力のじもないきったねぇ発言だなおい。」
陽日奈は手渡されたプリント類をざっと確認し、すこし安心したかのような表情を見せた。
「サンキュって伝えといてくれ。ハゲ散らかし大魔神に。」
「男子力がみなぎってる発言だね。尊敬しちゃう。」
そんなくだらない会話が何回か続いた後にはもう、ギスギス感が漂う空気が興味はなぜだか心地よい空気へと変身を遂げる。そんな中、奈月が思い出したかのように語りだす。
「最近ね、"あの夢"を見たの。」
「あの夢?」
「七夕の話。ほら、幼い時の。」
「ああ、あれか。」
喘息で入院した時、退院前日の夜に陽日奈と一緒に病院を抜け出し、直結の裏山の丘で天の川を見ながら二人で話し込んだ。織姫であること座、彦星であるわし座、カササギである白鳥座。三つの星座が合わさることにより出来上がる夏の大三角。あの幻想的な景色は、何度見ても美しい。と同時に、幼いころの会話を思い出すのだ。
「懐かしいね。この病院。」
「今更かい。」
「あんたはそう思わないの?」
「懐かしさよりも、なんでまた来ちまったんだの方が大きいな。」
「自業自得でしょ?」
「うっせ。もう用がないなら帰れ。」
「もうちょっとここに居たっていいじゃん。なんか下で買ってこようか?」
「ん?あー…じゃ、水でも買ってきてくれぃ。」
「ははーっ!かしこまりましたお代官様!!」
「…お前はバカなの?」
にへっと笑って、奈月は小走りで病室を出て行った。
その後姿を見て、陽日奈は優しく微笑む。
-5-
「さてさて、水はどこじゃっと。」
さながら探検隊になったような気分でいると、ふと背後からこちらをじっと見るような気配を感じた。
「ひょっとして…奈月ちゃん?」
後ろを振り向くと、検査着に包まれた見知った顔があった。
「え??も、もしかして、ひよ姉?」
「おー!覚えてくれてた!嬉しいなぁ!」
ひよ姉と呼ばれた女性は、奈月の中学時代に国語を教えてくれた家庭教師だ。名前はひなよというので、ひよ姉と呼んでいたのだ。あれから数年何も音沙汰がなかったので、今は何をしているのだろうとは思ったが、まさかまだここに留まっていて、それに入院しているとは思わなかった。
「なるほどね。お見舞いに来てたんだ。」
「そうなんです。ひよ姉は、なんでここに入院してるんですか?」
「あー。ちょっとね、焼いた鳥が生焼けだったらしく、あたっちゃったんだ。何だったっけ、、、かんぴょうバスターみたいな名前のやつだった。」
「カンピロバクター?」
「そう!!それ!!よく知ってるね。成長したなぁ。」
「いやいや、最近テレビで見かけただけですよ。」
かんぴょうバスター。ひよ姉のボケも数年前よりも更に洗練されているように思えた。頭はいいのに、所々抜けている。ひよ姉はそんな人だ。
『河池 ひなよさーん、検査室にきてくださーい。』
「あっ、呼ばれた。」
そう言って、ひよ姉が席を立つ。
河池…かわ、いけ…カワイケ!?
「じゃあね、奈月ちゃん。彼氏、お大事にね!!」
「えっ、違っ、えぇ!?」
奈月の返答を待たずして、ひよ姉はそそくさと検査室に消えていった。
「うっそ…。」
-6-
陽日奈の病室の扉を開けようとすると、近くの看護師に呼び止められた。
「陽日奈君、さっき先生の所に行っちゃったばかりよ。」
先生…?暮林…じゃないか。普通に考えてお医者さんか。
「そうですか、わかりました。いつ頃帰ってきますか?」
「そうねぇ…。たぶん、当分戻ってこないと思うわよ。また日を改めてきた方がいいんじゃない?」
それは仕方ないな。病院も混んでいるし、今日のところはおいとましよう。
「分かりました。さっきお使いを頼まれたので、冷蔵庫に入れておくと伝えてください。」
「了解っ!きちんと伝えておくわ。」
奈月は、冷蔵庫に買い出ししたものを入れ、静かに病院を後にすることにした。
【3:望遠鏡の向く先は】
-1-
それから、終業式まではあっという間に過ぎる。
夏休み期間中に発生する流星群の観測会の計画、調査報告書のノウハウ、来場者への説明書。他の学校ではそこまで忙しい印象のない天文部だが、ここの天文部は違う。各学界から注目されているほどにうちらの最新機器による撮影技術や新星の発見率は高いのだ。
故に、たいていの学校では禁止されている屋上の使用を、天文部のみ許可されている。大体が観測会やそのリハーサルに使われるが、今回の流星群は広範囲で観測される予報があったためにみな躍起になって準備を進めている。
更に、今回の流星群が歴史的大規模であることも加えて、天文部は学校の看板を背負っているといっても過言ではないことは部員達には薄々感じていた。
部活もそうだが、勉学も大変だ。そろそろ受験に関しての話が出てくるところだろう。期末試験に関しては、各有名大学の過去問題もちょくちょく出してくると同学年間では噂になっている。すでにもう早い人は受験勉強を始めている。かくなる私も、塾に入るか独学で頑張るかの選択を迫られている。まぁ、天文部は受験勉強どころではないのだけれども。
そして、奈月は二週にいっぺんは陽日奈のお見舞いに行っている。陽日奈の話によると、そこまで重い病気ではないが治療に結構長い時間を要するとのことだ。かれは観測会までには気合で治すと言っている上に、期末試験をさぼれると息巻いている。心配をしている自分が馬鹿らしくなった瞬間であった。
-2-
そして、期末試験。
奈月は、本番に弱い。故に、テストシートが配られる瞬間までの休憩時間でさえ、緊張で手に汗が滲む。すでにそのガチガチ具合はクラスでも風物詩となり、全体の空気を和ませる。
「なっちゃん、なんでそんなにいっつも凍結したかのようにガッチガチなの。」
要は腹を抱えて笑いながら奈月の背中をバシバシと叩く。
「…終わった。」
「まだ終わってないからね。おちついて。ね?こっちもしんどい。」
そんなやり取りを繰り返しながら試験は始まる。担任の暮林から生徒へと、テストシートが全体に行き渡る。そして、開戦の笛が鳴り響く。
「試験時間は45分です。それでは試験を始めてください。」
「は、はひぃっ!!!」
そう。奈月は緊張のあまり担任の開始の合図に呼応してしまうのだ。
毎回のことなので、見慣れたものになってきたが、それでも教室全体は笑いをこらえながらペンを進める生徒は少なくない。暮林はもう注意をすることはやめた。
全教科の試験が終わる。
今までの緊張が一気に解けたのか、奈月はアスファルトの上で干からびたミミズのように机に突っ伏した。
「調子はどうよ、コリラックマ。」
「だーれがコリラックマじゃい。もう、できたかどうかわかんない。あたままっしろ。」
「そういって、なっちゃんいつも成績いいじゃん。みんなを笑わせて集中力をそぐ作戦だな?」
そういう作戦を立てたつもりはないが、奈月はいつも上位1割圏内には入っていた。
「かなちゃんに言われたってなんも嬉しくない。」
天文部の部長だけあって、さすがに矢沢要は頭がいい。いつもガリ勉男子と首位を争っている。いつも部活に熱心な上に、部活がない日はどこか星が見えるところに遠征に行くような活発元気少女。いったいいつ勉強しているのかわからない。聞いたとしても、星から学んでるとか訳の分からないことを言う。
「さてと、これからが本番ですぞ。姫。」
「コリラの次は姫ですか。分かってるよ。部活でしょ。」
「そゆこと。じゃ、行くよ!!」
手を引かれていわれるがままに連れていかれる。しかし、頭の中には1つの余念が芽生えてしまうのだ。
いつもなら、もう一人いるのに。
-3-
終業式にも、陽日奈は来ることがなかった。
クラスの皆も心配をし、お見舞いに行こうとするが場所は分からない。
総合病院だと皆はわかっているが、どこの病棟でどこの病室かはみなわからないようだ。
要は、奈月に問い詰め一度押しかけたことがある。陽日奈は要を見て驚いたが、彼女の性格上あり得ることだったので時に何も言われなかった。
奈月も、陽日奈には絶対に言うなと念を押された。この約束は絶対に守らなければならないと奈月は心に誓う。この約束はぜったに守らなければならない。本能的にそう感じてしまったからだ。
陽日奈は明るく、確かにクラスのムードメーカーとして皆を先導していたと思う。しかし、当の本人は集団を嫌い、親友と呼べる人間は幼馴染である奈月しかいなかったのだ。その、親友が私に頼み込んでいる。それは、裏切ってはならない、だから、約束は果たす。
「なんか、いつも悪いな。」
「ねぇ、アキ。」
「ん?」
「随分、痩せたね。」
陽日奈の腕は、全盛期の半分ほどに痩せこけていた。だんだんと痩せていく陽日奈の姿を見るたびに、胸が締め付けられる。
「あー、点滴生活だしな、しょうがないだろ。」
「何か隠してない?」
一瞬、そう。ほんの一瞬だ。陽日奈の瞳がピクリと動いた。自分でも認めたくなかった。なぜその一瞬を見逃さなかったんだろうと。必死に涙を堪える。
「バーカ。なんで俺がお前に隠し事しなきゃいけねぇんだよ。」
「…そう。」
何も言い返せなかった。いや、言い返す資格が自分にはなかった。
花梨の蜂蜜付けを光が照らし、黄金色に淡く光る。
-4-
「奈月。」
美星はベッドにうずくまっている奈月を心配そうに見つめる。
「…。」
奈月は返答をしない。寝ているわけではないが、答えることに使うのであれば、気力はもう少し使いようがあるかと思ったから。そういう言い訳を用意しよう。
「きっと、大丈夫だよ。」
そうであってほしい。いや、そうでなくちゃいけない。でないと、取り残されてしまう。
「だから奈月。」
「放っておいて!!!」
違う。お母さんにあたっても何も解決なんてしない。わたしは起こっているわけじゃない。焦ってもない。違うの。違う違う違う違う違う違う!
「…。」
「夕ご飯、出来てるからね。」
「…行く。ごめん。」
感情と、心がプレートのように交差し、脳に地震が起きる。すると、二次災害のように荒々しい言葉が出てしまう。
今できることは、何もない。その無力さが悔しい。
気づけば、奈月は陽日奈がいなくなってしまう未来しか見えなくなっていた。
【4:夜空に咲くアルビレオ】
-1-
観測会当日、夕刻になると大勢の人々学校の屋上に集まっていた。
もちろん辺りを照らす光は、黄金色に輝く夕日の光だけだ。それが沈めば、辺りは夜の優しい闇に包まれ、星が迎えに来るだろう。
「パンフレットをお持ちになっていない方は、こちらまでお越しくださーい。」
「お飲み物、配ってます。よろしければどうぞ。」
天文部員は、この観測会に参加したテレビ局や雑誌記者等の来客の対応をこなしながらも、望遠鏡等の機材のメンテナンス等の左飛業を行っていた。
「やれやれ、大忙しだねこりゃ。」
要が汗をタオルで拭いている。
奈月は、ひたすらカメラ等の機材の埃をとっていた。無心に作業を行わないと、気が狂ってしまう。そう思ったからだ。
「やあ少女よ。そっちはどうだい。」
「…問題はないかな。」
ぶっきらぼうに言葉を返すと、要は奈月の背中から覆いかぶさる。
「うわっ!!ちょっと、暑いってば!!」
要は、奈月の耳元に息を吹きかけた。
「ほら、これで涼しくなる。」
「阿呆!くすぐったいわ!!」
普段の何気ない会話で元気づけようとしてくれたのだろうか。少し要にも感謝をしないといけないな。めちゃくちゃ暑苦しいけど。
「…。心配?」
「…。うん。」
要の一言は、心を掻き出してくる。
そう、陽日奈がいないのだ。
もう、予想はしていた。分かりきっていた。
だって、あんなに痩せてたんだもん。
そう思ってしまうと、また目頭を筆頭に思いが込み上げて漏れ出しそうになる。
「ほら、あともうちょっと。がんばったら、ご褒美上げるから。」
ご褒美?今の私にご褒美なんてない気がするけど。要はそれをわかって言っているのだろうか。
でも、部員たちに迷惑をかけるわけにもいかない。そう思った奈月は漏れ出しそうな思いを心の引き出しにしまって、業務に戻った。
-2-
日が落ちて間もなく、予定通りに観測会は始まった。
周囲のライトアップを消し、会場を暗闇に閉ざす。その瞬間。
「「おおーっ。」」
歓声が沸き上がった。
それもそうだ。今日の天候は雲一つない快晴。何一つ障害物の無い空に、息をのむような星空が全体に広がる。天然のプラネタリウムといった表現が正しいだろうか。絶景という言葉が一番似合うだろう。
ひそひそ声で、テレビ局のアナウンサーがカメラを目の前にして話をし始めた。やはりプロ。それこそ星の数と例えることが正しいと言っていいほどのボキャブラリでこの情景を悠々と語る。
陽日奈も病室から見ているのだろうか。そんな思いが頭をよぎる。
奈月は、天の川を見つめた。
こと座のベガ、わし座のアルタイル、そして、白鳥座のデネブ。夏の大三角形の完成だ。
間もなく、流星群が観測されるであろう時刻になるだろう。天文学者や部員たちは、誰しもがわくわくする瞬間だ。奈月は手すりに寄りかかり、空を見上げた。
「おつかれぇい。」
「かなちゃん。」
となりに、結構頑張ったなと言わんばかりの表情をした要がいた。
「いよいよだね、流星群。」
「うん。」
期待と、不安、心配、興味。いろいろな感情が心に入り込み、渋滞を起こした。もう、考えるのはよそう。いまは、この歴史的瞬間を見ることが大事なのだろう。陽日奈もそう思っているに違いない。
「ほれ、ご褒美。」
要は奈月に手紙を渡した。
「なにこれ。手紙?」
「ペンライトあるから。読んでみ。ペンライトくらいならだれも怒らない。」
そう言われて渡されたペンライトを片手に、手紙の封を開ける。
「まぁ、なっちゃんがいないときに、行ったのさ。」
ペンライトを辿って、文字を読み進める。
「そしたらさ、急に私の事パシッてさ。書く物を買わせるわけ。」
意図せずに、頬に涙が伝う。
「で、書き終わったらこれを渡してって。」
とっさに上を向き、必死に探る。
「奴今スマホ使えないっぽいし。メッセ送るのもなって。キザなやつ。」
一点に見つめた奈月の視線の先に移ったもの。それは─…
―いわば主役を導いて助ける本当の主人公。僕はそう考えている。―
「アルビレオ。」
白鳥座の向く先は、総合病院だった。
「行ってきなよ。待ってるから。」
「ごめん、ありがと。」
-3-
『東奈月 様』
奈月は、全速力で自転車をこぐ。
『陽日奈です。』
(バカッ)
『まず、最初に謝らなければならないことがあります。』
空には、流星群が流れ始めている。
『僕は、貴女に病気が治ると嘘をつきました。』
(バカッ!)
『僕の病気は、恐らく治ることはないだろう重篤な病気でした。』
頬を涙を伝い、流れる汗と混じる。
『余命も宣告されました。』
(バカッ!!)
『あと半年も持たないそうです。』
小石に車輪が突っかかり、転倒した。
『そこで、一つだけ我儘を言わせてください。』
膝を擦りむいたようで、血が地面に滲んだ。
『流星群観測の日に貴女に会いたい。』
(…。バカァ…。)
『一瞬でもいい。どんな顔でもいい。ただ、貴女に会いたい。』
涙が止まらない。
『でも部活があるだろうから、そっちを優先していい。部活が終わってからでいい。』
行くしかないじゃん。こんなの。
『おわったら、会って、少し話したい。』
「うわああああああ!!!!」
『織姫と彦星、またあの懐かしい話をしよう。』
擦り傷が痛む。でも、そんなの気にしている場合じゃない。
『本当の主人公の話について、さ。』
奈月は死に物狂いで漕いだ。
『追伸』
流星が汗に反射する。
『今まで側にいてくれて、ありがとう。』
お願い。一人にしないで。
-4-
陽日奈は、相互病院の裏山で夜空を眺めていた。
「よかったわねぇ~、ここの7階と裏山が直結してて。いいもの見れたわぁ。」
「ありがとう。篠塚さん。」
看護師である篠塚は、車いすと点滴を固定し、空を見上げた。
夜空は、多数の流星群が流れている。
「学校までは行けないけど、同じ空を見れてよかったよ。」
「あら、あの彼女さんと?」
「ちがうちがう。あいつは彼女でも何でもない。ただの幼馴染。」
「あらやだ~。罪な男ね。」
茶化す篠塚に照れながらも、陽日奈は言葉を切った。
「そろそろ戻ろう。」
「あら、いいの?まだ外にいてもいいのよ?」
「いや十分満足した。流れ星にもお願いしたし。」
「あらそう。そのお願いの話は中でじっくり聞こうかしら。」
「拒否権を行使する。」
「ケチ。じゃあ戻るわよ。」
そういった瞬間だった。
「アキ!!!!!」
奈月が行き絶え絶えに病院への通路で立っていた。おそらく、喘息の症状だろう。ゼェーゼェー、ヒューヒューと、つらそうにしている。
「篠塚さん、ちょっと…って、いねぇし!!」
篠塚はいざという時に備えつつ、物陰に隠れていたのだ。
「あいつ、やばいって!!喘息が。」
「いい!!ゼェー。そこで…ヒュー。待ってて。」
奈月は、一歩一歩、遅くても着実に陽日奈に歩み寄った。
意識は朦朧としている。過剰に運動した分の酸素量が圧倒的に足らないのだ
「そんな、無理しなくても…。」
「大…丈…夫…!!!」
そして、とうとう陽日奈の目の前にたどり着く。と同時に、奈月は膝から崩れ落ちた。
「おい!!」
「…して…」
「?」
奈月は顔を俯かせたまま、陽日奈の膝を掴む。
「どうして、最初に行ってくれなかったの!!!」
「…。」
「どうして、"多分大丈夫"って言ったの!!!」
「…。」
「どうして、嘘をついたの!!!」
「…。ごめん。」
「骨折した時もそう!!!」
「…。」
「私の風船を取りに行って!!!転落して!!!」
「…。」
「変な方向に曲がっても、脱臼だから多分大丈夫って!!!」
「…。」
「嘘つかれた方が、余計心配するんだよ!!!」
「…。ごめん。」
陽日奈には、返す言葉がなかった。
「ねぇ、それこそ嘘って言ってよ。」
「え…?」
「死んじゃうなんて、嘘って、言ってよぉ…。」
奈月の顔は、泥と汗、涙でぐちゃぐちゃになっていた。
「…。」
「これからもずっと、ずっと、一緒だって、言ってよぉ!!!」
「…。」
陽日奈の頬にも、流星が流れた。
この場にいる全員が、幸せになることができない。どう頑張っても、現実からは逃れることができないのだ。
ああ、星よ。
もし、願いが1つだけ叶うならば。
カササギを呼んではくれないだろうか。
カササギが橋に変わって、離れ離れになってしまう私と陽日奈をつなぎ合わせてはくれないだろうか。
ああ、星よ。
願いが1つだけ叶うならば。
どうか、カササギを呼んではくれないだろうか。
星空の中、二人は見つめ合った。
「なんだよ、その顔。とっても奈月らしいじゃないか。」
「誉め言葉として受け取っとくね。」
お互いの"流星"が、頬を伝って交差する。
ああ、星よ。
願いが1つだけ叶うならば。
どうか、カササギを呼んではくれないだろうか。
流星の雨は、ただ静かに夜に咲く。
【5:それは導きの3等星】
-1-
晴れた真夏の空の下、猛火の如く降り注ぐ太陽光に照らされた奈月は項垂れながらいつものバスをまっていた。
(もう9月じゃん。なのに何なのこの暑さ。)
「もう9月じゃん。なのに何なのこの暑さ。みたいな顔してるね。」
お前はエスパーか。
この日は始業式だった。夏休みの課題をすでにあきらめて放置してはいるが、明後日から本格的にまた学校が始まる。
観測会は満足のいく結果だったそうだ。奈月がいなかった分、仕事量はかなりのものだったらしいが、誰も奈月を責めることはしなかった。その翌日に奈月は跡片付けの手伝いをした。
あの観測会の日の出来事は、一生忘れることのできない記憶となって私の心のど真ん中に居座っている。傷跡ではない。確かな記憶。思い出とは違う。
小説家ではないので、飾り付けられたきれいな言葉では言い表すことは出来ないが、そんなことは奈月にとってはどうでもいいことだった。
「私、星に関する職に就きたい。」
「いいんじゃない?似合ってると思う。」
そう思うようになったのも、この記憶のお陰だと思っている。
耳を塞いで目を閉じる。ただそれだけの動作で、人は宇宙の中に飛び込むことができる。何処にいるのかわからない、恐怖と好奇心の銀河へと泳いでいくことだってできる。私は、常にその銀河を追い求めていくような人間になりたい。
バスの座席に座ると、糸が切れたマリオネットのように奈月は肩を借りて寝てしまった。ここ数日間の出来事に疲れてしまったのだろう。
-2-
数日前、奈月と美星、そして要は陽日奈の母に病院へ呼び出された。
美星が運転する車の中で、奈月は窓の外を眺めながら要の手を握っていた。
「なっちゃんは強いな。私だったら泣いてるもん。」
「もう、出ないよ。出し切っちゃったし。」
覚悟はできていた。おそらく陽日奈のことで何かあったんだと思う。これが最後の面会になるかと思います。息をお引き取りになりました。そんな嫌な予想が延々と私の頭に降りかかってくる。
「要ちゃんも、ありがとうね。来てくれて。」
「いえいえ~。こんな時ですもん。行かなきゃって思ったんです。」
病院に到着すると、陽日奈の母が待っていた。笑顔を見せているが、少しばかりやつれている。そんなに寝れていないようだ。
ああ。やっぱり。私の予感は的中するんだ。予感なんてしなければよかったんだ。
「おまたせいたしました。こちらへとお越しください。」
篠塚さんだったかな。担当の看護師が来てくれた。案内のまま、一歩一歩陽日奈のところへと向かっていく。近づくにつれ鼓動が早くなり、耳に直接鼓動が聞こえてくるようになる。
ドクンドクン。この音がは生命の鼓動だ。ああ、なんで私は生きているんだろう。なんで私が代わりに病気にならなかったんだろう。生命の鼓動は、そんな負の感情をものともせずに力強く鼓動する。
「…。嘘。」
「なんだよー。せっかく少し元気を取り戻したってんのに。」
目の前には、点滴を携えてこちらに歩いてくる陽日奈がいた。
「ごめんね。お母さんたちと、要ちゃんはもう知ってたのよ。そしたら、要ちゃんがちょっと演技しようっていうから。」
「えっ!だからこんな驚いてんのか!?」
「えへへー。だってそっちの方が嬉しさは倍増するでしょ?」
奈月は、崩れ落ちた。疲れが一気に出たわけではない。騙されたことのショックでもない。
ただ、陽日奈が生きていることが、この上なく嬉しかったのだ。
「なんかさある日を境に、病気が回復傾向に傾いたんだよね。担当医の先生も驚いてたし、すっげーことらしいぜ。」
「なんだっけ?推測らしいんだけど、ちょっと食ってたもんに影響するのかな?的なことは言ってた。もしかしたら奈月がくれた花梨のお陰かも、なんて─
奈月は無言で陽日奈に抱き付いた。
「…。点滴とれちまうだろうが。」
奈月は離れようとしなかった。
「我慢してたのに。」
「え?」
顔を上げると、奈月は泣いていた。
「泣き虫。」
「うるさい。」
本当に良かった。生きてて本当に良かった。そう言いたかった。でも、喉が詰まってうまく言葉にできない。何とかして、何とかして、言葉を絞り出そう。
「あ…りがとう…エグっ。」
「…どういたしまして。」
観測会の夜は、今ではいい思い出だ。
-3-
そして、陽日奈は退院を迎えた。
陽日奈が病院から出ると、奈月がいた。
「おかえり。」
「いろいろ、迷惑かけた。」
「うん。」
陽日奈は奈月の膝を見る。包帯でしっかり覆われてはいるが、あの日見たときは、血がどくどくと出ていたのを覚えている。
「それ、いてぇだろ。」
「正直、死ぬほど痛い。」
普段強がりな奈月が言うのだから、かなり痛いのだろう。
「で?どうなの?病状は。」
「ああ。経過観察かな。回復の方向に向かってるし、もう結構リハビリで動けるようになったし。」
「そう。」
「なぁ、奈月。」
「えっ。」
「裏山、行かないか?」
夜とは違い、裏庭には植えられている木や花を見に来ている患者や子供たちがちらほらといた。
「昼、あんま行ったことなかったけど、割と木陰は涼しいね。」
「ああ。そうだな。」
「ねぇ。」
奈月が陽日奈を呼ぶ。陽日奈は、それを拒まずに耳を傾ける。
「私、あなたのことが好きだ。」
その言葉に、笑顔でこたえることにする。
「ああ。俺も奈月が好きだ。」
「じゃあ、何て呼べばいい?」
「いつも通りの方が落ち着く。アキでいいよ。奈月は?」
「好きに呼んでよ。でも、やっぱり今のままの方がいいかも。」
「ハハハ!やっぱりそうだよなぁ!」
「ほんと。」
告白なんて、初めてだ。それに、もう帰ってこないと思っていた人が今目の前にいるんだ。もう、どこにも行ってほしくない。ずっと一緒に居たい。その思いが告白へと自然に流れ着いたんだ。
ああ、星よ。
1つの願いをかなえてくれてありがとう。
カササギを呼んでくれてありがとう。
我儘かもしれない、欲張りかもしれない。
どうかもう一つだけかなえてくれないだろうか。
この橋を、壊すことなく永遠に架けたままにしておいてはくれないだろうか。
今宵も、天にアルビレオは咲く。
夜空に咲くアルビレオ めんだこ。 @Mendako_Medanko
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