【ヘンゼルとグレーテル】 スイートホーム

「お兄ちゃぁぁぁぁぁん!!」


 転がるように家畜小屋へ走ってきたグレーテルを見て、ヘンゼルはぎょっとした。


「そ、そうか、ついにぼくは食べられちゃうのか……」

「はあ、はあ、ちがうわ、コレを……」


 グレーテルが差し出したのは、悪い魔女が肌身離さず持っていた家畜小屋の鍵だった。


「すごいじゃないか! いったいどうやって……」

「いいから、早くそこから出て。急がないとおばあさんが目を覚ますかもしれないわ」


 ヘンゼルはガチャガチャと鍵を開け、速やかに脱出しようとした。ところが……


「出られない」

「なんですって!? お兄ちゃん、ふざけてる場合じゃないのよ!?」

「ふざけてるわけじゃないんだ。ただ、ちょっとお腹がつっかえちゃってて」

「もぉ、あたし、ひとりで逃げちゃうよ!?」

「何とか出るから待ってくれ。そうだ、こっちの腕を引っ張ってくれないか?」


 グレーテルは渾身の力をこめて兄の右腕を引っ張った。毎日水くみで鍛えていたおかげで、ヘンゼルをスポンとコルク栓のように引っこ抜くことに成功した。


「いててて、もう少し加減してくれよ」

「なに贅沢なこと言ってるの! さっさと逃げよう!」


 しかしヘンゼルはくんくんと鼻をひくつかせた。


「やだお兄ちゃん、またブタさんごっこ?」

「ちがうんだよ。なんだか焦げ臭いような……」


 そのとき、お菓子の家のほうでボンっと火の手が上がった。


「火事じゃないか!!」

「たぶんかまどの火が燃え移ったんだわ。さっきムダに薪をくべてきたから」

「なんのために?」

「だって、だって……どうせ食べられないパンなら黒焦げになっちゃえばいいと思ったのよ!!」


 妹の甲高い声に兄は耳をふさぐ。


「わかったわかった、ここを出て最初に手に入ったパンはぜんぶ君が食べていいよ」

「本当ね、約束よ!?」


 ふたりは手を取り合ってお菓子の家から逃げ出した。かまどの火はどんどん大きくなり、魔女ごと家を焼き尽くした。




 ヘンゼルとグレーテルは三日三晩森の中をさ迷った。その間、追いはぎや野犬に出くわしたが、魔女に比べれば何ということはなく、無事にみすぼらしい家に帰り着いた。

 父親は不機嫌そうに出迎え、母親が飢えと病で死んだことを告げた。


「元気出してお父さん。そうだ、このきらきらの石ころをあげるわ」


 石ころなんかで気がまぎれるものか。

 父親はうんざりしてグレーテルの小さな手のひらをにらんだ。

 それから、あんぐりと口を開けた。それは燃えさかる炎のように真っ赤に輝く、本物の宝石だった。


「えっ、グレーテル、いつの間にそんなものを拾ったんだい!?」


 ヘンゼルもびっくらこいてたずねた。


「おばあさんの家にあったのよ。あの人目が悪いから、きらきら光る小石とすり替えても全然気づかなかったの。こっちのほうがずっときれいなのにね」

「すごいよグレーテル! それ、ほかにもある?」

「いっぱいあるわよ。なんだ、お兄ちゃんも欲しかったの。あげようか?」


 グレーテルは手品師のようにポケットから宝石や真珠をジャランジャランと出した。


「やったあ! これでぼくたち、大金持ちだ!!」


 ヘンゼルは妹を抱きしめた。


「うわ、やだお兄ちゃん、お腹がぷよぷよだわ!」


 鼻にしわを寄せたグレーテルだが、ふと素敵な未来予想図が頭をよぎった。


「それって、毎日パンが食べられるってこと?」

「そうだよ」

「しなびたパンじゃなくて、焼きたてふわふわの白パンよ?」

「もちろん。パンもスープも肉もオマールエビも、毎日食べ放題だ!!」

「うわぁぁぁ、ステキ!!」


 いったいわが子たちは何をしてきたのか。父親はいぶかしんだが、財宝を持ち帰った子どもたちを追い返す理由はなく、喜んで迎え入れた。






 後年、あのお菓子の家の味がどうしても忘れられなかったヘンゼルとグレーテルは、自分たちでお菓子の家を建てた。「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」というグレーテルの発言により、この家は国じゅうの子どもたちの襲撃を受け、あっという間に無数の小さな胃袋の中に納まった。


 そんなわけで、ヘンゼルとグレーテルは子どもたちを飢饉から救った救世主となり、彼らのお話は後世まで語り継がれることになったという。

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