その897 緊急事態

 ◇◆◇ シギュンの場合 ◆◇◆


 一体いつからこうしているのか。そして、いつまでこうしているのか。

 ミケラルド・オード・ミナジリ――不本意ながら今は私の上役……という事になっている。

 私を追い詰めた時の覇気など、今は微塵も感じない。

 応接用のソファに愛用のクッションを【闇空間】から取り出し、顔をうずめている。


「んぉ~! ふごー!」


 今なら彼を殺せるかもしれない。

 それ程までに、今の彼は無防備だった。

 相変わらず読めない男……だけれど、あるじがこの状況だというのに、この執務室には私たち二人以外誰もいない。


 外は慌ただしいようだけど、一体何が?

 肝心のこの男は帰って来てからずっとこの調子だし――。


「……はぁ、ちょっと? いい加減そのだらしない格好はやめてくれないかしら?」


 そう言うと、彼はこぶりな臀部をフリフリとさせて拒否してきた。


「くっ! お尻で返事をするんじゃ――」

「――あぁああああああああああああああ~~~……」


 ダメね、壊れた時計の方がまだまともに動くわ。


「霊龍と話したんでしょう? 一体どんな無茶言われたのよ?」


 そこまでは宰相ロレッソから聞いている。

 けれど、彼がここまで追い込まれる状況が理解出来ない。

 気が付くと、彼は――


「……ようやくソファの正しい使い方を思い出したようね」

「私、今、世界一不幸な少年かもしれません」

「会話のしかたは忘れたままみたいね。それで、何があったの?」

「最短であと五十五時間ってところですかね」

「何の時間よ?」

「魔王が復活するんですよ」


 ……なるほどね?


「………………急ね」

「でしょ!? やっぱそうですよね!? せめて三、四ヵ月前くらいに言って欲しいですよね!?」


 言いながら、彼は私の足にしがみついてきた。


「ちょ、ちょっと! 放しなさいっ!」

「そりゃ通常復活の魔王だったらこんな切羽詰まったりしませんよ! でもね! 今回! 今回に限っては違うじゃないですかっ!? どっかの闇ギルドが勇者や聖女の成長を妨げたせいで! 過去最強っぽい魔王が復活するような雰囲気なんですよ! 『何でこんな時代に生まれて来ちゃったのかな?』って思っちゃうのも無理ないですよね!?」


 くっ、なんて力……この男、しばらく見ない間にまた強くなってる……!?

 そういえば、私がジェイルと訓練している間、この男はオリハルコンズ全員に分身体を付けて、強化訓練を行ってたとか……。


「おまけに魔族の私は魔王様に攻撃出来ないとかどんな縛りプレイですかって話ですよ!? 民衆とか民衆とか民衆はそんな事はわからないだろうし!? 『あの吸血鬼、あんなに強いのに女子供を魔王の矢面やおもてに立たせやがって! 最低だな!!』とか言われちゃう訳ですよ!?」


 っ! 仮にもオリハルコンズは世界で唯一無二のSSSトリプルランクパーティー。そんな強者たちを前に、分身した身で戦闘訓練を? 全員……? いえオリハルコンズ彼らだけじゃない。ミケラルドの分身体は、並行して【魔導ギア】や【魔導艇】を作成していた……!?

 そんな複雑な魔力操作……一体どうやって……!?

 もしかしてオリハルコンズの訓練は全て……彼が、自分自身のために……!?


「これはどういう状況?」


 元首執務室にノックなしで入って来られる存在は少ない。

 ロレッソとはいえ、そんな事はしない。

 そんな事が出来るのは、水龍リバイアタンリィたんか……この高い軍事センスを有するナタリーこの子だけ。

 ナタリーは呆れた様子で私を見た。


「困ったら悲鳴の一つでもあげればミックはすぐ離れるのに……」

「う、うるさいわね。ほんの少しだけこの吸血鬼があわれだっただけよっ」

「だって。よかったね、ミック」

「遂にシギュンさんにもあわれまれてしまった……ん? 何でナタリーがここにいるの? 緊急世界テレフォン会議は?」


 この吸血鬼、世界会議に出席せずに私にしがみついてたの?


「一瞬で終わっちゃったよ。皆慌てて準備に向かったわ」

「他国の王たちは準備してる中、貴方は慌ててるだけなのね」

「嘆いたり、悲しんだりしてますよ!」


 屁理屈をこねさせたら世界一ね。

 それにしても、彼女はそこまで慌てていないようだけど……?


「妙に落ち着いてるのね?」

「まぁ、ここまできたらなるようになるとしか言えないもんね」

「楽観視……という訳じゃなさそうね」

「アナタの足にしがみついてる人がね、何とかしてくれるから」


 そう言われ、私は再び自分の足に視線を戻した。


「随分信頼されてるのね」

「え、えへへへ……」

「でも、魔王に矛を振れないこの男に一体何が出来るっていうの?」


 私がそう聞くと、ナタリーは腰に手を置き、胸を張って言う。


「勿論、魔王を倒すのよ」


 ……信頼。

 そんな簡単な言葉だけでは片付けられないだけの自信が、彼女にはあった。

 彼女の中に根拠などないはず。

 でもナタリーは言い切った。

 そして――、


「あ、そうそう。シギュン」

「何よ?」

「逃げるなら今の内にお願いね」

「…………は?」

「明日までここにいたら戦力として考えるから」


 この私を選択に追いやったのだ。

 本当に抜け目のない嫌な女。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る