その843 スナックしぎゅん2

 遠目に見える妖しい光。

 女の唇を象った赤いネオン。

 店名を一文字ずつなぞるようなピンクネオン。

 見るからに異質。

 首都ミナジリに起きた異変に、冒険者ギルド受付嬢であるネムは木の木陰から様子を探っていた。疑念溢れる表情で。


「……アヤシい」

「その木の枝は、頭に被ったり持たなくちゃいけないものなの?」

「えぇ、これはカモフラージュと言って、ミケラルドさんが教えてくれたんですが……ん?」


 ネムは言いながら声がした方を振り向いた。

 すると、そこにはネムの先輩受付嬢に当たるニコルがそこに立っていたのだった。


「ニ、ニコルさんっ! ど、どうしてここにっ?」

「どうしてって、ネムの行動が怪しかったからでしょう」

「え、どこがです?」

「隠れてこんな事してるじゃない」

「むぅ……確かにそうかもしれません」

「それで、何をしてたの?」

「あそこに出来たお店なんですけど、何でも一見さんお断りらしくて、ほとんどの人が入れないらしいんですけど、どうもアヤシい雰囲気なのでちょっと探りを入れようと」

「ネム、自分の職業を忘れた訳じゃないでしょうね?」

「もっちろん! 私は冒険者ギルドの受付嬢ですから!」


 胸を張り、鼻高々。ネムの大見得にニコルはこめかみをおさえつつ、諭すように言った。


「いい? こんな怪しい行動してたら竜騎士団の方々に連れて行かれてしまいますよ?」

「大丈夫です、私ここらへんではですから」

「ミケラルドさんの専属だからという事を忘れないように。それと、威張って言うような事ではありません」

「うぅ……はーい」

「よろしい、それじゃあ帰るわよ」

「え、覗いて行かないんですかっ?」


 スナックしぎゅんを指差しながら困り顔をするネム。


「一見さんお断りなんでしょう? 入れるはずないじゃない」


 ニコルが言うと、ネムはしょぼんとしながらも、トボトボと歩き出した。

 そんな二人の背中を止める声が響く。


「天が呼ぶ! 人が呼ぶ! お前じゃないと助け呼ぶ!」

「「ぇ?」」


 二人の間の抜けた声が小さく響く。

 視線はネムが隠れていた木の上。


「とぅ!」


 木の上から飛び降りる謎の陰影。

 数回の回転の後、「しゅた!」という着地擬音を口にした男の正体とは。

 長く黒いジャケットと、黒のパンツ。

 黒銀の髪をたなびかせ、目元を覆うオペラマスク。


「我が名は【燕尾服仮面】!」


 燕尾服仮面は高らかにそう叫び、奇抜なポーズをとる。

「お二人とも、お困りのようだね!」


 快活な声が響くも、ネムもニコルも反応が出来ずにいた。夜も深くなってきたというのに、オペラマスクをした燕尾服仮面が現れれば誰しもそうなってしまうだろう。

 しかし、ネムはいち早く気づけたのだ。

 その独特な黒銀の髪に。

 そして、その奇抜なポーズと、えて不審者を演じる存在の心当たりに。


「ミケラルドさんですよね?」

「我が名は燕尾服仮面!」

「いや、どう見てもミケ――」

「――お困りのようだね!!」


 ネムの言葉を遮るような言い方。

 これにニコルが理解を示し、ネムに耳打ちしたのだ。


「正体を知られたくないようです」

「相変わらず回りくどい事をしますね、ミケラルドさんは……」


 やれやれと肩を落としているネムは、仕方なく燕尾服仮面の話に付き合った。付き合ってあげたのだ。


「えーと、はい。私たちは困っています」

「それはもしかしてあの店に入りたいんじゃないのかいっ!?」


 ここでネムとニコルはようやく気付く。店がミケラルドの管理下にあるという事に。

 二人は視線を交わした後、ミケラルドを見た。

 そして、ネムが言ったのだ。


「そうです。入りたくて、でも一見さんお断りって噂を聞いて困ってたんです」

「ふはははは! そうじゃないかと思っていたよ! さぁ、これを使うといい!」


 差し出された二枚の会員カード。

 これを見た二人の顔をやや歪む。


「これ、大丈夫なお店なんですか……?」

「不安になってきました……」


 しかし、二人がカードから視線を戻した時には――、


「うわ……いなくなっちゃいました」

「口コミで広めてるんでしょうか。それとも何か狙いがあるんでしょうか? ミケラルドさんの事ですから、何かしらあるんでしょうけど……ネム、入ってみる?」


 ニコルが聞くも、そこにもうネムはいなかった。


「あ、ネムっ?」


 見れば、ネムは既にスナックしぎゅんに向かって歩いていた。ニコルは呆れながらも、これに付き従うように歩き始めた。

 近付くネオン。香る酒気。

 近付くにつれて、ネムとニコルは違和感を強くしていく。


「こ、これって……魔力?」

「かなりの強者ですね。これは冒険者というより、ミナジリ共和国の三強に近い魔力……どうします、ネム?」

「は、入りますよ。別に怖くないですしっ!」


 言いながら、ネムの声はかなり上ずっていた。

 薔薇の彫刻の凹面にミスリルが流し込まれた煌びやかな扉をノックし、ネムがうかがうように言う。


「あのー……」


 店の中からは何の反応もなかった。

 しかし、会員カードが反応を示したのだ。

 二人の手に持つカードが光り、扉を開けたのだ。

 顔を見合わせるネムとニコル。

 おそるおそる店に入ると、そこにいたのは――、


「あら、新顔ね?」

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