◆その831 対話2

 シギュンがミナジリ共和国にやって来た翌日。

 ナタリーがミケラルドを詰めた直後の事。

【スナックしぎゅん】の前では、ナタリーが鼻息をふんすと荒く吐いていた。


「もぉー……ミックの趣味悪すぎ……」


 首都の外れとはいえ、【しぎゅん】はミケラルドの夢と希望が詰まった大人のお店。息巻いていたナタリーだったが、呆れ半分、困惑半分の表情に変わり果ててしまうのも無理はなかった。

 ナタリーはコホンと咳払いをした後、【しぎゅん】の扉をノックした。

 ノックの後、店からは何の返答もなかった。

 しかし、扉の解錠はすぐだった。

 ガチャと開く扉。

 扉の隙間からナタリーを覗くシギュンの瞳、シギュンを覗くナタリーの瞳。

 その二つが合わさり、微かな沈黙が流れた。


「……どこかで見た顔ね」

「……お久しぶりです」

「何の用?」

「ミックの事で聞きたい事があって来ました」

「直接聞けばいいじゃない」

「ミックがとぼけると絶対に口を割らないって知ってるでしょう?」


 再び流れる沈黙と、交わり合う視線。

 面倒くさそうな表情を見せるシギュン。

 しかし、遠目に映ったある場所に気付いたのだ。

 そう、動く茂み、、、、に見える黒銀の頭髪を見て、考えが変わったのだ。


(ふふふ、珍しく動揺してるみたいね……)


 ナタリーに視線を戻したシギュンは、そのまま店の奥へ消えていく。


「お酒はダメよ」


 背中で言うシギュンと、


「ご心配なく」


 淡々と返し扉を潜るナタリー。

 ドアベルがちりりんと鳴り、ナタリーが最初に目にしたのは――、


「ちょ、ちょっとそれっ!」

「何?」


 ナタリーはシギュンを指差し慌てた様子。

 それもそのはずで、シギュンは肩にタオルを掛けているだけで、それ以外はショーツ一枚しかその身にまとっていなかったのだ。


「あぁ、これ? お風呂に入ってたのよ。何、気になるの?」

「気になるとかそういう話じゃなくて……!」

「別に女同士でしょ? それとも何? アナタそういう気があるの?」

「ち、ちがっ!?」


 顔を紅潮させるナタリーだったが、その状況には耐えきれなかったのか、すぐに【闇空間】を発動してシギュンに着替えを提供したのだった。

 シギュンはそんなナタリーの様子にくすりと笑ってから、着替えを始めた。

 しかし――、


「あら、これ?」

「あ! それお父さんのっ!?」


 ナタリーは慌ててしまったのか、クロードのシャツをシギュンに渡してしまったのだった。


「確か、お宅の元首が勝手に決めて、牢番オルグが貯めてたポイントの最終段階がこれだったかしら? なんていったかしら? あぁそうそう、裸ワイシャツだっけ?」


 くすくすと笑うシギュンと、元首と自分の失態を恥じるナタリー。


「い、今お母さんの服を出すからっ!」

「いいわよこれで」


 言いながらシギュンはカウンターの中に入って行った。

 そして、グラスを取り、冷凍庫から氷を取る。


「これ便利よね、ミナジリ共和国じゃ普通なのかしら」

「ミックのアイディアだから」

「そう、でも驚いたわここ。まさかときの番人のほとんどが揃ってるとは思わなかったから。あの中でいないのなんてエレノアと魔人だけでしょう。ふっ、そのエレノアももうこの世にはいないなんてね」

「ミックが頑張ってくれたからね」

「それで、アナタは何をしたの?」


 この質問に、ナタリーが一瞬ピクリと反応を見せた。

 シギュンがえてその質問をしたかのように、ペロリと舌を出して笑って見せた。


「……ミックの後ろに隠れてたよ」

「あら、それくらいはわかるのね。闇ギルドでもね、『ミケラルドの金魚のフン』なんて言われてたのよ、アナタ」

「知ってる。ナガレに聞いたから」

「何よ、せっかくからかってあげたのに」


 肩をすくめるシギュンに対し、ナタリーは冷静にグラスを指差した。


「ミルクちょうだい」


 しかたないという様子で、シギュンはナタリーにミルクを注ぐ。そして話を続けたのだ。


「でもね、アナタは常に暗殺リストの上位にいた」

「過大評価だよね、ほんと」


 困り顔を浮かべ、先程のシギュンのように肩をすくめたのだ。


「聖騎士学校にいる時には理解出来なかったけど、今ならわかるわ。エレノアの判断は間違いじゃなかったって」


 ナタリーの前にミルクが置かれる。


「不思議とミックも同じ事を言ってたね」


 ミルクを受け取ったナタリーがそう言うと、シギュンは酒に少しだけ口を付けてから言った。


「クロード新聞の著者、エルフのクロードと冒険者のエメラとの間に生まれた世にも珍しいハーフエルフ、ナタリー。特異な出生故に幼少期をリーガル国から隔絶されたこの地で育ち、健康的に成長。けれど、ある日突然、闇奴隷商によって捕まり魔族四天王スパニッシュ・ヴァンプ・ワラキエルの下に売られる。吸血鬼の餌として用意されたアナタが初めてミケラルドと出会ったのが魔界。凄いわね、私を前にしても怯まないその胆力は魔界で培ったものなのかしら?」

「どうでしょうね」


 ナタリーは答えをはぐらかすようにミルクをちびちびと飲んだ。


「う、そ。本当はわかってるんでしょう? アナタの頭の中には数えきれないくらいの打算とそれを裏打ちする計算がある。わかるわよ、そのくらい」

「……そうですね」

「さっきから口調が変わってるわよ? 正確に私との距離をとってる証拠。私が一歩進めばアナタが下がる。決して私を近付けさせないその防衛本能に近い計算は、そう易々と出来るものじゃないわ。ちょっと似てるわ、あの子、、、に」

「あの子?」


 そう言って小首を傾げたナタリーだったが、シギュンは更に言葉を続けた。


「さっきの話の続きなんだけれど、アナタ、魔界で伝説の回復魔法――天使の囁きエンジェリックヒールを使ったって本当?」

「……わからない。私はその時気絶してたから」

「今はもう死んじゃったからもうわからないのだけれど」


 シギュンはそう前置きをしてからナタリーに告げる。


「エレノアはそれを知った時、大きく動揺していたわ」

「……え?」

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