◆その825 一応の終止符4

 牢の中にあった一本の短剣。

 それを見た直後、ゲバンがニヤリと笑う。

 無人の牢には、見張りの一人もいない。

 通路の様子をじっと見るも、誰も来る気配がない。


「ははは! クソ親父も情にほだされたか! どこまでも情けない奴だ……!」


 短剣を手に取り、ミスリルの格子こうしから片方の手首を出す。牢の鍵穴に短剣の先を入れ、ガリガリと解錠を試みる。


「はぁはぁはぁ……!」


 荒い呼吸の中、ゲバンは何度も何度も短剣をねじ入れる。


「クソ! クソ! クソッ!」


 しかし、解錠は叶わなかった。

 昼過ぎ、夕刻、夜が深くなり始めてもゲバンの行動は決まっていた。牢の解錠が出来なければ手錠の解錠を試み、それが無理ならば格子そのものに攻撃を加えた。どれだけ音が響こうとも、ゲバンはそれを気にする様子はなかった。

 命がかかっているのだ、なりふり構ってはいられなかった。

 何度も、何度も、何度も。


「クソ爺めっ! 最初から鍵を用意しておけばよかっただろうがっ!!」


 怒りを溢れさせ、悪態を響かせる。


「水もない! 大体食事はまだなのか! 俺が復帰したらライゼンもクリスもオルグも全員殺してやる! クソが……クソがっ!!」


 怒りのあまり短剣は投げ捨てられ、キンと響く牢内。

 脂汗をにじませ、疲弊したゲバンが、寝台にどっと腰を落とす。

 肩口で汗を拭い、その視界が開けた直後、ゲバンはバッと立ち上がり緊張を露わにする。

 壁を背にし、通路の奥に映る陰影を睨む。


「だ、誰だっ!」


 その声に一切の反応はなく、ただコツコツと足音が聞こえるのみ。

 投げ捨てた短剣を拾い、警戒するゲバン。

 やがて通路の小さな灯りがその者を照らし出す。


「お……お前は!?」


 そこに立っていたのは――、


「シ、シギュン……!」


 そう、ルークから解き放たれたばかりのシギュンがそこに立っていたのだ。


「い、生きて……いたのか……!?」


 慌て、しかし警戒度をあげるゲバン。


「くっ……!」


 ゲバンが短剣をシギュンに向ける。


「馬鹿ね」

「何っ?」


 腕を組み、見下すようにシギュンが言う。

 ゲバンはほうけた顔を向けると、シギュンは更に続けた。


「わかってないのね、クルスのシナリオを」

「シナリオ……だと?」

「その短剣が何のためにあるかって事よ」

「何を……言ってる」


 言いながら、ゲバンが短剣をちらりと見る。


「法王クルスの最後の情けでしょう? 自責の念に、、、、、かられての自決、、、、、、、、それ以外にその短剣の使い道はなくってよ」

「は? 自決だと?」


 シギュンの言ってる事がまるで理解出来ていない様子のゲバンが、鼻で笑い飛ばす。


「はっ、そんな事ある訳がないだろう」

「どこまでも馬鹿なのね。それがクルスとアイビスの最後の望みだというのに」

「貴様……俺を誰だと思っているっ!」

「脳無しの一般人、でしょう?」

五月蠅うるさい、黙れ!」

「まぁ、一縷いちるの望みも叶わないようじゃ、あの二人も報われないわね」

「ふはははっ! 闇に身を落とした屑がどの口で言うっ!」

「今の貴方はそれ以下だと思うのだけれど?」

「くっ……! お前こそ忘れてるんじゃないのか?」

「何かしら?」


 ニヤリとゲバンが笑う。


死ね、、ぇ!」


 奴隷契約の力の行使。

 しかし、ゲバンの声は虚空に響くばかりである。


「な……何?」

「わかってないわね、そんな力もうなんの意味もないの。それに、ここでどれだけ大騒ぎしても誰も駆けつけてくれないから」

「な!? ど、どういう事だっ!」

「さぁね。自決を選ぶまでのせめてもの温情か……それともこんなくだらない男のために労力をかけたくないだけか。まぁ、それはどちらでも構わないわ」


 言いながら、シギュンが胸元から何かを取り出した。


「これ、何かわかるかしら?」


 ゲバンの目に映ったのは――、


「そ、それはここの鍵かっ!」


 笑みを浮かべるゲバン。


「よこせ!」


 格子から手を出すゲバンをシギュンが嘲笑あざわらう。


「無様ね」

「五月蠅い黙れ! お前はさっさとそれをよこせばいいんだ!」

「ふふふ、そう焦らないでも開けるわ」

「おぉ……!」


 安堵の表情を見せるゲバンに、シギュンが微笑む。

 牢の鍵を解錠し、扉を開く。


「は……ははは……!」


 すぐさま牢の外に出ようとしたゲバンだったが――、


「ぐはっ!?」


 シギュンによって壁まで蹴り飛ばされてしまう。


「シギュン……貴様、何を……!?」

天網恢恢てんもうかいかいにしてらさず……ってところかしら」

「何を……言っている……?」


 うずくまるゲバンがシギュンを見上げながら言う。


「ふふふ、私が言えた事じゃないけどね」


 そう言って、シギュンは自嘲じちょう気味に笑う。


「私が牢を開けたのはこの中に入るためよ。今回ばかりは私の意図しない事だったし、クルスの願いをんであげようと思って来ただけ。どうせ、結果は同じ、、、、、だから」


 そう笑って見せたシギュンの顔を見て、ゲバンが背筋を凍らせる。


「お前……まさか……!?」


 直後、


「グッ!? カハ……!?」


 シギュンはゲバンの喉元に短剣を突き立てたのだ。


「どう? もう声は出せないでしょう?」


 言いながら、シギュンの手に力が入る。

 少しずつ、少しずつ短剣が喉に突き刺さっていく。


「か……ふ?」


 ゲバンの声にもならない声が牢に響き、シギュンがまたにやりと笑う。


「まだ終わらないから安心して?」


 言いながら、シギュンが取り出したのは小さなティースプーン、、、、、、、

 それが一体何に使われるのか。ゲバンは理解出来なかった。

 しかし、シギュンの言葉が全てを物語っていた。


「夜は長いから」


 その夜、牢には悲鳴すら響かず、呼吸が漏れるような断末魔が響き渡った。

 翌日発見されたゲバンの死体。

 喉元から頭部にかけてまで貫かれた短剣。

 転がる二つの眼球。

 そして、血塗れのティースプーン。

 騒然となったホーリーキャッスルだったが、その結果にクルスとアイビスは安堵したのだった。

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