◆その803 くいんのばあい

 法王クルスの第一子、ゲバン・ライズ・バーリントン。

 クルスの孫であり、ゲバンの娘である――オリヴィエ・ライズ・バーリントン。

 この二人の行動には大きな無理があった。

 まず、ゲバン。

 元聖騎士、元ときの番人のクインに指示を出したのがそもそもの間違である。クインが動いた事を知ったミナジリ共和国は動じる事なく対処するとオリヴィエに宣言をした。

 だが、オリヴィエがクインの動きを知り、ミナジリ共和国に来るまでの時間はおよそ四日。クイン程の実力者が動けば、一日もあればミナジリ共和国へ向かう事が出来るだろう。


 つまり、オリヴィエがミケラルドに密書を渡した時、既にクインはミナジリ共和国へ潜入していたのだ。

 三日という空白の期間があったにもかかわらず、クインは行動に移さなかった。否、移せなかったのだ。


 建物の陰に潜み、空を見上げる女。

 額に脂汗を、静かながら荒い息。

 闇夜に紛れ、魔力の痕跡も消している。

 それでいても尚、クインはミナジリ共和国の異常を思い知らされた。


(何なのだ、ここは……!)


 空を警戒するパーシバルとグラムス。

 この師弟コンビの魔力網をかわすだけで精一杯。

 右へ行けば【ビジョン】を利用した監視網にひっかかり、左へ行けば竜騎士の警備に見つかる。


(この私が……動けないだと……?)


 ミナジリ共和国に入ったばかりとはいえ、クインの実力をもってしても、潜入は遅々として進まなかった。

 焦りと極度の緊張が生む集中力低下。

 一時たりとも気が抜けない状況で、クインの動悸は更に激しくなった。


「はぁはぁはぁ……」


 幾重にも張り巡らされた魔力網、警戒網に魔力も体力も奪われ、次第にクインの呼吸が荒くなる。

 これ以上進む事は自死と同義。

 クインは、クインの身体はそれを理解していた。


(無理だ……ミナジリ共和国の武力を侮っていた……! ここは既に魔界以上のとんでもないところになっている! くそ、逃げるしかないのか……!)


 そんな中、クインにとって僥倖ぎょうこうともいうべき出来事が起こった。


(っ! あれは……!)


 クインの視線の先に、殺害対象であるクロードとエメラを見つけたのだ。仲良く話す二人の帰路。闇から現れ、灯りに照らされる二人を捉え、クインがニヤリと笑う。


(この距離ならば――!)


 背中から巨大な剣を引き抜き、猛獣のように深く腰を落とす。地を這うように駆けたクインの一撃が二人を襲う。


(一撃で二人とも斬り裂いてやる!)


 その剛剣は、たとえ聖騎士ですら一撃で殺傷出来る威力を有していた。


った……!)


 斬り裂かれる二人、笑みに染まるクイン。

 ミケラルドへの復讐が一つ成った。

 ミナジリ共和国に大ダメージを与えるクインの一撃は、軽やかな声で一蹴された。


「はい、カーットッ!」


 天から照らされる円状の光。

 右から左、左から右、至る所から光を照らされるクイン。


「なっ!?」


 周囲を見渡すクインが声の方へ向く。

 そこには上着の袖口を胸元で結び、サングラスをかけた怪しい男がいた。高い位置から丸めた紙をクインに向け見下ろす。


「よかったよクインちゃん! 鬼気迫る演技頂きました!」


 クインはすぐに理解した。

 それが自分の復讐対象その人であると。

 だが、クインは動けなかった。微動だに出来なかったのだ。

 クインを照らす光。

 光は光魔法【ライト】によるものだった。

 その発動者は無数にいた。


「くはははは、久しぶりじゃのうクイン!」


 元ときの番人サブロウ。


「さっきの間抜け面は最高だったね、見たかい?」


 同ナガレ。


「ヒヒヒヒ、ちょっとばかし実力を上げたようだねぇ」


 同メディック。


「クインさん、暗殺にその剣は不向きでしょう。というより、その身体で暗殺者はないでしょう」


 同カンザス。


「動けば制圧します」


 同ノエル。


「せめて変装するとかあったでしょう。脳みそは相変わらず筋肉でできていらっしゃるようで」


 同ホネスティ。


「いや~、見つけてないように振舞うの大変だったよ」


 同パーシバル。


「お、お前たち……! 生きていたのか!?」


 クインの疑問はもっともだった。

 パーシバル以外、ときの番人は行方が知れなかった。暗部として動いているものの、そのメンバーがミナジリ共和国の軍部はおろか、他国に知られる事などまずない。

 先の大暴走スタンピードでさえ、ミケラルドは他者に暗部のメンバーを見せないよう、単独で動いた程だ。

 だからこそ、クインの衝撃は大きかった。


「貴様ら……裏切ったのか……」

「さて、どうじゃろうな?」


 サブロウが言うも、その言葉はクインに届いていないようだった。ときの番人の大半が雁首そろえてミナジリ共和国にいる。ただその事実だけがクインを動かした。

 見れば、斬り裂いたエメラとクロードの死体もない。

 それもそのはずで、二人の正体はミケラルドの分裂体だったのだから。全てを見透かされ、ミケラルドの掌の上で転がされている事を理解したクイン。

 その怒りは限界を超え、憤怒となってミケラルドに向けられる。


「ミ……ミ…………ミケラルドォオオオオオッ!」


 クインの殺意がミケラルドに向いた瞬間、暗部が動く。

 腕を制し、足を制し、倒れるクインは暴れる事すら許されない。


「ちょっと待っててねー……今、映像をチェックしてるからー」


 響くのは、飄々ひょうひょうとした男の、飄々とした言葉だけ。

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