◆その622 上司と部下

 ラジーンが暗部に所属する元闇人やみうどたちを訓練している中、一人の少女がそこへやって来る。ここは元ときの番人の強者ナガレの匕首ひしゅや、ノエルの投げナイフが飛び交う場所。そんな中、何の警戒もなしに歩いている少女を見て、サブロウが少女に声を掛ける。


「これ、ここは危険じゃよ」

「あ、サブロウさんだ」

「ん? お主は確か……ナタリー、、、、じゃったか?」


 ハーフエルフの少女ナタリーがサブロウに笑いかける。


「ミナジリ共和国の重鎮がこんなところに何の用じゃ?」

「ん~と、ラジーンに呼ばれちゃって」


 言いながらナタリーがキョロキョロとラジーンを探す。

 そこへ間髪容れずにやって来るラジーン。


「これはナタリー様、ようこそいらっしゃいました」


 ナタリーにひざまずくラジーンを見て、周囲で訓練をしていた強者たちの動きが止まる。


「あれが聖騎士学校に入学さえしなければ誘拐リストの最上部に来ていたって話のナタリーですか」


 ノエルが遠目からナタリーを見て言うも、


「ケッ、あんな小娘一人に一体どれだけの価値があるっていうんだいっ」


 ナガレは悪態を吐くばかりである。

 すると、カンザスが言った。


うそまことかわかりませんが、あのフェンリルを調教し、ミケラルドの手綱を握る事の出来る陰の支配者だとか」

「はっ、そんな事誰が言ったんだい? エレノアかい?」


 その発言をいぶかしんだナガレが、かつての仲間の名前を挙げるも、カンザスは首を横に振った。


「あぁ? じゃあ誰からの情報だい?」

「ミケラルド本人ですよ」

「…………自分で『自分の手綱を握ってるヤツがいる』なんて言うのかい、アイツは」

「言いそうですね、あの方なら」


 ノエルが同意し、カンザスがやれやれと肩を竦める。

 すると、二人の後ろから薄気味悪い笑い声が届く。


「ヒッヒッヒッヒ、ラジーンもあんな小娘に頭を下げてるようじゃまだまだだね」

「メディック殿、あの小娘は上司ラジーンの上司。ならばあの態度は当然なのでは?」

「ホネスティ、たとえミケラルドに血を吸われていようが、我々にそこまでの強制力はない。ま、それがミケラルドの甘いところでもあるがな」

「確かに、あれだけの能力を持っているのに我々に自我を残すとは……些か手抜き感を覚えますね……ん?」


 二人の会話の中、ホネスティが眉をひそめる。

 遠目に見えるナタリーの顔が、徐々に不機嫌になっていくのだ。

 対しラジーンは、すがるような態度でナタリーに何度も頭を下げている。


「ありゃダメだね。闇人やみうど失格だよ」


 ナガレが言い、


「ポンコツラジーンが……」


 メディックがラジーンを下に見る。

 最後にラジーンがホッとした様子を見せると、ナタリーは大きな溜め息を吐いた後、皆の下へ向かって来たのだ。

 ナタリー、ラジーンの隣にいたサブロウが目を丸くする中、元ときの番人たちは首を傾げた。

 皆の前に恥ずかしそうに立ったナタリー。その場にナタリーがいる理由を述べるラジーンに、皆が驚愕する。


「本日はナタリー様の貴重なお時間を頂き、我々の指導に当たってくださる」

「「……は?」」


 皆の疑問は募るばかり。

 十三の少女が元とはいえときの番人の指導。それがどれだけ異常な事なのか、自明の理と言えた。しかし、皆が疑問を顔に浮かべる中、この中でただ一人だけがその意味を理解していた。

 ときの番人をいち早く抜け、今日この場で寡黙に過ごしていた……本来寡黙でない少年――先日クロードのインタビューを受けた破壊魔はかいまパーシバル。

 彼だけがナタリーがこの場にいる意味を知っていた。

 彼は先日ナタリーから直接聞いていたのだ。フェンリルワンリルを躾けたのが自分であると。

 ナタリーは簡単な挨拶を済ませた後、ラジーンが聞く。


「ではナタリー様、彼らに命を」

「うーん、お茶が呑みたいかな」

「お茶……ですか?」


 それを聞き、ナガレの顔が歪む。


「はっ、まさかアタシたちにお茶汲みをやらせようって?」

「違うよ?」


 ナタリーは微笑んだままナガレに言った。

 ナタリーの言葉の意図を汲み取っていたラジーンが恐る恐る聞く。


「ほ、本日はどちらのお茶をご所望でしょうか?」

「まぁ、最初だし慣れてるところがいいよね」

「であれば……」

「そ、法王国」


 と、そこまでナタリーが言った段階で皆は目を丸くした。

 ナガレが頬に汗を一つ流し言う。


「ま、まさか法王国の茶を買って来いだなんて言わないよねぇ」

「そうだよ」


 あっけらかんとした表情でナタリーが言うも、それがどれだけ恐ろしい発言なのかサブロウは喉を鳴らして周りを見た。

 しかし、サブロウが周囲の反応を見るよりも早くナタリーが場を制したのだ。


「夕方までにお願いね。遅れて来た人には……うーん、何か罰を考えておくね。それじゃー、よーい……ドンッ!」


 直後、動いたのはラジーンとパーシバルだけだった。

 ラジーンは血相を変えて走り出し、パーシバルもまた慌ててエアリアルフェザーを発動した。

 二人がナタリーの指示に脊髄反射のように従う理由。

 それは皆にはわからなかった。しかし、これだけはわかったのだ。


 ――たかが茶のために他国へお使いへ行かせる無垢な少女が思いつく罰。


 それを考えただけで、元ときの番人は皆一様にかぶりを振った。それはきっと皆が考えも及ばない罰なのだから。

 皆、疑心暗鬼になりながら、訳もわからず走り始めた。

 彼らにとって目に見える恐怖は対処出来る。しかし、未知なる恐怖に対しての対処は不可能に近いのだ。

 それを知ってか知らずか、ナタリーは行使した。


 ――フェンリルを躾けたハーフエルフの少女。


 そう、皆の頭にあったのはそれだけ。

 この指示一つで、その眉唾の如き噂を真実だと確信したのだ。

 そして、Z区分ゼットくぶんであるフェンリルを躾けられたという事は、それ以下の実力を持ったときの番人など――。

 全ての者の結論がそこに行き着いた時、皆は背筋に嫌な汗をかきながらも走った。そう、ナタリーの視界から一瞬で消え去る程に。


「ドゥムガ」


 ナタリーがそう零すと、遠目から物凄い形相でドゥムガが駆けつけて来る。


「はぁはぁはぁ! な、何だよ!?」

「お茶」

「くっ! わかったよ! どこ産だ!?」

「食堂に法王国のお茶、、、、、のストックが結構あったでしょ。今日はあれにしようかな」

「ふっ、この俺様が淹れる茶だ! 美味過ぎて気絶すんじゃ――」

「――お茶」

「わーったよ! くそ!」


 この後、ナタリーの名は暗部の中で絶対となった。

 彼女が彼らに何をしたのか、それは定かではない。しかし、ミケラルドの姿を見かけるよりナタリーの姿を見かける方が変な汗が出るという答えだけは、運命の如く定まっているのだった。

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