◆その611 姫1

「これ娘、朝だぇ? そろそろ起きないといけませんねぇ」


 シックかつ気品溢れる貴族用の部屋。

 ベッドの天蓋から逆さにぶら下がり、少女の顔を覗き込む妖しい女。


「……んぅ……ん?」


 カーテンから零れる朝の光。目映そうに顔をしかめつつも、女の言葉に身体を起こす。


「くぁ~……」


 ベッドの上で伸びをし、目元を擦る少女の名はレティシア。

 北のリーガル国、サマリア公爵家の令嬢である。


「うぅ~……」


 未だ眠たそうなレティシアは、気怠そうにしながらもベッドから起き上がる。


「公爵令嬢とは思えぬ振る舞いだぇ」


 流し目でレティシアを非難する女。

 レティシアは恨めしそうにその女を見る。


「ここには私とヒミコ、、、しかいないもん」

「魔族四天王リッチ様の片腕だった私にそれだけの視線を送れる少女も珍しい。もっとも、ミケラルド様の命がなければそうはならないかもかねぇ」

「大丈夫だもん」


 身支度をしながらヒミコの言葉に抗うレティシア。


「へぇ? 敵として対峙したとしてもそんな目が出来ると?」

「ん~……わからないけど、たぶん」


 レティシアの言葉にヒミコが目を丸くする。

 しかし、鏡台の前で髪をかすレティシアはそれどころではない様子だ。渋面の自分と向き合い、ぼさぼさの髪の毛と苦戦を繰り広げている。


「……ふむ、令嬢にはこちらのが強敵やもしれんねぇ」


 ベッドの天蓋からすとんと床に下りたヒミコは、ゆっくりとレティシアの背から近付く。両肩に手を載せ首元まですっと移動させる。


「貸しなさい、私が梳いてくれる」

「え、ホントっ!?」


 ヒミコを見上げるレティシア。だがヒミコはそんなレティシアをジトりと見る。


「毎度狙ってやっているのはわかっている」

「えへへ……バレてた?」

「それをバレないようにやるのが娘の仕事だ」

「うん、毎日頑張ってるよ」


 とぼけるばかりがレティシアではない。

 そう自分で言っているかのような自信に、ヒミコはまた目を丸くする。


(胆力は十分。貴族と渡り合うだけの素養もあるし、その本分も忘れていない。なるほど、リーガル国のサマリア公爵家、か。ミケラルド様を見極めるだけの器はあったか。良い姫を育て、この娘も良い娘を演じている。けれどミケラルド様の大海の如き器は誰にも計れるものではないのだぇ……? けれど毎日?)


 レティシアの髪を梳かしながら、ヒミコはその言葉を疑問に思う。


「『毎日』というのはアレの事かねぇ?」

「アレ?」

「毎度扉の前でミケラルド様をからかうアレの事よ」

「あー、アレは違うの」

「というと?」

「ん~、最初はそうだったんだけど、そうじゃなくなったというか?」

「なんだぇ? 自分でもよくわかっていない様子だねぇ」

「だってアレしてる時のミケラルド殿、とても可愛らしいんだもの」

「か、かわっ? 娘、私がミケラルド様に仕えている事を忘れていやしまいかね?」

「えー、ヒミコってそういう告げ口するんだっけ?」


 レティシアのからかうような口調に言葉を詰まらせるヒミコ。


「…………しない」

「でしょっ?」

「ふん。ほれ、梳き終えたぇ。間もなくミケラルド様がいらっしゃる。準備をなさい」

「はーい」


 いつもミケラルドの前では姫を演じるレティシア。

 しかし、準備には余念がない。テキパキと動き、普段のレティシアを見ている者であれば、別人だと見紛うだろう。

 肘を抱え、それを眺めるヒミコ。


(まるで二重人格だねぇ。けれど、そうしないと人間の政治の世界は生きてはいけない。ある時はとぼけ、ある時は狡猾したたかに。意中の殿方がいるのであれば、その手練手管を遺憾いかんなく発揮し、本命にあぶれたとしても側室の位置ポストを狙う。何とも生きにくい世界よ。とはいえ、この娘は公爵令嬢。側室に収まる器では……いえ――)


 そこでヒミコの思考が止まる。

 レティシアが準備完了したという様相でヒミコに向いたからである。


「どう、ヒミコ?」

「……ふむ、特段問題はないねぇ」

「よしっ!」


 快活に拳を握ったレティシア。そしてコホンと咳払いをする。


「んーんー、あーあー。うん、大丈夫っ」


 最後に声の調子をチェックし、鞄をそっと持ち上げる。

 長いブロンドをサラリとなびかせれば、そこにはいつものレティシアがいた。


(正に役者だねぇ……)


 最後に深呼吸し、いつものノックを待つレティシア。

 直後、気配なく訪れるノック音。


流石さすがはミケラルド様。扉越しだというのに魔の気配が一切感じられない。たとえ魔族といえど、これは心臓に悪い……)


 ふぅと小さな溜め息を吐き、ミケラルドを迎える準備を整えたヒミコ。

 しかし、ヒミコは気付く。扉を開けようとしたレティシアの準備が整っていない事に。


「これ、娘」

「え?」

「アレが出来ていないぞぇ」


 ヒミコが自身の胸元を指差し、レティシアのその意味を伝える。

 ハッと気づいたレティシアが自身の胸元に手を伸ばし、制服のリボンを傾ける、、、

 目で謝意をヒミコに伝えたレティシアが一つ頷く。

 ヒミコもまた頷き、レティシアの背中を見送る。

 レティシアが扉を開ければ、そこにはルーク・ダルマ・ランナーの姿で立つミケラルドがあった。


「お待たせしましたっ」

「……ふむ、リボンが曲がってますね」

「ふふ、では直してくださる?」


 それはいつもの日常。

 しかし、レティシアが作りだし、ミケラルドに干渉出来る数少ない日常である。

 気配を消しながらその背を見守るヒミコ。


(正に手練手管。たとえ側室の何番目でも構わないという意思さえ感じる程の強かさ。まったく、人間の姫も侮れないものだねぇ)


 レティシアの姫然とした姿に半ば呆れつつも、感心を寄せるヒミコ。

 そんなヒミコに、ミケラルドから【テレパシー】が届く。


『今日もお疲れ様』


 本日三度目の丸い目。

 何も言えず、ただただレティシアのリボンを直すミケラルドに頭を下げるヒミコ。


(やはり、全てを受け入れる度量こそが主君の、ミケラルド様の強みだねぇ。そしてこの【テレパシー】は、またもや心臓に悪い……が、毎日の精神安定には必要かもしれないねぇ)


 と、ほんのりと頬を赤らめるヒミコだった。

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