◆その333 五色の龍

 自軍に戻った時、ゲオルグ王が微かな違和感を覚えた。

 その理由は非常に簡単なものだった。ゲオルグ王へ視線が集まっていた事。その視線が、疑惑の色で染まっていた事にあった。


(……何だ?)


 それを怪訝な目で見るゲオルグ王だったが、最早もはや開戦間近。

 ゲオルグ王が騎士団長に静かに言う。


蹂躙じゅうりんだ」

「……はっ」


 歯切れの悪い騎士団長の返事だったが、それはすぐに行動に移された。

 騎士団長は剣を空高く掲げ、馬を駆けた。騎士団の前を駆けながら自身を奮い立たせる鼓舞。やがて自身の疑念を吹き飛ばすかのように、今は忘れようとするかのように腹から声を出す騎士が現れた。


「うぉおおおおおおおおおおっ!」


 訓練通り、何一つ変わる事のない訓練通りなのだ。

 だからこそ皆いつものように騎士団長の指示通り、騎士に同調して腹から声を出した。


「「うぉおおおおおおおおおおおおっ!!」」


 だが、後方で控える奴隷たちは違った。

 誰もがわかる程の温度差だった。

 しかし、それを気にするゲオルグ王ではない。奴隷の反応もいつも通りだったのだから。


「出撃っ!!」

「「オォオオオオオオオオオオオオッ!!」」


 走り始めたリプトゥア騎士団。しかし、すぐに変化が起きる。


産声うぶごえを上げろっ!!」

「「おぉおおおおおおおおおおっ!!」」


 ミケラルドの合図と共に呼応した六人。それと共に急停止する騎士の愛馬たち。その目に宿ったのは怯え以外の何物でもなく、騎士たちはそれをいぶかしみ、濃密な魔力のせいで陽炎がかったリィたんを見た。

 光り輝き現れるは巨大な水龍。世界の均衡を壊す最強の武力――五色ごしきの龍の一角。

 戦いに身を置く者で、水龍リバイアタンを知らない者はいない。

 その出現と共に、命綱とも言える武器を落とす者までいた。

 直後、


「ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!」


 巨大な咆哮と共に襲って来る絶対的な恐怖。

 蒼白そうはくの顔を浮かべた騎士団に向かい、リィたんが言う。


「先程までの威勢はどうした? 来ないならばこちらから行くぞ」


 迫る足音は、他でもない自分たちに向かって来る。戦争なのだ、当然である。

 しかし、彼らは言う。口々に……。


「こ、こんなの……」

「聞いてない……!」


 ほんの数百メートル進んだ騎士団の足が止まった時、ゲオルグ王は次の行動を起こした。


「剣闘士と奴隷を出せ」

「はっ!」


 返事をするゲオルグ王傍付きの騎士ホネスティ。

 ホネスティが手を上げ、奴隷たちに命ずる。


「出撃っ!」


 その合図を受け取り、奴隷に命令権を持っている隊長が指示を出す。


「行け! そしてミナジリ共和国を滅ぼせ!」


 恐怖を克服させる程の絶対命令。それが奴隷契約の力である。


「くそ、腹括るしかねぇか……!」


 剣闘士の一人が言った。

 剣闘士とは、国民や貴族たちの娯楽のため、コロセウムの中央で多くの同胞を殺し、死を乗り越えてきた奴隷である。だが、眼前にあるのは絶対的な死。

 それをわかっても尚進まなければならない。それが剣闘士である。

 剣闘士以外の数合わせとも言える奴隷は違う。目に涙を浮かべながら槍を握る。進めたくない足が、ただただ震える。命令を遂行すいこうせねば、奴隷契約の効果により、身体に激痛が走り、やがて死に至る。

 進んでも地獄、逃げても地獄。

 だからこそ可能な限り皆それを耐えていた。身体に激痛が走ろうとも。

 直後、掛けられた声は先程も、、、聞いた声だった。


『『皆! 何を臆する事がある! ここにいる男が誰か忘れたかっ!?』』


 直後、ゲオルグ王がミケラルドのいた要塞を見る。

 その表情は驚きで覆われていた。何故なら、ミケラルドの声があらぬ方向から聞こえたのだから。届いた声は自軍の中、、、、から聞こえた。ややこもった、しかし強い意思の伴った声。間違いなく先程まで話したミケラルドの声だった。

 それだけではない。ミケラルドの声は自軍の至る場所から多重たじゅうに聞こえたのだ。


『『歩を進めよ! そして信じよ! そこにいる愚王ぐおうではなく、この奴隷の王スレイブキングをっ!!』』


 ゲオルグ王が罠だと気付いた時には遅かった。


「ホネスティ! めさせ――」

「「――おぉおおおおおおおおおおおおっ!!」」


 ゲオルグ王一人の声は、四万五千の奴隷たちの雄叫おたけびによってかき消されてしまったのだ。

 進み始めた足音、止まらぬ熱き声。命令など届くはずもなかった。そう、命令は既に下されていたのだから。

 重罪奴隷に堕とされたリプトゥア国の作戦室の元室長ロレッソは言った。

 ミケラルドこそ奴隷の解放者だと。

 四万五千の大軍勢が止まっていた騎士団を追い抜き、リィたんへと向かう。

 その大軍勢を、リィたんは跳躍によって一瞬で跨いだのだ。

 リィたんの狙いは最初から騎士団。奴隷たちになど目もくれなかった。


「おっけ~、リィたん。そこがラインだね」


 静かに言ったミケラルドが要塞の外壁から跳び降りる。

 降下中、リィたんの尻尾の先を境にして、両手の指で四角を作り、奴隷たちを見定めるミケラルドが着地と同時に大地へ魔法を叩き込む。


「……【闇喰らい】」


 直後、両翼から大軍勢を挟み込むようにして巨大な闇の壁が現れる。

 両の外側から包み込んだソレは、時間にして十数秒で奴隷たちを覆った。

 やがて、闇の壁がすり抜けた両側から、奴隷たちが膝を突き苦しみ始める。


(何をした……!)


 ゲオルグ王の考えに疑問はなかった。

 何故なら既に答えは示されていたのだから。

 数で勝るリプトゥア軍の武器を、出鼻でばなからくじくあの誘導。

 それは確実に罠だった。しかし、奴隷たちはそれに従った。奴隷契約の命令を逆手にとって。奴隷たちは信じたのだ。奴隷の王スレイブキングを。

 現に、絶対強者であるリィたんの攻撃は行使されなかった。

 だからこそゲオルグ王は気付いてしまった。

 ミケラルドが行った【契約解除】に。

 そしてそれを代弁するかのように、リィたんが奴隷の軍勢に向き直った。


「皆の者! 我があるじの力により、お前たちの呪いは解かれた! さぁ、痛みと苦しみを乗り越えたおのが身に聞け! 今ここに、お前たちをばくするものは何もないと!」


 当然、広がったのは動揺だった。だが、奴隷の印を刻まれたあの絶望の日と同じ痛みが襲ってきた事で彼らは気付いた。彼らが最初に見るのはその印だったから。


「奴隷の焼き印が……消えてる」

「消えてる……」

「消えてるぞ!」


 疑問、動揺、困惑、また疑問……その後、奴隷たちの心に去来するのは、先のリィたんの言葉と、ミケラルドの言葉。


「どうした、命令を忘れたか!? 忘れたのならば何故こない! 痛みが! 苦しみが! さぁ、振り向いて命令を待て! そして言ってやれ! 『お断りだ!』とな!」


 リィたんの言葉が奴隷の心に響く。

 そして、ミケラルドが叫ぶ。


「アナタたちは自由だ!!」


 直後、皆はせきを切ったかのように泣き、抱き合った。

 戦場にそぐわぬ歓喜の声は、リプトゥア軍にも、ミナジリ軍にも届いた。

 歯をギリと鳴らすゲオルグ王と、ニヤリと笑うミケラルド。


「残り六千」


 ミケラルドがそう呟くと同時、両翼にいる五人が動き出したのだった。

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