その189 準決勝

 ざわつく観客席。


「……」


 静かに佇むリィたんの背中は、どことなく寂しそうだった。

 リィたんの全力の魔力を目の当たりにした観客たちは、この試合を楽しみにしていた。

 しかし、それと同時に理解もしていた。観客たちは試合を見る事を心待ちにしても、彼女の、リィたんの前に立つ勇気は持っていなかった。ただ時が過ぎるのを待ち、喉を鳴らす審判の声を待つばかり。観客たちは、現れる事のない冒険者を責める事は出来ない。誰もがその前に立つことを拒んでいると理解しているのだから。


「……っ、勝負あり!」


 歓声ではない。極度の緊張から解放された安堵の声がコロセウムに響いた。

 本戦準決勝という大舞台にも関わらず、レイモンドという冒険者は最後まで現れる事はなかった。不戦勝をしたリィたんが何も言わず、何もせず、静かに会場から消えていく。

 そんな中、ホッと胸をなで下ろす女とも少女とも思える容姿をしたネム。


「よかったぁ~、賭けなくて」


 これまでのシリアスシーンを全てぶち壊すかのような言葉が、俺の耳に届いた。

 ネムの話によると、本戦の賭けに「不戦勝」項目はないようだ。それを読んでいたのか、彼女の目はある意味慧眼と言えるだろう。

 だが、俺はそんなネムに突っ込む余裕はなかった。

 何故なら、すぐに俺の準決勝が始まるからだ。

 ネムに「行ってくる」とだけ言い、小走りに控え室に向かっていると、途中で意外な人物に出会った。


「あれ? レミリアさん、どうしたんですかこんなところで? パーシバルさんが消えちゃって、最高審査員の代役やってるって聞いたからてっきり忙しいのかと?」

「こ、ここにいるからと言って忙しくないとは限らないだろうっ」

「棒立ちでしたよね?」


 そんな俺の指摘に、剣聖レミリアは小さな溜め息を吐いてから言った。


「……ミケラルド殿を待っていた。と、言うべきではないのだろうが……まぁそういう事だ」

「私に何の用です?」

「次の対戦相手の事だ」

「最高審査員が対戦相手の情報を渡すのって……どうなんです?」

「やはり知らないようだな」

「へ?」

「このリプトゥアでの有名人だ。無論、この私よりな」


 ランクSであり、一昨年の武闘大会覇者である剣聖レミリアより有名ってどんな大物なのか。しかしなるほど、有名過ぎる故、それくらいなら世間話の延長という事か。


「現在リプトゥアは、南の大国――法王国ですら目を付ける程の強大な国家になろうとしている。その理由の一つが彼女だ」

「彼女……あぁ、そういえば次の対戦相手は女性でしたね。名前は確か――」

「――【エメリー、、、、】。天啓、、を受けし時、彼女の肉体は進化とも呼べる変化を遂げた。人類の未来にして魔族の天敵。彼女こそ世界の希望」


 何か、嫌な予感がする。


「本来、この武闘大会はエメリーのワンサイドゲームで終わると噂されていた。しかし、リィたん殿とミケラルド殿が現れ、雲行きが変わった」


 確か、ディックがランクAに上げるのを渋って俺をテストし、一瞬でディックを倒した後に聞いた話があったな。「リプトゥア国で誕生したとかいうなんちゃらか!?」と言ってていた。そのなんちゃらに当たる部分は、今この場でレミリアが補足してくれるだろう。


「人は彼女をこう呼ぶ――【勇者、、】と」


 ◇◆◇ ◆◇◆


「……ミケラルド選手、頭痛ですか?」


 武闘会場で額を抱えて困っている俺を心配する審判。


「あ、いえ、ちょっと予想外の事が起こって混乱してるだけです」

「そうですか。間もなく始まりますのでどうか心安らかに」


 そんな言葉は、今俺の顔面にしか当てはまらない。

 胸中穏やかでない俺のポーカーフェイスはいつまで持つのか。

 まさかこんな状況で勇者と手を合わせる事になるとは、思いもしなかった。

 だがしかし落ち着け俺。たとえ相手が勇者だとして、まだランクはA。

 つまり、ランクAになってまだ日が浅いという事だ。勇者の実力は大器晩成が相場だ。

 この世界の相場が現代日本の相場に適しているかどうかは疑問だが、俺の願望と願望を組み合わせれば多分そこらへんが相場だと断言したい気持ちで一杯だ。


「むぅ……心すら混乱している」


 支離滅裂な心を落ち着かせるためにはそう、明鏡止水だ。

 師、ジェイルが俺に教えてくれた戦闘に欠かせない要素である。

 目を閉じて心を落ち着け、己の底を知る。底を知れば――――ん?


「ふぎゅっ!?」


 そんな声が正面から聞こえた。

 目を開き声の主を探してみる……というか女は目の前にいた。

 何故あの女は大地に顔面を擦りつけているのだろう。

 それが最初に思った感想である。


「あいちちちち……」


 顔を抑えながら痛がる様子を見るに、おそらく転んだのだろう。

 半泣きになりながらポンポンと頬を叩く女は、正に少女と言えた。

 ナタリーよりやや上? 見た目からして歳は十四、五あたりか。

 透き通るような白い肌と銀のボブ。灰色の瞳の中にはまだあどけなさが残っている。

 華奢な体躯だが、それに似合わぬ身の丈程の大剣。

 少年、いや少女? どちらとも思える中性的な顔立ちに、俺は目を丸くした。


「大丈夫ですか、エメリー選手?」


 俺の疑問を、意図せぬ審判が答え合わせを行う。


「は、はい! すすすすすみませんすみませんすみませんっ!」


 やたら腰の低いエメリーと呼ばれた少女は、悪くもないのに俺と審判に何度も謝罪し、頭を下げた。


「え、えーっと…………初めまし……て?」


 この子が勇者だって?

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