その6 ミケラルド様

 ◇◆◇ ジェイルの場合 ◆◇◆


 虚しい…………何もかもが虚しい日々を送っていた。

 そこらにうろつく冒険者は皆弱く、いつもこの腕で屠ってきた。

 強きを求め、弱きを見下した。

 そんな時期はあっという間に過ぎ、いつの間にか周りは弱き者しかいなかった。

 人間の世界はつまらない。

 魔王様がお眠りになられているせいもあるのだろうが、どれも物足りない者ばかり。過去、俺を楽しませる者や決着がつかなかった者もいるが、どれもが消息不明。いや、おそらく寿命で死んだのだろう。人間の寿命は短い。火をつけた蝋燭のように確実に減っていく。残念でならない。

 そう思い、同族の強者を求め、魔族の領地に足を踏み入れた。ある時、小さな村の掲示板でワラキエル家の掲示物を見つけた。

 魔族四天王のスパニッシュ……あの堅物の家が近いとはいえこんなにも寂れた村に依頼を出すとは珍しい。

 ……ふむ、どうやら料理人の募集のようだな。


 ~~~~~~~~~~~~~~

 求む料理人。人間の食事を提供出来る者。

 ※相手は人間ではなく魔族なのでご安心ください。

 ~~~~~~~~~~~~~~


 ……これは珍しい。興味がないと言えば嘘になる。

 魔族で人間の食事が好きな者など、皆無だ。

 違った理由なのか? いやないな。

 ワラキエル家がそんな面倒な事をするはずもない。

 勿論、食す者もいるにはいるが、好き好んで、という者はいないだろう。……俺を除いてな。

 とある冒険者の野営を襲った時、作りかけの料理を興味本意で食べた事がきっかけだが、料理の中の深い部分に感じる温かさが、俺にとっては新鮮で、美味だった。

 それからは色々な料理を食べ、そして研究した。それが俺の唯一の癒しであり、楽しみだった。

 ……どんな魔族なのだろう。心が満たされていなかった俺は、いつの間にか吸血公爵の屋敷へ行き、門を叩いていた。

 鬼族と竜族の仲など気にせずにな。

 屋敷の扉を開けたのは……元十魔士の一人、ダークマーダラーのアンドゥ。まさかワラキエル家に奉公しているとはな。


「これはこれは、糞生意気なトカゲ風情がこのようなところに何の御用で? それも……その赤黒い皮膚に黄金の瞳。首元に三本の斬傷があるリザードマン……となれば、あの有名なジェイル殿が?」


 案の定の皮肉。

 二代前の頭首の仇の一族が前ではこんなものか。


「……自己紹介は必要なさそうだな。料理人の求人を見て参った。是非話を伺いたい」


 アンドゥは物凄い形相で俺を睨んできたが、背に腹はかえられぬという様子で俺を屋敷内へ通した。

 かなりの急ぎの募集だったのか、話はトントン拍子に進み、人間の食事を欲しているというワラキエル家の子息に会った。そうか、だからこその急募というわけか。

 ……黒銀の毛。吸血鬼にしては肌が人間のそれに近い。真紅の瞳で吸血鬼である事がわかる程度。なるほど、容姿からして珍しい。

 む、緊張しているのか?

 口をパクパクさせているな。魚のように餌を求めているのだろうか?


「は、初めまして。ミケラルドと申します」

「……ジェイルといいます。よろしくお願いします、坊ちゃん」


 俺が頭を下げた時、坊ちゃんは屈んで頭を手で覆った。

 一体何のポーズだ?

 まぁいい。挨拶を終え、俺は早速厨房に入った。

 昨今では人間を調理せず生で食べるのが流行っているせいか、綺麗に保たれている。何より静かな厨房だった。

 幸い、食材は用意してあったので、すぐに食事を提供する事が出来た。

 味を塩で整えた簡単な野菜スープ。味を塩で整えた肉団子。味を塩で整えた生野菜。

 素晴らしい、塩は万能だな。


 坊ちゃんは口をすぼめて美味そうに食べていた。

 やはり珍しい。こんなにも勢いよく食べられるものなのか?

 吸血鬼の食事といえば若い女の血と決まっている。坊ちゃんは血が嫌いなのだろうか? 突然変異か何かだろうか?


 坊ちゃんの誕生祭の日。俺の仕事は朝のみだった。

 自身の肉体の鍛錬を終えて、久しぶりの休暇を満喫しようと屋敷の小屋でのんびりしていたら、夜、坊ちゃんが聞いた事がないような声で小屋の扉を叩いた。

 かなり慌てている様子だ。


「ジェイルさん! ジェイルさん! お願いです! 開けてください!」


 こんな夜に……一体どうした事だ?

 扉を開けた瞬間、息を切らしながら下男の俺に頭を下げた。この子供はまだ身分の違いを認識していないのだろう。

 今度アンドゥに進言しておこう。

 がしかし、何故料理以外の仕事が? 他の者では出来ない事なのか?

 とにかく火急の用だという事はわかったので、坊ちゃんに手を引かれるまま、部屋へと連れて行かれた。

 流石に坊ちゃんの部屋に入る訳には、と躊躇ためらったが、坊ちゃんの瞳に不思議な力を感じ、仕方なく部屋へ入った。

 視界に入ったのは、一人のエルフ。

 いや、耳がそこまで尖っていない。珍しい。ハーフエルフの娘だな。

 ソファーに横たわり、首元には吸血鬼特有の噛み傷。だが、これはどういう事か。とにかく変だ。

 坊ちゃんの枕であろう物がハーフエルフの頭の下に置かれている。これは……回復を図っている?

 どういう事だ? 坊ちゃんの顔を見ると、そこに答えが書いてあった。


「……助けろと?」

「お願いします!」


 またも頭を……それも相当な熱だ。

 頭を前に倒し過ぎて、前方に倒れそうな程。足が震えているな。

 ハーフエルフの治療か。まぁ、血を吸われただけだろう。ならば簡単だが……しかし。

 いや、これが坊ちゃんの気持ちなのだ。

 本当に珍しい吸血鬼だ。


「ここでお待ちを」


 そう言った時、坊ちゃんは安堵の息と、輝くような笑顔をこちらに向けた。

 本当に何なのだ、この子供は。本当によくわからない。

 そして俺は娘の治療をした。増血草を握り潰して雫を垂らし、薬湯とし、娘の口に注いだ。

 恐らくこれで大丈夫なはずだ。


 その翌日。

 またも坊ちゃんが小屋まで来た。


「お願いします!」

「…………」


 文字を教わりたいと言うが、何て軽い頭なんだ。

 こんなにポンポンと下げて……もしかして何も入っていないのではないか?


「何とか私にご指導を!」

「……俺は屋敷の料理人です」

「そこを何とか!」

「給金以上の働きはしません」

「出世払いで! ホントお願いします!」


 凄い言葉もあったものだな。

 とても三歳児が使う言葉ではない。そういえば坊ちゃんはどこか普通の子供と違うような?

 まぁ、大人びた子供なぞいくらでもいるか。

 いつまでも上がりそうにない坊ちゃんの頭に、俺は沈黙していた。

 また前方に倒れそうだったので、俺は仕方なく引き受ける事にした。


「……高いですよ」

「ありゃぁったーっすっ!」


 憩いの時間がどんどん削られていくな。

 俺は坊ちゃんの朝食後に部屋へ向かった。

 坊ちゃんはかぶり付くように文字を追った。俺の説明をよく聞いたし、こちらが言わなくても紙に反復練習を始めた。

 本当に生まれて三年、、しか経ってないのだろうか?

 その夜、いつもは来ない追加注文の連絡が入った。おそらくあの娘が目を覚ましたのだろう。

 これからは毎日二人分……いや、俺の分を含めて三人分作らなくてはいけないな。


 翌朝、アンドゥの使いの者が耳を疑うような事を言ってきた。何でも坊ちゃんに武技の指導を依頼したいのだとか。

 しかし……何故俺なんだ? 理由はわからなくもないが……。

 昼前、坊ちゃんはアンドゥと共に俺が待つ中庭へ来た。


「あ、あの……本日はよろしくお願いします!」

「ふん、料理人として雇われたのにな……」


 余りにも理不尽な事に愚痴を零してしまった。

 いかんいかん。坊ちゃんの前だ、冷静にならなくては。


「出世払いしますんで!」

「またそれですか……」

「あ、あの!」


 ほぉ、歩ける程度には治ったか。

 しかし俺に何の用だ? 折角助かった命だ、不用意に魔族に近付かないように警告しておくか。


「何だ小娘? 俺に食われない内に下がれ」


 む、まずかったな。

 少し殺気を出し過ぎてしまったようだ。落ち着け俺。


「助けてくれてありがとうございました!」


 なるほど、坊ちゃんが言ったか。不要な事を。


「……話したんですか?」

「勿論です」


 坊ちゃんの前で何度吐いた事か、またも溜め息を吐く。本当に困った子息だ。

 さて、武技の指導をせねばならんな。


「これを使ってください」

「……木剣?」

「適当に斬りかかってください」

「え、でも……」

「竜族の鱗は強靭です。木剣などでは傷一つ入りませんよ。ましてや三歳の子供が相手では怪我のしようがないですよ」


 三歳の腕力で俺を傷つけられる訳がないだろう。

 それくらい理解していると思ったが……やはり子供という事か。

 坊ちゃんは受け取った木剣を振り――……、なんだと?

 多少特殊な型だが、ちゃんと振れている。見れば人間界の並の冒険者程度……いや、それ以上には振れている。

 いやしかし……三歳だぞ?


「出来るじゃないですか」

「まだ斬りかかってないでしょう?」

「そうでしたね、さぁ、来てください」

「では……だっ!」


 ぬ、やはり重い。

 俺にとってはどうという事はない程度だが、凄まじい威力だ。この木剣が超硬度の木、「デモンズツリー」から作られていなければ、粉砕していただろう。


「くぅ〜……っ!?」

「刃のない剣で思い切り振ったらそうなります。数手先を考え、木剣でもダメージを与えられる箇所とタイミングを読むのです」

「箇所って……鱗があるんでしょう?」

「では、口や目玉を狙えばいいでしょう」

「けど私の身長じゃ届きませんよ」

「では、投げてくだ――」

「こんにゃろ!」


 危な! だがここは威厳を持たなくてはいかんっ。


「無駄です」


 まさかこういった攻撃も出来るとは、流石魔族。流石スパニッシュの息子というだけはある。

 少し甘く見ていたようだ。こちらも慎重にならなくてはならないな。


「筋は良いので型の稽古を行います。本来、吸血鬼は剣など利用せず、己の爪などで敵を引き裂きますが、坊ちゃんはまだ吸血鬼の力のコントロールが出来ないでしょうし、剣術を覚えるのは悪くないので是非覚えてください」

「はい、先生!」


 むずがゆい言葉を簡単に言い放ってくれる。

 だが、坊ちゃんのこの才能…………末恐ろしい子供かもしれん。




 ◇◆◇ ナタリーの場合 ◆◇◆


 パパ、ママ……お願い助けて……。

 暗いよ……痛いよ……周りからは怖い声や泣き声が沢山聞こえるよ……。



 私は奴隷。パパに昔聞いた事がある。

 奴隷はエルフでもなければ人間でもドワーフでもない。家畜同様の……いえ、それ以下の扱いを受けるのだという。

 人間のママを持ち、エルフのパパを持つ私はハーフエルフ。当然異端の子として私たち家族は人里離れた場所で暮らしていた。

 パパが狩りに出かけた時、私は家の前でママと洗濯物を干していた。ママが元気よく物干し竿の上にシーツを放り投げ、反対側で私がシーツの角を引っ張っていた。

 白いシーツがぴんと伸びて、お日様の光を受けている。シーツ越しに映るママの影が笑っているように見えた。

 洗濯物が干し終わり、ママは家の中へ入り、私は外で今晩のご飯に使えそうな野草を探していた。

 パパとママの言い付け通り、家から見える程度の散策だった。


 ――それは突然だった。


 ヨモギの葉を見つけ、採ろうと屈んだ時、私の前に怖いおじさんが現れた。

 にやっと笑って舌舐めずりをしていたのを憶えている。

 けど、憶えているのはそこまで。

 気が付くと私は檻の中にいた。

 周りには人間やドワーフやエルフの子供たちが沢山いた。そして、皆泣いていた。

 その時、私は気が付いた。私は……奴隷になったのだと。


 私は数日で買われた。怖いおじさんが私の事を「珍しいハーフエルフ」だと紹介していたのを憶えている。

 私を買ったのは――魔族。

 奴隷商人は金払いの良い魔族と交流があるというのを聞いた事がある。

 やっぱりハーフエルフというのは珍しいから?

 これからどんな恐ろしい事が待っているかと思うと、身体が震えて止まらない。

 お腹が減った。首輪が擦れて痛い。鉄の檻が……冷たい。


 数日後、私は大きな屋敷の倉庫に入れられた。

 周りには、あの奴隷商人の店よりも沢山の人たちで埋め尽くされていた。

 何なの? ……一体何なの?

 天井から見えた太陽が消え、暗くなったその日の夜。

 沢山の魔族が武器を持ちながら奴隷たちを連れて行った。遠くの方では男の人、女の人、子供の悲鳴が聞こえてる。


 ――あぁ、私は今日死ぬんだな。


 抵抗する力も無くなり、大きなお爺さんに大きな広場へと連れて来られた。

 ……何、これ?

 下半身のない人間。首だけ残ったエルフ。四肢のないドワーフ。

 眼の前の惨劇は、魔族の食事で、その食事はさっきまで倉庫にいた人たちだとわかるまでに、暫く時間がかかった。

 大きなお爺さんは「アンドゥ」と呼ばれ、その奥では青白い顔のおじさんが私を見ていた。

 その近くにいるのは……子供?

 まだ二つか三つくらいの黒銀の髪をした子供が私を見ている。少し怯えた優しい眼。この子は人間?


「今宵は希少な雌が手に入りました」

「ほぉ、ハーフエルフか……値が張ったのではないか?」

「ほっほっほ、確かにそうではありますが、ミケラルド様のため、鬼族が出資して購入致しました」

「ふっ、そうか。有難く頂戴しよう。では、ミケラルド」


 そう呼ばれたのはその子供。あぁ、やっぱりこの子は魔族なんだ。


「首元をひと噛みで構わん。後程適当な言い訳をすればそれで済む」


 足が震え、肩が震え、カチカチと歯を鳴らしているのは私だった。

 近くで見れば、眼は真紅で、すぐに魔族だとわかる程。

 でも不思議。この子の眼はとても不思議な眼をしていた。


「やれ」


 青白いおじさんがそう言うと、子供は私に噛みついた。

 何故か、噛まれた時の痛みはなかったけど、私はここで死ぬのだと悟った。


「がぁ……じゅるじゅる」


 血をすすり続ける子供の眼は、いつの間にか魔族のそれになっていたから。

 怖い……怖い怖い怖い怖いっ。

 ……死にたくないよ。


「ふっ、やはり吸血鬼とはこういうものだ」

「ミケラルド様、お見事でございます」


 吸血鬼……あぁ、だから私の血を吸ってるんだね。

 だから……私は死ぬんだ。


「あ……ぁ……っ!」

「はっ!」


 何で? 何で口を離すの?


「ご、ごめんっ」


 気を失う前、私の耳が最後に聞いたのは、彼の謝罪の言葉だった。


 次に眼が覚めると、見慣れない天井があり、周りを見れば、そこは赤黒く気味の悪い部屋だった。

 そして、私は柔らかいソファーの上で寝ていた事がわかった。


「お、おはよう……ってもう夜だけど」


 耳を頼りに声の先を見ると、あの子供がいた。

 私を……殺そうとした……子供っ!?


「……っ、ひっ!」


 恐怖のあまり変な声が出てしまった。

 子供だけど魔族で吸血鬼。動けない私を十分に殺せる力があるのだか――


「ホントすいませんでしたぁっ!」


 ら? ……今一体、何が?

 子供が跳んで……伏せた? 額を床に擦り付け、私に謝罪……した?

 一体何がしたいの、この子供は?


「君を救う方法はあの時あれしか考えられませんでした! 血を吸い過ぎちゃったのは多分本能的なものだと思いますけど、これに関しては全面的に俺が悪いです。ホント申し訳ない!」


 耳から入った情報は、うまく飲み込めなかった。

 この子供は何を言ってるの? 私を救うとか言ってなかった?

 それに、魔族が奴隷に謝罪するなんて……何が何だかよくわからない。次から次に色々な説明をしているけど、その全てが私にはよくわからなかった。

 けど、この子の眼は、魔族の眼というより、人間の……ママの優しい眼に似ていた。

 紅いけど優しい眼。とても……とても不思議な眼だった。


「じ、自分ミケラルドと申します。ケチな吸血鬼でさぁっ! ひょんな事から父上に君を飼うとか言ってしまいましたが、全然お客さんとして扱いますんで、そこんとこご理解よろしくお願いします!」


 そうだ、大きなお爺さんも、青白い人も、この子供の事をミケラルドと呼んでいたのを憶えている。

 ケチな吸血鬼のミケラルド。とても私より小さな子供が言う言葉ではなかった。

 そうか、ミケラルドは私を助けてくれたのか。飼うっていうのはミケラルドのパパに対する言い訳。

 ミケラルド。本当に……不思議な子。


「……ぷっ」

「へ?」

「な、何でもないわ。…………ナタリーよ」


 変過ぎて笑ってしまった。殺されかけたのに、何で許せたんだろう。

 これは私の不思議。

 こうして私は、ミケラルドに飼われる事になった。

 その後鳴ったお腹の虫は、女の子として黒歴史の一つだと思っている。

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