その5 師弟関係

 俺は食後にアンドゥに連れられ、中庭へと向かった。

 勿論、ナタリーを連れて。

 部屋に残していてはアンドゥがつまみ食い、というか全て食べてしまいそうだとか考えてしまう。勿論、それが一番だが、やはり逃げるのを防ぐのも理由としてある。

 ビクビクしながら歩くナタリーに、アンドゥが一睨み。

 ナタリーに上着の裾を掴まれ、俺の顔が綻ぶ。

 こんなのやってみたかった……が、これじゃない感満載だ。

 中庭のひらけた場所では、腕を組んだ仏頂面のジェイルが立っていた。

 あれは不機嫌な顔だ。絶対そうだ。間違いない。


 アンドゥは俺を中庭に連れて来ると、どこかへと行ってしまった。

 ……お前、俺の専属執事じゃないの? それとも余程ジェイルの事が嫌いなのか?

 まぁいい。俺は俺で出来る事をやるだけだ。


「あ、あの……本日はよろしくお願いします!」

「ふん、料理人として雇われたのにな……」


 愚痴を零すジェイル先生。

 読み書きの指導に、武技の指導。どうやら給料は上がってないみたいだ。

 今度アンドゥに頼んでみよう。


「出世払いしますんで!」

「またそれですか……」


 おや、敬語に戻ったぞ? ……あぁ、呟いてたのか。


「あ、あの!」

「何だ小娘? 俺に食われない内に下がれ」


 そう言ったジェイルはまさに陸戦型の竜族、リザードマンだった。獰猛に光る黄金の瞳は、獲物を狩る猛獣のようにナタリーを捉えた。

 瞬時に凍り付いたナタリーだったが、しばらくするとかぶりを振り、意を決した様子で頭を下げた。


「助けてくれてありがとうございました!」

「……話したんですか?」


 思わぬ言葉から察したであろう犯人の特定に、ジェイルは呆れて俺を見た。


「勿論です」


 何度聞いた事か、ジェイルが溜め息を吐く。

 様々な溜め息があるんだなと感心。ジェイルの溜め息コレクションをしたいところだな。

 ナタリーはそれだけ言うと後方へと下がった。ちゃんとお礼が言えるとは良い親御さんを持っているという事か。

 スパニッシュなんて、全然構ってくれないぞ?

 いや、全然いいんだが、これがただの三歳児なら絶対に陰湿なやつに育つんだろう。


「これを使ってください」

「……木剣?」

「適当に斬りかかってください」

「え、でも……」

「竜族の鱗は強靭です。木剣などでは傷一つ入りませんよ。ましてや三歳の子供が相手では怪我のしようがないですよ」


 俺の心配を察したか、すぐに答えを出すジェイルは流石だ。

 そうかそうかと子供の頃にやったチャンバラごっこを思い出す。俺のビームサーベルが火を噴くぜ。そしたら木剣は燃えそうだけどな。

 何となく時代劇の殺陣を思い出して木剣を振った。振り下ろした先の足は引き、反対の足が前に残る。これくらいしか知らないが、楽しくなり調子に乗って一歩前に歩を進め木剣を振り上げる。

 斬り上げというやつだったかな?

 空を斬る感じで練習していると、ジェイルがかなり驚いていた。


「出来るじゃないですか」

「まだ斬りかかってないでしょう?」

「そうでしたね、さぁ、来てください」

「では……だっ!」


 本気で振った。

 ジェイルが太い腕で受け、少し鈍い木の音が聞こえる。

 そして、俺は木剣を落とした。


「くぅ〜……っ!?」


 手がめっちゃ痺れた。


「刃のない剣で思い切り振ったらそうなります。数手先を考え、木剣でもダメージを与えられる箇所とタイミングを読むのです」

「箇所って……鱗があるんでしょう?」

「では、口や目玉を狙えばいいでしょう」


 とんでもない事を言うな、この先生は。いや、それが普通なんだろうけどな。

 むぅ、どうにもやりにくい。


「けど私の身長じゃ届きませんよ」

「では、投げてくだ――」

「こんにゃろ!」

「無駄です」


 答えに被り気味に俺が投げた木剣を、ジェイルは難なく受け止めた。鷲掴みだ。

 おのれ、絶妙な不意打ちだったのに……。


「筋は良いので型の稽古を行います。本来、吸血鬼は剣など利用せず、己の爪などで敵を引き裂きますが、坊ちゃんはまだ吸血鬼の力のコントロールが出来ないでしょうし、剣術を覚えるのは悪くないので是非覚えてください」

「はい、先生!」


 それが俺とジェイルの師弟関係の始まりだった。

 吸血鬼と同じく、剣を武器としないリザードマンのジェイルが、何故ここまで剣を巧みに扱えるかは不明だったが、俺はジェイルの話をよく聞いた。

 戦いの中で生まれる虚実、気配察知の方法にダンジョンや屋内での動き等を学んだ。

 先入観から魔族がダンジョンに入るのか? と思ったが、魔族とモンスターは別物なんだそうだ。

 モンスター……やっぱりいるんだな。ダンジョン内にしかいないモンスターの収集品目当てに、潜る機会も多いとかなんとか。

 勿論、俺の目的のためには必要な事なので、食い入るように聞いた。

 むぅ、やはり生前の俺とはかなりやる気が違う気がする。

 これも人間と魔族の違いなのだろうか?

 そういえば……ジェイルが吸血鬼の力のコントロールがどうとか言ってたが、そんな特殊能力みたいなのがあるのか?

 これは今度スパニッシュに聞かなくちゃいけないが……あのおっさん苦手なんだよな。

 そうだ、字を読めるようになったら書庫でわかるかもしれない。うん、それからだな。

 そんなこんなで、朝、剣術。昼、体術。夜は勉強と、ある意味充実し、ある意味過酷な生活が始まった。

 それも……全てジェイルが付き添った。

 どこに行った? 俺専属のダークマーダラー安東。

 その噂のアンドゥは、他の使用人に聞いてみたら元々はスパニッシュ専属の執事だったとの事。

 俺とジェイルの相性の良さを見て、スパニッシュがいつの間にか元の人事に戻したのだとか? そして俺にはジェイルが付く。俺の部屋にその挨拶に来た時のジェイルの悲壮感漂う様子は、俺の中でかなりのツボだった。

 屋敷内でアンドゥに会った時、ワガママを発動し、ジェイルの給料アップをお願いした。


 すると、

「申し訳ございませんが、仕事の報酬の話は旦那様に直接お願い致します」だと。

 だよな。雇用主に相談しなきゃいけないよな。

 それじゃあ、張り切ってスパニッシュにジェイルの給料の相談を――


「出来る訳がないので出世払いでお願いしますっ!」

「……先は長そうですね」


 凄いなこれ、魔法の言葉じゃないか?

 こんな言葉を作ってくれた先人たちに感謝だな。


 とまぁ、そんな暮らしを続け、三ヶ月の時が経った。

 変わった事と言えば、簡単な読み書きがある程度出来るようになった事と、周りへの対応もわかり始めたくらいだろうか?

 特にナタリーは俺に懐いてくれた。凄く器用な子で、普段は普通に話すが、ひとたび部屋から出ると、俺の少し後ろを歩き、従順な奴隷を演じている。

 頭も良く、どうやら逃げ出すという選択肢は頭にないらしい。

 ジェイルの話では、魔族の領地をハーフエルフが歩く事は、十中八九死を意味するそうだ。

 幼いと言ってもナタリーは十一歳。そういった事も十分にわかっているのだろう。


 簡単な読みを覚えた俺は、夜中にこそこそと書庫に入り始めた。

 寝静まった屋敷は正にお化け屋敷。いや、実際もっと恐ろしいやつらが燕尾服を着ながら闊歩しているんだがな。

 屋敷の清掃の時間は昼前後と決まっている。屋敷でどの部屋でも普通に行き来出来るのはスパニッシュのみ。

 俺は、出歩くのには不自由しないが、やはりこういった部屋に入るとなると、主であるスパニッシュの許可が必要だ。

 ちょっと頭の良い三歳児ではなく、もっと痛々しい三歳児を演じていれば、「探検」という名目で散策が出来て良かったと思うが、過ぎてしまった事は仕方がない。

 だからこうして深夜の時間に書庫に来るしかないわけだ。

 小さい身体や、使用人の皆が廊下で持ち運ぶ灯りのおかげで、見つかる事なく侵入出来るし、出る時も簡単だ。

 侵入さえしてしまえば、後は俺だけの立ち読み本屋みたいなものだ。勿論、座り込んで読んでやったがな。

 そこで俺はこの世界の吸血鬼についての専門書を見つけた。かなり上の方に。

 だから俺は、死に物狂いで本棚を上った。ある意味これが一番難しかったかもしれない。

 著者を見ると、どうやら数世代前のヨハン・ヴァンプ・ワラキエルが書いたものだった。手元に辞書を用意して最優先で読んださ。

 本のタイトルは【血痕けっこん理混りこん】。

 なんてふざけたタイトルだ。さぞやユニークな当主だったに違いない。

 読んでみて驚いた事がある。その本には、恐るべき吸血鬼の力が載っていたんだ。

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