その1 ミケラルド、異世界へ

 目が覚めたら外の電信柱の辺りから、雀の鳴く声が聞こえない。

 ちゅんともすんとも言わないこの空間は何だ?

 一体何なんだ? 息が、息が苦しい……。


「ぉ……お……」

「ほぉ、黒銀の毛か……これは珍しい」


 脳とはらわたに響くようなバリトンボイス。誰だ? 誰がいるんだ?

 目が……目が見えない……。光が……光が欲しい!


「……はぁ、はぁ、がっ」


 苦しい、呼吸もままならない。咳こむ度に口の中に血の味がする。

 気持ち悪い。今すぐ口をゆすぎたい。コーラか何かで。

 何だこの長い髪は? それにこの色……黒みがかった、銀髪?

 そうか、さっきの声はこの事を……。


「落ち着け、身体が慣れていないだけだ。じきに馴染もう」


 落ち付けって言ったって、苦しくて息が出来ないんだよ!

 くそ、何だってこんな事に……ん? あれ? 急に息が……呼吸が出来るようになったぞ?


「はぁ、はぁ……すぅ……はぁ」

「ふ、上手いではないか?」


 上手い? 呼吸の事か? 呼吸歴三十年の俺に何を言ってるんだこいつは?

 いや、そんな事はどうでもいい。一体俺はどういう状況にあるんだ?


「……こ、ここは?」

「ようこそ、ミケラルド。今日からお前は我が息子だ」


 ……何言ってるんだ、このおっさん?

 今日から息子? じゃあ昨日までは何だったんだ?

 そもそも俺は息子なんて年齢じゃ――……やけにデカイおっさんだな?


「……あなたは?」

「我が名はスパニッシュ。太古より続く吸血鬼の真祖の直系、スパニッシュ・ヴァンプ・ワラキエルだ」

「スパニッシュ……」


 ファーストネームが呼び名になるのか――この時考えたのはそんな程度の事だった。

 その後はよく覚えていない。疲れたのか急に眼の前が真っ暗になってしまったんだ。

 どうしたんだ? 俺は車に撥ねられて重体、もしくは死んだんじゃないのか?

 何だったんだ、あの大男は?

 それにミケラルドって名前……。という事は何か? 俺の名前は「ミケラルド・ヴァンプ・ワラキエル」って事になるのか? 

 中二乙と言いたくなるような名前だ。そうだ、帰ったらレンタルしてたアニメを返しに行かなくちゃ。


 ◇◆◇ ◆◇◆


 気が付くと俺は巨大なベッドの上で寝ていた。白い服の胸元まで伸びている黒銀の髪がうざったい。

 ……いや待て、こんな長髪にした覚えはないぞ? なんだこのロン毛は?

 白い服は簡素なもので、腕だけが通せる手術服みたいな服だった。

 邪魔な髪の毛をかき分け部屋を見渡すと、黒が基調とされた気味の悪いところだった。

 黒、というより赤黒い印象だろうか。どこかのスプラッター映画に出てきそうな部屋だ。それにやはり部屋の全てが大きい。

 ここは一体? そう思った矢先、部屋の扉からノック音が聞こえた。

 自分の声とは思えないような高い声で返事をすると、ドアノブを捻った鈍い音が聞こえた。


「失礼します」


 しゃがれた老人のような声。

 正にその通りというか、神々しいような光を放つ頭をもった老人が部屋に入って来た。

 鼻下の髭は白く、口を囲うようなデザインカット。燕尾服の上からでもわかる鍛えられた肉体はプロレスラー並みだ。

 何この人? 興業プロレスの社長か何か?


「お目覚めですな、ミケラルド様。わたくし、本日よりミケラルド様付きの執事となりましたアンドゥと申します」

「安東さん?」

「アンドゥでございます」


 間髪入れずに突っ込んできたな、この爺さん。

 アンドゥ……非常に言いにくい名前だ。きっと下の名前はトロワに違いない。


「スパニッシュって人は……?」


 やはり声がおかしい程高い。

 蝶ネクタイ型のアレは付いていないみたいだし、自分の手を見れば……いや、考えたくないな。


「旦那様はお出かけになっておられます。それとミケラルド様、お父上をそのように呼ばれてはなりませんぞ」

「父親って、どういう――――っ!」


 手際が良いのか何なのか、アンドゥは俺の正面に鏡を出し、そして俺の姿を映した。

 鏡の中にいたのは黒銀の髪が無造作に伸びた……少年だった。

 まぁ可愛い。どこかのモデル事務所に入れそうな程の美少年だ。どこぞの腐なお姉さんが見たら連れ去られそうなレベルだ。

 年の頃合いは三歳か四歳かというところだろう。これが……俺?

 待て待て待て待て。一体何がどうなっている? この受け入れ難い事実は何だ?

 いつの間に俺は子供になった? 転生? いや、違うだろ。だったら中途半端に成長したこの姿は何だ?

 この身体のサイズになるまで俺の記憶が無かった? あるわけがない。昨晩の息苦しい記憶は新鮮なものだし、何より――


「ほほほほ、混乱していらっしゃるようですな」


 俺の内心を察するようにアンドゥは聞いてきた。

 こくりと頷いた俺を見て、アンドゥは思い出すように話し始めた。


「寄生転生とでも言いましょうか」


 初めから怖い内容きたこれ。

 どういう事か、と聞いたところ、どうやら俺は意志だけをこちらに呼ばれたようだ。

 それも異世界に。外のおどろおどろしい景色がどう見ても地球じゃない。地球でも日本でも関東でも千葉県でも我孫子でもなかった。

 異空間から肉体と精神を別々に集め、俺が出来た。勿論スパニッシュの力が一番の要因となってるそうだが、選りすぐりの身体を用意し、その中に精神を入れた。

 アンドゥの信じられない言葉を無理やり咀嚼しながら飲み込んだ結果、こういった事実がわかった。とてもおいしくない。

 ミケラルド――確かに俺の名前であっているそうだ。俺の肉体年齢は三歳。

 …………何だこの中途半端転生は?

 転生? いや異世界トリップなのか? 状況がよくわからないが俺はこうして異世界へ来た。

 だが、この一言には流石に参った。


「さぁ、ミケラルド様、早速お食事を。本日は活きの良い奴隷が一匹入っておりますよ」


 俺の頭の中で、どうしても「奴隷=食事」に結び付かないんだが、どうしたらいいのだろう。

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