番外編
文化祭:教室展示にて
「コラボとは別に乙女文楽そのものも見てもらいたいんです」
夏休みの終わりを目前にして
「て……展示やる? 教室展示」
「できます?」
もちろんですとも。申請は夏休み前から一応してあるし、いつも練習に使っている空き教室も押さえてある。南畝さんならきっと前衛演劇風のコラボとは違う“乙女文楽”自体を知ってもらいたいよね。うんうん。……わかってた。
「ものによるかな。人形の展示はできるよ。歴史紹介やコラボの物語解説パネルとかも間に合うと思う」
「上演は?」
わずに上目遣いで南畝さんが訊ねてくる。ずるい。卑怯だ。こんなの「はい」か「yes」しか選択肢のないアドベンチャーゲームみたいだ。
「……やる?」
問い返した言葉はyesと解釈されたらしく南畝さんの表情がぱっと輝く。
「やりましょう!」
「や、やりましょう」
きゅ、と抜糸をしたばかりの小指に南畝さんの小指が絡められる。まだ少し腫れの残る傷跡は鈍い痛みを生んだけれどそれさえ私は陶然としてしまうのだった。
展示内容はすぐに決まった。
「展示中は基本的に私たちのどちらかが居て、人形を操ってお客様をご案内する感じで」
「講堂の上演中はどうします?」
「展示教室自体を閉めてしまいしょう。舞台の案内だけ貼り出して」
「展示内容は……月華さんのお人形と乙女文楽の歴史解説パネル?」
「ですね。あの屋台のと舞台用の新旧両方とも展示して月華さんのファンを呼びましょう。ご案内に遣う人形は、お客さんとの接触もあるでしょうし練習用ので」
「コラボの物語や背景を説明するパンフレットも欲しいわ」
「そ、そうですね。作りましょう」
南畝さんはどんどん私を遣うのがうまくなっていく。
「上演は?」
「一応時間を決めて三十分に一度くらいの予定でどうでかな。うんと短い演目で。実際は客足のある間はエンドレスで」
「二日間、一日中ですか?」
「大丈夫。教室展示は基本的に暇です」
すでに三回、この学校の文化祭を経験している私は教室展示にはあまり人が寄りつかないことを知っていた。
蓋を開けてみれば予想通り、教室展示は閑散としていて上演時間になっても観客は数人という有様だった。
コラボの最初の上演が終わるまでは。
——何、この有様は。
教室の出入口に立って呼び込みを続けてはいたけれど背もたれのない角スツールを並べただけの客席はすべて埋まり、立ち見で教室は半分が埋まっていた。準備のために入った舞台袖で私は南畝さんに囁く。
「どうしよう。こんなにお客さん入るなんて」
「午前と同じようにやればいいんです」
「でもみんな、コラボ舞台の評判を聞いて来たんだよ。初心者丸出しの私じゃなくて南畝さんの芸が見たいに決まってる」
「
「ううっ。緊張する」
「——そうですね。じゃあ、おまじないを」
南畝さんが軽く腕を広げる。いつものハグをもらうつもりで身を寄せると頬——というよりは耳元に口が寄せられ、ちゅ、と唇が鳴って短く言葉が囁かれる。客席の一方から黄色い歓声が上がった。舞台の袖にいるとはいっても布をつるしただけの即席の衝立があるだけで廊下側前寄りの席からはこちらが丸見えだ。例の事件のことも知れ渡っているのだろう。生徒たち、特に下級生たちの反応が強いようだった。
てぇん、てぇん、と録音伴奏の再生が始まる。演目は唯一私が覚えた『藤娘』だ。藤の精が惚れた男の気を引こうと健気に舞う物語。日本舞踊では小学生から演じられる馴染みの題材だった。
——南畝さんったら。
頬に——耳元に押し付けられた唇の痕が熱かった。
『私を想って舞ってください』
寄せられた唇はそう囁いて離れていった。私には南畝さんのように身についた技がない。どうしたって乙女文楽風の素人芝居にしかならなかった。南畝さんはその不足を「感情で埋めろ」と伝えたかったのだろう。常には練習量が芸を支えると言い切る彼女が、だ。
緊張を乗り越えるための方策、とわかっていたけれど。
——照れずに言えるの、ずるいっ。
惚れた弱みがあるのは確かで、私の想いは南畝さんも十二分に承知している。それにしても、というやつだ。
——ああ、もう、ヤケクソ。
私は「南畝さん南畝さん」と心の中で唱えながら舞台へ進み出る。客席なんて目に入らなかった。十五キロあるはずの人形の重さも感じなかった。ただ夢中で身体を動かし、人形を遣う。南畝さん、南畝さん、南畝さん、と頭の中をいっぱいにして。
気がつけば私の演技は終わっていて、録音の三味線がとぉん、とん、とぉん……と最後の音を響かせていた。音が消え、五つ数えてから人形共々ゆっくりと頭を下げる。客席が明るい気配に包まれた。南畝さんのコラボ舞台のように満場の拍手が沸いたわけではなかったけれど、少女たちの華やかな声とともに狭い教室が好意で満ちたのが伝わってきた。
——え? あれ?
予想外の反応だ。
南畝さんが人形を遣いながら和三盆の御捻りを配り、出口を案内し始めるのを見て私も慌てて倣う。
「素敵でした!」
ゆるゆると教室から出て行く人並みの中、小学校高学年くらいの女の子がそう言って私を見上げてきた。面食らってしまうくらい瞳が輝いていた。
「あ、ありがとう」
「わたし、来年ここ受けるんです」
「そっか。入試、頑張ってね」
人形の手で、とん、と少女の手に触れる。
「はい!」
御捻りを握りしめた少女が笑って駆けていく。
観客が去り、ショウケースの人形とパネルの周りに見学者が残るだけになったところで南畝さんがそっと隣に立つ。
「きっとあの子、来年はうちに来ます」
そうだね、と頷く私に南畝さんが軽く笑う。
「ふふっ。うちの部に来るだろうって意味なんですよ」
「え。あ……、うん。そうなってくれると嬉しいな」
「刀禰谷さんの『藤娘』がそうさせるんです」
「まさか」
「手応えがありませんでした? お客様みんな、刀禰谷さんの演技に引き込まれてたんです」
「ほんとに?」
「ほんとに」
能面さんだ、という下級生の声に振り返った南畝さんがぱたぱたと離れていった。
「引き込まれた、か……」
確かに午前中の閑散とした、少し居心地の悪い客席とは空気が違っていた。
すごいなあ、と人形とともに展示の説明をしている南畝さんを見る。彼女は私が舞台に集中できるよう、上演前のあの瞬間、ここぞという時に一番効果のある一言をくれたに違いなかった。計算尽くというよりは直感なのだろう。
少女が少女のために演じ、魅せる。
南畝さんという遣い手を得、この学園という舞台を得て乙女文楽の持つ少女性が花開き始めた。
きっと、そういうことだ。
乙女×文楽 藤あさや @touasa
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