第50話 馴染む三味線

 去りゆく夏とは裏腹に私たちの練習は熱を増していた。

「なー、南畝。そう髪を振るようになったのは歌舞伎の真似?」

 夜のロビーで練習する私に松里さんがガムを膨らませながら訊いてくる。髪は解いていればウエストに届く。うまく頭を振れば扇型に広げることもできた。乙女文楽の人形では頭の糸が絡んでしまってできないけれどコラボ用の人形であれば問題なさそうだった。

「変かな?」

「変じゃないけど。人形より目立ってる」

「人形は髪が広がらないものね。ね、この髪振るとこ、音と合わせていけないかな。カンカンカンで揺らしてカァン!で残響に合うよう、ばさぁ、って」

「ヘドバンかよっ。……まあ、できなくはないけど、あんた、合わせられる? やるなら即興要素強めに行くよ」

 乗ってきた、と私は内心でほくそ笑む。最近の松里さんは積極的だ。三味線の世界ではまだ定着していないギター的な奏法も試してくれていたりする。

「カンカンカンのとこが合図になってれば十分」

「ふん。じゃ、ちょっとやってみるよ。防音室の時間、まだ残ってるし」

 最初は『じょんがら節』しか指定がなかったものが二曲が入れ替わっていて変奏も入る。音色も、あるいはこちらの耳が慣れてきただけかもしれないけれど、多様で表情が豊かになっていた。三十分ほどかけて思いつきを試し、保留にして雑談で一息を入れる。

「松里さん、伝統三味線のおうちを飛び出して津軽を始めたんだって?」

「クソおしゃべり眼鏡。まあね。それがどうかした?」

「三味線が好きなんだなって」

「好きなんかじゃない。他にできることがないの。ボクは三味線シャミの音ばっかり聴いて育って、気づいたら撥以外に扱えるものがなくなってた」

「実家の三味線ってどんなのだったの?」

「…………」

 口をへの字にした松里さんが鳴らしたのは緩やかで深く沈み込む私のよく知る音だった。

「文楽のっ?」

「だから嫌だったんだ、南畝に関わるのは」

「それは、なんかごめん」

「人形持った南畝が現れたときは浄瑠璃が追いかけてきたかと思ってほんっとうんざりした。でも、今の南畝は悪くない。じょんがらの勉強もしてくれてるみたいだし、浄瑠璃の人形とは違うことやろうとしてるし。なんか騒動があったらしい頃から、いい感じになってきた」

「刀禰谷さんと話していたんですが」

「あいつ嫌い」

「ふふっ。月華さんにですね、そろそろ一泡吹かせたいなって」

「一泡?」

「松里さんの三味線も変わってきてます」

「ボクの? そりゃじょんがらはセッションみたいなもんだし。意識的に変えてもいるし」

「そろそろ月華さんがその音を人形に映したくなるんじゃないでしょうか」

 津軽三味線弾きの目の色が変わる。まだまだ彼女との〝呼吸〟は完璧ではなかったけれど手応えだけは感じられるようになっていた。

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