第39話 キスと檻

 いつものように二人だけの部活を終えた。何気なく着替えはじめた場所は刀禰谷さんの正面で、ふと上げた視線が重なると彼女は慌てた様子で背中を向けてしまった。

 内心で小さく溜息を吐く。

 着替えを終え、戸締まりを済ませ、部活日誌をつけはじめた私の傍らで手持ち無沙汰になった刀禰谷さんが教えたばかりの扇子を試していた。

「うぅん。返すとこがうまくいかない」

 日誌を閉じた私は「そこはですね」と立ち上がり二人羽織の要領で動きを伝える。「こうして、こう」

「……こう?」

「そうです。忘れないうちに繰り返して身体に覚えさせましょう」

「うん」

 手を取ったままダンスミラー越しに刀禰谷さんと視線を重ねる。薄く笑んだつもりの私に対し彼女の視線は戸惑いとともに逸らされた。

 ――ふうん。

 少しばかり意地悪な気持ちが湧き出して添えていた指先に力を込める。はっと上げられた視線が再び重なる。

「最近の刀禰谷さんは少しつれないです」

「えっ」

「ちょっと前まではハグも積極的に求めてくださったのに」

「だって。その、気恥ずかしくなってきちゃって」

「スキンシップ、気に入ってるんですよ」

 私は刀禰谷さんの側頭部、耳の少し上のあたりに頬を触れさせながら鏡の中の彼女の瞳を覗き込んでみる。教えるために取った右手は手首を内にいっぱいまで曲げさせたまま。さらに手首を曲げ続けるよう力を加えるだけで彼女は自らそうしたかのように軽く動き、机に仰向けになった。

「わっ?」

「伝統芸能は武術と近いと」

「えっ? 何?」

法のときに教えましたでしょう?」

 向かい合わせになって手を合わせ直す。乗り出した姿勢に髪が流れ、私と南畝さんを三方から囲む黒い檻が生まれる。

 私の舞台だ。

 刀禰谷さんの瞳を覗き込めば眼球の表面に私自身が映っていた。薄く栗色がかったグラデーションを作る彼女の虹彩は明るく外向きの性格を反映しているかのよう。

「関節をめ、両足を結んだ線から重心を外すようにしてやれば簡単に相手を崩せるのです」

 稽古中と変わらない野暮な言葉を連ねながらも視線は外さない。揺るぎもさせない。それがこの髪でできた檻の錠なのだと私には直感で知ることができた。

「そして、人形の重さが人形遣いを歩かせてもいます」

「南畝……さん?」

「刀禰谷さんのせいですよ」

「え? えっ?」

 体重を預け、右手を彼女の制服の腕から肩口へ首筋へと辿らせ、頬に触れ、眼鏡を摘まみ、外した。組み敷いた身体の熱さは私のものだろうか。刀禰谷さんのものだろうか。

「頭の中が散り散りなのは私ばかり。不公平です」

「不公平?」

 だから、と

「刀禰谷さんも悩んでください」

 さらに体重を預けた。

「南畝……さ……、近……」

 ごくゆっくりと顔を近づけていく。視線と髪と吐息で三重に縛ったこの場は、私の支配する舞台。

 呼吸も鼓動も、すべてが私のもの。

「私を、見てください」

 視線を切らないまま唇を重ねた。

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