第30話 決断

 先生との間で手紙がもう一往復し、ビデオ・チャットを交わしたことで抱えていた胸のつかえを取り除くことができたようだった。刀禰谷さんに対する負債は膨れ上がる一方だ。

「先生、少女文化の話、評価してくださったね」

「伝統としての側面も」

 ふふ、と私たちは笑い合う。ここ最近部の方針について話をするときには刀禰谷さんが少女文化を、私が伝統を推すという立ち位置を取ることが多い。先生に訊いてみるとどちらも間違ってはおらず、少女の愛らしさで男性客を呼ぶ俗っぽい狙いさえあった可能性があるという。

「先生がコーチに行ってる高校は共学校だってね」

「お教室でも男の子はいました」

 乙女文楽は文楽の技を市井に広げる役割も担おうとしているのかもしれない。刀禰谷さんに見せてもらったテレビ布袋劇は現代日本のアニメ、あるいはアメリカの洗練されたエンターテイメント映像とも勝負のできそうな生きた芸能だ。国立文楽劇場の公演はいつだって席は埋まるけれど中高年のリピーターが中心であるのは寂しかった。

 私は身近な人たちに乙女文楽に親しんで欲しかった。テレビ布袋劇のように刀禰谷さんに文楽そのものを「面白い」と言わせたかった。

 そろそろ活動方針を定めよう、と刀禰谷さんが提案する。

「決断が必要なのですね。少女性か伝統か」

「あるいはその両方でも、それ以外でも」

 私は黙り込む。

 ――ここで立ち止まっていたら、中学の時と同じだ。

 散々迷ってから、勇気を振り絞り口にしてみる。

「私は伝統をやりたい」

 初めて観た先生の舞台は、操っている人も頭につけた糸も袖の中の手も丸見えであるのに動き出した途端に人形遣いの存在が消えて衝撃を受けた。いかにも古めかしい顔立ちの人形たちが好きだった。馴染みのなかった三味線や義太夫節も戯曲の作られた時代から変わらないと知れば深みのある音色に聞こえてきた。

「OK。決まり」

「そんな簡単でいいんですか?」

「もちろん。乙女文楽部は南畝さんの部活だよ。私は、南畝さんを支えるためにここにいる。伝統の舞台もこの学校の生徒たちに親しまれる存在にしてみせるから」

 この人にはできないと思うことはないのだろうかと不思議になる。

「……いくつか我儘を言ってもいい?」

「うん?」

「伝統は大前提、外せない。でも、刀禰谷さんの言う少女性も捨てたくない」

「もちろん。それも大歓迎」

「月華さんに振り回されるのは嫌」

「わかる」

「でも、コラボにも魅力を感じてる」

 刀禰谷さんが小さく噴き出した。

「あはっ。欲張りコースだね」

「刀禰谷さんなら、全部満たせる形を見つけられる?」

 腕を組んだままたっぷり三十秒は上を向いていた彼女が力強く頷く。

「やってみる」

「ありがとっ!」

 力一杯刀禰谷さんを抱きしめる。それだけでは足りない気がして頭の横に大きな音を立ててキスをした。

「わっ。南畝さん、スキンシップ濃過ぎ。毒されてるよ、環境に」

「この間の、お返しです」

「ううっ。ほんともう勘弁して」

 そうですね、と笑って見せながら刀禰谷さんを解放する。

「刀禰谷さんには頼り切りでさらに頼っちゃうことになるけど、必ず芸で返します」

「うん。期待してる」

 刀禰谷さんは耳まで赤くなりながら曇った眼鏡を拭いていた。

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