第29話 告解

「話さなきゃ、と思ってたことなんです」

 中学で乙女文楽を習い始めたこと。練習生の一人と仲良くできずに教室に通い続けられなくなってしまったこと。仲違いをした子とは中学も同級で学校にも登校できなくなってしまったこと。以来一人で乙女文楽の稽古を続けてきたこと。

 刀禰谷さんは黙って耳を傾けてくれる。

「教室をやめるときもきちんと挨拶もせず、ずるずるとお休みしてそのまま辞めてしまって」

 刀禰谷さんは眼鏡を磨きながら天井を仰ぐ。

「ね。南畝さんの練習用のその人形、どうして手元にあるんだろう」

「これは……。引き籠もっていた私を先生が訪ねて、置いていってくださったんです。でも私、とても先生の顔を見る勇気が出なくて。お会いしないままでした」

「そっか。なら、いい機会にならないかな。考えてみて。先生はその人形を南畝さんに預けていったんだよ。南畝さんが乙女文楽そのものが大好きなこと、わかってたんだ。気にかけてなければそんなことしない」

 黙ってやめたことも訪ねてもらいながら顔も見せられなかったことも引け目になっていた。遠い北国の学校に逃げ出したこともだ。

「今更、合わせる顔がありません……」

「そうかな。もし私が南畝さんの先生だったら、辞めた後も一年以上一人で練習を続けてる教え子がいて、遠くの土地で部活まで作ったって知ったら喜ぶと思う。すごく」

 そうでしょうか、と俯く私の手を刀禰谷さんが取り、そうだよ、と力強い頷きが返る。

「部としても家元と呼べそうな先生と縁は持ちたい。南畝さんの練習メニューも復習だけじゃ先がないよ。人形を新造するにしても伝手がないと買うこともできない。いちげんの高校生が欲しいって言って売ってもらえるようなものじゃないよね」

「気が乗らない、と言ってる場合ではないのですね」

「無理はしないで。部活が楽しくなくなっちゃったら元も子もないから」

 迷っていた時間は短かった。過去を口にできた時点で私の心は決まっていたのかもしれない。

「刀禰谷さん、ハグをもらえますか」

 私の申し出に刀禰谷さんは満面の笑みで応えてくれた。

「もっときつく、お願いします」

「うん」

 本当に力一杯の抱擁が来る。この人以上に心強い味方からの応援はない、と温もりとともに染みてきた。

「ありがとうございます。勇気をもらいました。今度は私が動く番です」

 それに、と付け加える。

「ここで怯んで足踏みしていたら刀禰谷さんが連絡を取って話をまとめてしまいそうです。それでは私、先生にさらに顔向けできなくなってしまいます」

「実は勝手に連絡取っちゃおうかと思ってた」

 やっぱり、と笑ってしまう。

「んじゃ、まずは手紙を書こう。連名で。で、先生の都合の良い時間を伺って電話だ」

「刀禰谷さんは……」

「うん?」

「デリカシーが足りないようでいてとことん私を甘やかすんですね」

 さんざん悩んで書いた手紙には刀禰谷さんと並んで写したプリクラを同封した。震える手で投函した封書は胃が痛くなるような数日を経て返信をもたらした。こんな簡単なことが一年半前の――一週間前の私にはできなかったのだ。

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