第20話 乙女文楽部成立

 申請から四日で乙女文楽部は公式のクラブ活動となった。活動場所は本校舎三階の空き教室。資材置き場から見つけ出したダンス・ミラーだけが備品のささやかなスタートだ。

「部員が欲しいです」

 歩き方の練習から一息ついたところで南畝さんが言う。

「クラブ紹介も勧誘週間も終わっちゃってるもんね」

 学内SNS、校内掲示板、生徒会報の記事、ビラ配りと一通りの宣伝はしてみたものの乙女文楽部は南畝さんと私の二人のまま。月華さんがコミットするという噂が流れたことで話題にはなっているらしい。入部志望者は現れていないけど。

「部員も欲しいけど、指導者探し、人形の手配。まずはこの二つが課題だね」

「座学は充実させられそうです」

「図書室の資料? まじでするのお勉強?」

「もちろん。古文の先生に勉強会の指導をお願いするのはどうですか」

「手配はできるよ、できる。喜んでするけどさ」

 演技の練習が中心になると思っていたのだけれど。

「古典の勉強は必須です」

「南畝さん、先生みたい」

「今も上演される文楽の演目は大した数があるわけでもないので全部押さえましょう。現代語訳で構いません。時代物のあらすじが頭に入っていると古文の授業が楽になりますよ。世話物だって江戸時代の恋物語ばかりです」

「遊び人と遊女が心中するみたいなのだよね?」

「遊女が幽霊になって恋人のところに通うみたいな話もあるんですよ」

「女の子が活躍するのはないの?」

「日曜朝のアニメみたいにですか?」

「そうそう」

 考えを巡らせているらしい南畝さんの、赤い唇の下に指を当てる仕草に視線が惹きつけられる。

「戦うヒロインであれば巴御前はどうでしょう。弓も刀も無双で素手で敵将の首を捻じ切る女丈夫ですが美しい人でもあったとか。最近途絶えていた上演を復活させたというニュースがありました」

 ただ、と南畝さんは少し困った顔をする。

「それは『ひらかな盛衰記』という源平合戦のお話なのですが、スケールが大きいんです。鑑賞向けの学習素材にはできても私たち二人で演じるのは難しいかもしれません」

 けっきょく、本格的な勉強会は先送りで当座は図書室にあった漫画版の古典で済ませることになった。

「夏休みは先生方にレクチャーをお願いしよう」

 南畝さんが首を傾げる。

「刀禰谷さんは帰省しないんですか?」

「うん。毎年そう」

「外出や旅行は?」

「門限までの外出ならいつもと同じように。泊まりの旅行は帰省してになるけど、うちは難しいかな」

「そうなんですか。国立文楽劇場で公演があるのでご一緒できればと思ったのですが。乙女文楽の公演もタイミングが合えば刀禰谷さんにも是非一度見ていただければと」

「東京? うぅん。母が東京だから名目は立つけど」

「?」

「母のマンションに行くと邪魔になっちゃいそうなんだ」

「おうちの事情があるんですね」

「南畝さんは? 帰省するの?」

「私は――考えていませんでした」

「早めに言い出してもらえて良かった。ちょっと待ってね。――やっぱり。文楽って出張公演があるよ。あ、乙女文楽も公演招けるみたい。いっそ学校に呼んじゃおうか」

「えっ」

「学校か、地域の舞台か。学校から教育委員会に話を通してもらって、地方巡業に組み込んでもらうのもありかも」

「待ってください。そんな大事にするつもりは」

 私は立てた人差し指を振ってみせる。

「能年さんはこの刀禰谷が生徒会執行部の一員だということをお忘れでは」

「生徒会が地方巡業を呼べるんですか?」

「呼べないよ。でも、学校側に提案はできるし、実際、夏休みに用意してる体験講習の類は生徒会企画なんだ。イカ漁体験とかめっちゃお勧め。羊牧場体験は毎年やってるし。昨年は津軽三味線の子の師匠も呼んだよ。学校の承認も取って先生方にも関わってもらうけど、うちは体育祭も文化祭も夏の講習会も生徒側の自治イベントなの」

「そういう生徒会もあるんですね……」

「文楽みたいな伝統芸能は生徒会から提案すれば通る可能性の高い企画だと思う。大きな企画は一年越しで動かさないとどうにもならないから実現するとしても来年以降にはなるけど」

 やってみる?と訊ねてみたけれど首が振られた。まずは部活を軌道に乗せたい、という。私たち二人きりの部活で新たな入部希望者もいない。大げさな企画を出してみても尻込みしてしまうということだろう。

 会話しながら再開した練習に私は少し愚痴めいたことを言ってみる。

「このうん法ってどういう意味があるのかな」

 人形なしでの立ち方、歩き方の練習だった。

「日本の伝統芸能――お能や歌舞伎、文楽、日本舞踊は武術と同じルーツを持つという説があるんです」

 単に歩くだけでも摺り足で、後ろの足を一度前の足のすぐ横まで引き寄せてから斜め前へ出すよう教えられた。人形は持っても演技らしい演技の練習ははじまらない。カンフー映画の謎の修練シーンのようだった。

「これ、武術の歩き方?」

「合気道や柔道の元になった柔術や古武術と近いとか」

「もしかして、文楽をやると強くなったり?」

 十五キロ近い人形とともに動き回るだけでもけっこうな運動になるのは確かだ。

「それはどうでしょう。中国の太極拳もですが、重心の位置を把握して身体を思い通りに動かすための法みたいです」

「ほほう」

「ほら、刀禰谷さん、足元雑になってます」

 後輩に指導することそのものが乙女文楽のカリキュラムになっているとかで私の先生は南畝さんだ。今はこれで良いかもしれないけれど、南畝さん自身は復習しかできることがない。

 ――まずは指導者かな。

 一番に思いつくのが南畝さんの乙女文楽の先生に連絡を取り、指導できる人を見つけてもらうことだった。ただし、これはたぶん微妙な問題を含んでいる。南畝さんがなぜ地元を離れたのか、というのが鍵になる。それとなく話題を振ってみたことはあったけれど、あまり触れられたくない話題なのだろう、疑問は解消されないままだ。

 人形にしても問題は同じだ。個人売買サイトを当たれば文楽人形も出品されていないわけではないけれど、正規の部活で来歴の不確かな人形を買うわけにはいかなかった。見た目は文楽人形に見えても演技には遣えない可能性もあったし、乙女文楽には一人遣い用が必要だ。上演するなら演目に合わせた本番用の人形も要る。南畝さんと私で手作りするという線もあるけれど工作という点では私も南畝さんも不器用なのは判明していて小学校の学芸会レベルになってしまう。正規に誂えるなら百万円単位の予算も要りそうだった。

 問題は山積みだった。

 ――でも、なんとかなる。

 生徒会でいくつもの部活を立ち上げてきた経験がそう思わせてくれた。

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