第6話 わたしとセンパイの取引

 美貴は、先輩のことを始めのうちこそは警戒していた。しかし、付き合ってみると意外に紳士で少し驚かされた。

 無論遊び人だから女の子の扱いは手慣れたものだったけれど、あまりアバンチュールを楽しもう、という風には全く見えなかった。少なくとも美貴の目からは。



「遊びで口説いたと思ってた?」

 何度目かのデートでカフェに行ったとき、先輩が美貴に訊いた。


「う~ん、どうなんだろ……」

 美貴はグラスの氷をストローでカラカラと鳴らし、はぐらかした。


「確かにさ、僕は湘南に来るたくさんの女の子たちと遊んでるよ。けどね、そんな中から、本気になれる僕だけの女の子を探してるんだ。つまりナンパは出会いなんだ」


「はぁ……」

 同じ事を何人に話したのだろう。淀みなく一気に語る彼は、役者のようだった。


「それがミーちゃんだったらいいなって思ったから、何度もアタックしたんだよ」

 先輩は優しく微笑み、グラスの結露で濡れた彼女の手を取って、真っ直ぐな視線を送る。


(普通なら、ここでグっとくるのかな)


「でも、当て馬はそろそろヤメたいんだ、僕」

「……え?」


 先輩は急に真顔になった。


「ミーちゃんとカズ、ホントは親戚なんかじゃないでしょ」

 ズバリ言い当てた。


「…………どう……して、」


「そのくらい分かるさ。ダテに何年も湘南でナンパしてないよ。いっつもお互いチラ見して意識しまくりだし、そもそもあいつの親戚だったら、同じ職場に来るわけがないし、来られるわけがない」


 あの親子を見捨てた、冷たい親類達。

 確かに、彼の言うとおりかもしれないと思った。


「ミーちゃんさ、何か事情あるんでしょ? 僕で出来ることなら力になるからさ」

 先輩は腕組みをしながら、ゆるい笑みと共に保護者的な視線を投げかけてくる。


「ごめんなさい、先輩。実はね……」


 美貴は、和也との一部始終を先輩に話した。そして兎の護符のついたトートバッグをテーブルの上に置いた。


「こ、これはっっっ!」


 先輩が急に色めき立った。

 身を乗り出して白ウサギをガン見している。

 ムリもない。この男ほどのナンパ師ならば喉から手が出るほど欲しい、超絶レアアイテムなのだから。


「和也がうちに落としていったんです。返しても受け取ってくれないし……。なので、こうして目立つように持ち歩いてるんですけど、アイツ何も言わないし。アイツがどういうつもりなのか、私分からなくって……」


「大丈夫、希望はある。――もしもだよ、ミーちゃんがカズとヨリを戻せたら、そいつを僕に譲ってくれないか?」


「ほ、本当に元に戻れるなら、喜んで!」

「よし、商談成立!」


 二人はぎゅっと握手を交わした。


                  ☆


 美貴のおかげで和也はこの頃寝不足だった。

 心労だろう。夏場の寝不足はダイレクトに体力を削ってくれる。さすがの和也でも朝がかなりキツい。


 ……まったく、いい加減頭にくるぜ。どんだけ俺を苦しめれば気が済むんだよ、ったく。先輩も先輩だ。自分が当て馬だと分かっていながら、涼しい顔して相手をしている。早晩俺の後釜に納まるつもりなんだろうが……。


 ――断じて却下だ!


 ……あぁ、親戚だなんて言わなけりゃ良かった。大体あのお守り、ちっとも効果ないじゃないか。ウルトラモテモテグッズじゃなかったのかよ?

 店には男が何人もいるわけだし、俺が言うのもなんだけど、あいつのルックスならいくらでも寄ってくるはずだ。だが、結局食いついたのは女に見境いのない先輩ただ一匹。自分で引き取れりゃ苦労はないが、睨みをきかせ続けるにも限度がある。クソッタレ!


 出勤前、店の外で一服のあと和也は裏口から店内に入った。まだ薄暗い店内を歩き事務室へと向かう。シフト表によれば今日の早番は自分と店長と美貴のはず。

 正直、気が重い。


(あーあ、どっかに金落ちてねぇかなぁ……

 この際安定した仕事でもいい。そう、定職さえあれば、なんとか美貴を……。

 ん? 何の募集告知だ?)


「茅ヶ崎二号店新規オープンに伴う新規スタッフ及び、店長候補募集のお知らせ、だと……?」

 和也は店の掲示板を食い入るように見た。


【店長として正式採用後、社員登用。社会保険、福利厚生、各種手当あり、社員寮入居可(家族寮あり)、社員融資制度あり】 


「……こ、これだ!」


 和也はダッシュで事務室に行き、呑気にやすりで爪を磨いている店長を捕まえた。

「て、店長! に、ににに二号店って?」


「あらカズちゃん、おはよぉ~。なぁに、店長さんやりたいのぉ~?」

「はい! ほ、他に立候補者いないですか?」

「うふふ、いないわよぉ~。んじゃ、カズちゃんで決定ねん♥」


 店長は語尾にハートをくっつけながら言うと、バチッ、とキモいウィンクを至近距離から発射してきた。普段は全力で回避する和也だが、この時ばかりは全力で受け止めてやった!


「よっしゃーッ!」

 ガッツポーズを取る和也。そして、太い腕を広げて迎える店長のブ厚い胸に飛び込んで、熱い熱い抱擁を交わした!


『これで美貴と所帯が持てるッッ!』


 ――ガチャリ。その時、事務所のドアが開いた。

「…………あ」


 目を点にした美貴が、そっとドアを閉めようとしている。

 違う! 断じて違うぞ! 俺は男に目覚めてなんかいないんだぁぁぁぁ!

 和也はあわてて店長を振り払うと、閉まりかけたドアに手を掛けた。


「美貴、誤解だ!」

「ごめんね、なんか勘違いしてて。……どうか店長とお幸せにッ」

 美貴は泣きながら店を出て行ってしまった。


『どうしてこうなった?』

 和也は頭を抱えた。

「おい、今日は厨房の人数少ないんだ。頼むから仕事してってくれよ……」


                  ☆


『よくあるよくある。あははひゃはひゃひゃ……』

 電話口の先輩が爆笑している。


「だ、だって、すごい抱き合ってたんですよ? 笑い事じゃないっていうの。まったくもう」


 思わず店の外に飛び出してしまった美貴は、非番の先輩に電話した。


(でも、よかった。和也がアチラの趣味に転向したんじゃなくって)


 先輩との電話を切ると、美貴は行くアテもなく海辺のガードレールに寄りかかって、ぼーっと波を見ていた。


 ふと背後でバイクの停まる音がした。

 それはピザ屋のデリバリー用ではなく、普通のバイクだった。

 和也がわざわざ私物のバイクで美貴を拾いに来たのは、二人乗りが出来ないからだった。


「探したぞ、このバカ! 早く後に乗れ」

 ガードレール越しに、和也が美貴の頭をヘルメットでゴツンと叩いた。


「いたっっ!」

「今日のシフト、分かってんだろ? 厨房にお前がいないと困るんだよ」

「…………」

「いいから戻ってこい。別に怒ってないから」

「……」


 美貴は無言でガードレールを跨ぎ、渡されたヘルメットを被ると、バイクの座席に跨がって和也の腰に手を回した。


「アホかお前は。少し考えりゃ分かるだろ。俺がホモじゃないことくらい」

「……だってぇ……」

「信じられないか? ……って俺が言うセリフじゃなかったな。すまない」


 和也は、美貴の方へと振り返った。

「手、かせよ」


 和也はシャツのポケットから何かを取り出した。

 彼は照れながら、美貴の指に誕生石のリングを嵌めた。


「これで俺に売約済み……ってことにしてくれないか? 安物だけど……」


 美貴は大きく目を見開いた。

 望んでいたこととはいえ、あまりにも唐突すぎる彼の急変に、美貴は戸惑った。

 先輩は一体どんな魔法を使ったのだろうか?


「……どうしたの、急に」


「俺、二号店の店長やることになった。正社員なんだ。これでお前のこと面倒見てやれる。指輪は、後でちゃんとしたの買ってやる。だから……」


「私、これでいい。……いや、これがいい。ありがとう、和也」


 和也はへへっ、と照れ笑いをした。


「俺、お前と一緒じゃないと生きてる実感がないんだ。抜け殻みたいだったこの三年間で、それがよく分かった……」


 相変わらず、独り言のように呟く。聞き耳を立てていないと、波の音とエンジン音にかき消されてしまいそうだった。


「俺は、……お前と一緒に生きていきたい。色々と苦労かけるかもしれないけど、頼む。俺と結婚してくれないか?」


 ――これだ。このまっすぐで真摯な眼差し。これこそ、私の大好きな――


「十年前、あの神社で和也がプロポーズしたとき、ちゃんとOKしたじゃない。それに、結婚式だって……」


「お、覚えていたのか?」

「ううん、忘れてた。でも、思い出した。ウサギの護符と一緒に寝てたら神サマが」

「そっか。だからアイツ……」

「え? 何の事?」

「俺、多分あの神サマに会ったんだと思う」

「もしかして、銀髪の……?」

「多分、な」


 和也は不敵な笑みを浮かべ、今度は、優しくついばむように軽いキスをした。

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