8 ロリコン、意外な人間関係を知る
出てきたお茶はごく普通の心温まるお茶だったし、おまけのようにお茶菓子までついてきた。
あの変態女刀鍛冶は、毒のお茶を持ってきた上にお茶請けを持ってくる気配りすらできなかったというのに、なんという格の差だろう。
この優しさはどうやら本物で、彼女は本当にいい人のようだ。疑った自分が少し恥ずかしい気持ちになる。
お茶菓子の拘りについて楽しそうに語る彼女(名前はサリアというらしい)を前にしながら、僕はしみじみと呟いた。
「もう手遅れですけど、いいお嫁さんになれたと思いますよ」
「ておっ……!」
すると突然、テーブルに顔を落下させるサリアさん。
彼女の頭が木製テーブルに勢いよくぶつかったのと同時に、僕の頬が後ろから強くつねられた。
「だからそういうこと言っちゃ駄目だって言ってるでしょ~~~ご主人様ぁ~~~!!」
「な、なんでですか! 僕はただ褒め言葉として……」
「それ褒めてないんだよ! 追い込んでるんだよ!」
気が付くと、顔を上げたサリアさんの目は涙でびしょびしょになっていた。
「……だ、大丈夫です……もう、半ば諦めてますから……人に言われると、その、ちょっと『くる』だけで……」
「駄目だよ!? まだ諦めるには早いよ! サリアさんみたいな綺麗で優しい人なら、きっとチャンスは見つかるから!」
日頃あれだけ散々人に殺せ殺せと連呼しているのに、どうしてこんな時だけ善人ぶるのだろう。
僕が心の中でそんなことを考えると、アインはむっとしたような表情で俺を睨んだ。
「善人ぶってるわけじゃないよ。ただ私も、人間ではないとはいえ女性の体であることに間違いはないからね。女の敵がのさばってるのを放置できるわけじゃないんだ」
すると納得がいったように、サリアさんが頷く。
「……ああ、そうなのかと思ってましたけど……アインさん、でしたっけ。やっぱり貴女は人間の幽霊じゃないんですね」
そういう言い方をするということは、人間の幽霊にも会ったことがあるのだろうか。
「うんそうだよ。私はこのご主人様が持ってる魔剣の精霊。どうしてそう思ったの?」
「どことなく神秘的で、とても私と同じ生き物とは思えないほど可憐でしたから……」
「ふふっ、そうでしょうそうでしょう。これでもね、私はこれまで、貴方達人間では真似できないほど多くの男を魅了してきたんだから! 当然、その美貌には自信があるんだよ!」
「きっと、成長されたらもっとお美しくなられるんだろうなあって、そう思います」
「えっ!?(歓喜)」
「えっ?(困惑)」
サリアさんがその台詞を吐いた途端、アインの目の色が変わった。
多分僕の目の色も変わった。
「そ、そうかな……えへへ、嬉しいな……」
照れて体をもじもじあさせるアイン。もじもじしてるアインも可愛い、けど今の言葉は聞き捨てならない。
「あっ、もしかして成長されない種族だったりしましたか? それだったら、もしかして私失礼なことを……」
「ううん! ぜんっぜんそんなことないよ! むしろ嬉しかったくらい! 成長後の私の方が綺麗だって言ってくれたの、久々だから……」
成長したら、アインがもっと綺麗になる? どうしてそんな非科学的なことが言えるんだろう。
「――――って、私なんでそんなこと褒められたくらいで喜んでるの!? 冷静に考えたら、私が成長して美人になるのは嫌ほど分かってたことじゃん!」
しばらくデレデレしていたアインだったが、やがてはっとして素面に戻った。
「あー、もー、最悪……ご主人様の毒がたった一ヶ月で私の心に染みついちゃってる……知らず知らずのうちに、自信が奪われちゃってるよ~……!」
褒めても褒めても自信が失われるとは、人を褒めるって難しいことなんだな。
「しかし聞き捨てなりませんね。アインが成長して、今より美しくなるはずないじゃないですか。今が女の盛りで、ここから先は下り坂の一方ですよ」
「聞き捨てならないのはこっちの台詞だよ!? っていうからそういうこと真顔で言うから自信なくすんだって、なんで分からないかなあ!?」
アインの文句はいつものことだ。僕は無視して、サリアさんに向き直る。
サリアさんにアインが見えて、そしてアインのことを美しいというのなら、一つだけ確認しておかなければならないことがある。
「サリアさん、一つだけ伺ってもよろしいでしょうか?」
僕の神妙な面持ちに、思わず身構えるサリアさん。
「え……あ、はい。どうぞ、ご自由にお聞きください」
「サリアさんは、アインに欲情しているんですか?」
「えーと、そうですねー……」
「―――――はい?」
「ご主人様? 本当に何を聞いてるの?」
サリアさんの表情が、みるみるうちに引きつっていくのが分かった。
アインも眉間に皺をめっちゃ寄せてこっちを見てくるが、そっちに構ってはいられない。
これは聞かねばならないことなのだ。
俺はサリアさんに一歩踏み込んで顔を近づける。
「いえ、もしサリアさんが性的な目でアインのことを見ているのなら、僕は即刻この村を立ち去りたいと思いまして」
「え、ええ……?」
「いいですか? アインは本来僕にしか見えない存在で、僕が独占できていた存在です」
「は、はあ」
「サリアさんがアインを感知できるのはこの際仕方ありませんが、『もし性的な目をアインに向けていると言うのなら』、僕は貴女の目の届くところにアインを置きたくないんですよ」
「えっ、えっと、心配しなくてもそういうのは私……」
「どうなんですか。アインに性的な感情を抱いていますか。エロいことしたいとか考えていませんか。ふしだらな情念をぶつけたいとか考えてはいませ――――」
「もうそれ以上はやめろおおおおおお!!!」
「がはあああっっ!!」
位置エネルギーを利用した、アインの苛烈な踵落とし。
流石の僕もこれにはこたえて、しばらく痛みで動けなくなった。
「……あ、がっ……」
「常識で考えてそんな展開あり得ないって分かれ! そんなんだから変態だって言われるんだよご主人様! 」
「うっ、うあっ……で、でもサリアさんアインのことを綺麗って……」
「同性! 年の差! そもそもアインさんはロリコンじゃないし! そんなことも分からないのこの馬鹿ご主人様は!」
「アインは性欲を持たないから分からないんですよ! 常人がいかに周囲から欲望の目を他人に向けて生きているか! 見境のないゲスな男どもは、町で女を見かけるたびに食えるかどうか話をすると聞きます!」
「女狙いの男と、ロリコンの女性を同一視してどうするの! 母数が全然違うよ!」
「母数が違おうと、出会う時は出会うんです……先ほどエリナさんの姿を見てから、僕はもう人は何をしでかすか分からないと刷り込みされてしまったんです」
「あれは巷の悪夢みたいなものだから、一般社会にあの人の観念を持ち込んだら駄目だから……」
すると、サリアさんの眉毛がぴくりと動いた。
「エリナに会ったんですか?」
妙にこなれた感じで、その名前を出すサリアさん。僕とアインはよからぬものを感じ取って、一斉に彼女の方を振り向いた。
「あの子、元気にしてましたか? 森の中に籠もりっきりなもんだから、姉としては心配で心配で……」
「あ、姉?」
「まさかとは思いますけど、サリアさん……あのエレナとかいう刀鍛冶の、お姉さんなんですか?」
僕達の困惑に全く気付いていない様子のサリアさんは、にこやかな表情で頷いた。
「はい、たまに遊びに来ますよ?」
「ヒッ」
思わず悲鳴が漏れた。
「ひっ?」
「あっ、いえっ、しゃっくりです。失礼しました」
「いえいえ。……あの子が作った剣、護身用って言って私に渡してくれましたけど……重くて飾りになっちゃってるんですけどね」
サリアさんが指さす先に視線を送ると、確かにそこにはエリナ製と思しきデザインの剣が目に入った。
一見すると優れたデザインの出来の良い剣に見えるが、作り手の思想を踏まえた上で見るとやましいものに見えてくるから困る。
同じように引きつった顔で剣を見ていたアインは、やがて囁くように僕の耳元へ話しかけた。
(ねえ、もしかしてサリアさんが結婚できない理由って……)
(やめてくださいそんなに近くで息を吹き込まれると感じてしまいます)
(唐突にキモイ! 話が進まなくなるからそういうのやめてって!)
(ご、ごめんなさい)
(で、どう思うご主人様。サリアさんが結婚できない理由ってさ……)
(十中八九血縁関係ですね。妙だと思ったんです。多少スピリチュアルなものが見えるからって、婚期逃すなんてことあるのかって)
(弁えない人が日常的に霊を主張してたりしたらそりゃ怖いかもしれないけど、サリアさんそのへん分別ありそうだもんね)
(でも、エリナが妹で交流があるとなれば納得できます。この人と結婚したらたまにあんなのが遊びに来ると思うと、そりゃ結婚相手も遠のきますよ)
(いくら本人がまともでも、それ以外がまともじゃなかったら論外だもんね……)
何も知らないサリアさん。
優しい彼女は自分のせいだと思っているけど、十中八九彼女は悪くない。悪くないけど八方ふさがりだ。
妹の方も、多分姉を困らせようと思ってやってるわけじゃない
これから先も彼女は、妹の奇行のために一生を振り回されていくんだろうな……。
そう思うと、変人に意味もなく絡まれたようで、僕としては同情の念を禁じ得ない。
(言っておくけど、ご主人様がそうやってしみじみする権利は一切ないからね?)
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