ウィッチ・クラフト

「っっっっっっっ!!」

 悲鳴にもならないような自らの声でと共に意識が覚醒する。

 涙でぼやけた視界に映るのは、何度も見た自分の部屋だ。ジリジリと鳴り響く目覚まし時計。混乱していた脳が鮮明になるのに数分を有し、先ほどまでの出来事が夢であったと気づく。あの、骨の軋む音だと思っていた音が目覚まし時計の音だったことに気づき、安堵すると同時に、軽い呆れを感じる。まさか、夢の中で自分のこれまでの人生を評するとは。

 目覚まし時計は午後8時半を指す。バイトののためにセットしていたアラームを止め、バイトに行く準備をする。どんなに恐ろしい夢を見たからといって、バイトに遅れて良い理由にはならない。身支度を終え、アパートのを扉を開ける。

 夢で見た住宅街を進む。すでに周りは薄暗くなっている中、先ほどの夢で見た道を通る。怖さはあるが、夢とは違く住宅に明かりは点いている分恐怖は弱まる。

 自転車に乗って15分の道を進みバイト先に着き、裏口を通り店内に入る。すでに同じ時間のシフトの人々の数人は準備を進めている人もいる。既に準備を終えている人の中には俺の彼女もいる。先輩、兼彼女はにこやかな表情で、早く準備をしなさいとジェスチャーで促す。急いで支度をする間に、後から同じ時間帯の人たちも入ってくる。この店の年齢が近い人たちの中では一番長く働いている彼女が俺に早くと促す様を見たのか、他の人たちも急いで準備を進める。この時間にもなると客も少なくなり、そこまで急いがなくても良いはずだというのに、先輩はこうも先輩風を吹かせている。普段はどちらかというとおっとりとしている様な先輩がこういう態度を取る時は時は決まって何か機嫌が良くなることがあった時だ。その証拠に、バイトの途中だというのにを必要以上にこちらを見てくる。その度に、集中しなさいとジェスチャーで返すと、先輩は不満そうに顔をそらす。その様子を、いつもの事だと流しながらも、バイトは滞り無く進み、終了の時刻を迎える。

 帰る準備をしている時に、目の前に彼女がやって来て、今日何か変わった事なかったかと聞かれる。普段の日常会話の感覚で「バイトに行く前に仮眠取ってると時にめっちゃ怖い夢見たんですよ」と言いながら頭をあげる。そこにいたのは、残念だとでもいうかの様な顔をした先輩だ。頭の中で、しまったと強く思う。先輩がこういう問い方で話を振って来た時は、どこかがいつもと違う様にお洒落をして来た時だ。失敗を取り戻す様に急いで彼女の姿を見てみるが、残念ながらどこかが違うのかがわからない。

「あれ、先輩、いつもと雰囲気違いますね。いったいどこ変えたんですか?」

あたかも変化自体には気づいたかの口ぶりで言ってみることにした。

「そんなこと言って本当は気づいてないんでしょ?ほら、ここ変えたの、ここ」

と言いながら、先輩はセミロングの髪の内側を見せる。そこだけ髪の色が違くなっていた。

「…そんな所、分かるわけないじゃないですか」

「せっかく伸びたから今までにやったことないこと挑戦してみたのに…」

先輩は拗ねた様に染めた部分の髪を指先でくるくるといじる仕草に、俺の雄が刺激される。可愛い、とい言葉では言い表すことのできない甘い感情が体をよぎる。

先輩は前に、髪を焦がしたと言って首のあたりでバッサリと切ったのだ。恐らく、ぼーっとしている時にヘアアイロンでやってしまったのだろう。それまではどちらかと髪の毛が長い印象が強かっただけあって、その時は驚きもしたが、こうしてまたひとつ先輩の魅力にきづくことができたと思うと先輩の焦げた髪の毛には悪いと思うが、とても良かったと思う。

 身支度も終わり、先輩と店を出る。既に日は落ちて、辺りはすっかり暗くなっていた。

「そういえば、あの時言ってた夢ってどんな夢だったの?」

 ふと放たれたその言葉に心臓がどきりと跳ねる。店の中で話す分にはまだ良かったが、この道を通りながら聞かれるとなると話は別だ。脳裏をあの肉塊の化け物がちらつくが、元々この話題を出したのはこっちだ。俺は、痛み分けの気分で見た夢の内容をできる限り鮮明に語ってやった。しかし、先輩はケラケラと笑うだけだ。そういえば、前に二人でホラー映画を見た時もそうだった。ネットでも怖いことで有名だった作品なのに、先輩は笑顔を作るばかりで怖がる表情を見せることは一度もなかった。結局痛み分け作戦は失敗、俺があの夢をより鮮明に思い出すだけという大敗のまま夢の話題は終わり、その後は普通に他愛のない会話をしながら途中の分かれ道で別れて家を目指す。相変わらずこの道に恐怖を感じるが、バイト先に向かっていた時ほどの怖さではない。全く怖がらない先輩を思い出すと、なんだか怖がっていることが馬鹿馬鹿しくなった。行きに自転車に乗って通っていた道を、先輩に合わせて歩いていたはずなのに帰りの方が家に着くまでを短く感じた。楽しい時間があっという間に終わってしまう現象に感謝する。

 家に着くと適当にシャワーを浴び、ベッドに着く。

 バイトでの疲れもあってか、すぐに眠気がやってくる。

 どうか、今夜は悪い夢を見ませんように。

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