バイバイバイク
芥流水
バイバイバイク
俺はバイクで走っている時が一番好きだ。
ブオンブオンとエンジンを響かせ、人気のない夜の道路を気心の知れた仲間たちとかっ飛ばす。
その爽快感は何物にも変えがたい。
「遅いぞ」
何時もの溜まり場に行くと、そこには既に仲間たちが揃っていた。
総勢十人足らず。
少し前まではもっといたらしいが、昨今の風潮に流されて、ここまで規模が縮小してしまった。
でも、こちらの方が良いのかもしれない。大人数でいても、面倒なだけだ。
「今日はどうする?」
仲間の一人が聞いてくる。
俺たちは走る道を事前に数字で決めている。その方がより飛ばせるからだ。
俺は少し考えた後、答えた。
「そうだな。第四ルートで行こう。あそこなら直線が多いから、飛ばせる」
そう言って、皆んなを見渡す。
誰も異論はないようだった。
ふう。
息を吐き、エンジンを数回唸らせる。
後ろの仲間たちもそれに続き、あたりに響き渡る。それは、他人が聞けば、不協和音に他ならないかもしれない。しかし、俺たちにとっては結束を示す、何よりのメロディであった。
「行くぞ!」
聞こえないだろうが、そう叫ぶ。同時にブレーキを解除し、俺は走り出した。ミラーを見ると、仲間たちも続々と続いている。
俺の顔には知らず知らずの内に笑みが浮かんでいた。
そうだ。あのうるさい親も、つまらない日常も、ここでは彼方後方の出来事でしかない。
こうしている時だけが、俺にとっての自由なのだ。
バイクと一体になって、夜の街を走る。風と一体になる。自分が速度の中に溶けて行く。
夢から覚めたのは、溜まり場に戻り、バイクを停めた時だった。最初の頃は速度を出すのも、おっかなびっくりだった。しかし、今や無意識の内にここまでやってのける。その上達ぶりを見るに感慨深くもなる。
仲間たちと別れて、今度は法定速度を守りながらバイクを走らせ、家に戻る。
憂鬱だ。
法定速度を守っているのだって、別に良い子ぶっているわけではない。ただ、嫌なのだ。
あの家に帰るのが。
「…………」
何を言うでもなく、玄関のドアを開け、中に入る。
両親は在宅しているはずなのだが、その姿は見えない。寝ているのか、こちらの様子を伺っているのか。そのくせに、息も詰まりそうな閉塞感だけがこの場に残っている。
「ちっ!」
俺は舌打ちをして、自分の部屋に戻った。
両親は、なんの変哲もない人間だ。そこそこの会社に勤める父親と、パートで家計の負担を軽減しようと勤める母親。判を押したかのような、平凡な家庭。俺はその家の一人っ子である。
なんでこうなってしまったのか、自分でも分からない。ただ、いつからか、この平凡な家庭に不満を、苛立ちを、不快感を抱くようになってしまった。
だからというわけでは無いが、自然と夜に出かけ、バイクを乗り回すようになった。最初は一人だったのだが、同じような人間は意外にいるもので、次第に集まり、今では夜毎に集団で走るチームになっていた。
そこで俺はリーダーまがいの事をやっている。走るコースを決め、先頭を切って駆け抜ける。それだけの事だが。
故に、このどうしようもない感情には、自身への嫌悪も混ざっているのだろう。
俺はそう考えながら、ベットに倒れこむ。そして、煩わしい現実から目を背けるように、瞳を閉じた。
目覚めると、十時を過ぎた頃合いだった。静かな家の中をゆっくりとリビングへ向かう。今から学校へ行ってもどうせ遅刻だ。それに、授業なんかまともに聞いたことは無かった。
俺はパンにジャムを塗って食べると、それを朝食として、家を出た。
俺はバイクに乗り、アクセルをふかし、溜まり場へと向かった。
そこは昔使われていた工場で、昼間に見ると、その全景がよくわかる。
小さなものであるが、浮浪者もおらず、狭すぎることもないので、俺たちはここで満足していた。
バイクから降り、押しながら中に入る。電気も通ってないので、昼であっても薄暗い。最初は不気味さも感じていたのだが、ほとんど毎日のようにここに出入りする内にすっかり慣れてしまった。
「来たか」
仲間の一人がにやにや笑ってそう言った。
「おう。何か良いことでもあったのか?」
俺がそう聞くと、彼は頷きこう言った。
「道場破りが来てるぜ」
道場破り。武芸の修行者が他流の道場へ行って試合をし、相手方をすべて打ち負かすこと。また、その人。
…………そんな訳はなく、俺たちがチーム外の、ある走り屋に付けたあだ名である。時々、勝負を仕掛けてくるので道場破り。これがかなりの曲者で、俺と互角の勝負をするくせに、本気を見せている様子がない。
しかし、俺としても他のライダーと腕を競うのは楽しかったりする。
「どうしたんだ?急に」
工場裏にいた道場破りに声をかける。彼は廃棄されたドラム缶の上に座り、文庫本を読んでいた。それから顔を上げ、答える。
「今日走らないか?」
矢張り目的はそれか。
「良いけど、道は?」
「国道と堤防、そして国道と北から南へ行こう。あそこは車も走ってるし、難所だぜ」
「良いな。すごく良い。リードバイクは?」
「要らない。だが観客は好きにしてくれ」
こうして、今夜の走りは決まった。道場破りと走るのは久し振りなので、俺はワクワクしていた。
そんなわけで、俺は夜のためにバイクの点検をしなければいけなかった。何時もはなあなあで済ます所も、今日は真剣に点検する。
少しでもコンディションは良くしておきたかった。
結局。バイクの点検だけで日が暮れてしまった。腹が減った。思えば、朝以来何も食べていない。バイクの慣らしも含めて何か買い出しに出かけるか。
一通りの腹ごしらえも済まして、俺は決戦の場へ赴いた。
「よう。少し早いんじゃないのか?」
道場破りはすでに来ており、そんなことを抜かした。
「貴様こそ随分と早いな。初デートかよ」
「走るのはいつだって新鮮だぜ?」
「そういうことじゃ、ない」
道場破りはエンジンの調子を確かめるように、何回も吹かす。
俺は既に、愛車の機嫌は分かっている。エンジンをかけるが、余計なことはせずに始まりの時をまっていた。
合図は大漁旗である。何でそんなものがここにあるのか、誰も知らない。ただ、いつからか走り合いをするときはこれを使うことに決まっていた。
旗が上げられ、振り下ろされた!風を孕んだそれが夜の闇の中、ライトに照らされ、波を描く。
瞬間、ブォン!と一声。
俺と道場破りのバイクが並んで走り出す。エンジンは最初から全開。アクセルを目一杯踏み込み、最大限の加速を試みる。
俺の相棒は期待に応えてくれた。心地の良い加速が、身体を後ろに持って行こうとする。
俺はそれに一切構わず、ただアクセルをかけ続けるのだった。
ピストルから放たれた弾丸もかくやという風に、俺と道場破りはスタートを切ったのであるが、その日は妙に交通量が多く、俺達は繊細な運転を強いられた。この道路は四車線となっている為、上手く車の間をすり抜けることが出来るのだが、それをこの夜中で、このスピードで行うには度胸と何より腕が必要であった。
レースは僅かに道場破りが先行した状態で続いていた。
俺はただ彼の背中だけを見ていた。前に出るチャンスはおそらく無いに等しいだろう。故にそのチャンスを逃してはならない。
それはすぐに訪れた。前方の乗用車を追い抜く際に、道場破りは左を選択した。悪く無い選択だが、最善では無い。
俺は右をギリギリに通過する事にした。対向車線との車間区域であるが、バイクならばそれをすり抜けられる。
これで並び立てる!
俺は迷いなくハンドルを傾けた。
その時であった。何を思ったのか、先の車が右に動いた。
俺はそれを避けるために大きく右方向へずれることを余儀なくされた。そこは対向車線で。
俺の体は、前方より迫り来るトラックのライトに、明々と照らされた。
目がさめると、白い天井が見えた。
ここは…………?
「気がついた?」
声がした方に目を向けると、そこには母親がいた。こちらを見下ろしている。
「何でここにいるんだよ」
そう言いながら、立ち上がろうとするが、力が入らない。
「ああ、良かった。お父さん--」
彼女はこちらの質問に答えず、立ち上がるとどこかに行ってしまった。
おかしい。俺は確かに道場破りとバイクで走っていたはずである。それが、何故こんな所で寝ているのか。
どうやら、ここは病院のようだが…………
しばらくして、視野に入ってきた父の顔は見るからに青ざめていた。
そして、俺の顔を見るなり、涙を澎湃と頬をつたわせた。
こいつの前で寝ているのは、みっともない。
そんな子供らしい反抗心から、俺は再度起き上がろうとしたが、矢張り上手く力が入らない。
それを見かねたのだろうが、母が肩を持って手を貸してくる。
何とか腰から上をあげて、正面から父の顔を見た。
「その……だな。一先ず無事で良かった」
父は何かを探すように、そう切り出した。
「それで……だな。ええと……」
切り出したいことがあるなら、早くすれば良いのに。イライラする。
こちらは、これからしばらくこの生活が続くだろうということで、ただでさえ不満なのに、なんなんだこの男は。
俺は、未だに有用な言葉を言えないでいる父を尻目に、バイクのことを夢想していた。
入院をするならば、どれくらい感が鈍ってしまうのか分からない。それを取り戻さなければいけないのだが、どれくらいかかるだろうか。
「あ、目を覚ましましたか」
声は病室の入り口から聞こえた。見ると、母ともう一人、白衣の男が立っている。
男は、俺の目の前に来ると笑顔で屈み込み、俺と目の高さを同じにした。
「初めまして。君の担当医だ」
「はあ、どうも」
「うん、よろしく」
彼はもう一度にこりと笑うと、顔を父の方へ向けた。
「お父さん、彼に話しましたか?」
「……いえ、まだ……どう、話していいのか…………」
「…………矢張り私から伝えますか?」
「……………………」
「…………」
しばらくの沈黙の後、父はこくりと頷いた。
医者は俺の名前を言って、諭すように続けた。
「どうか気を強く持ってください」
そして、しばらくの沈黙の後にこう言った。
「貴方は昨日の夜、バイクで走行中に、対向車と事故を起こされました」
そこは覚えている。俺は理解を示す頷きを医者に行なった。
彼はそれを見て、続ける。
「貴方は確かに非常な技量の持ち主でした。あの事故を最小限の被害で済ませたのですから。しかし……」
「しかし……?」
この医師は何かとんでもないことを言おうとしている。それだけは分かった。俺の脳がこれ以上聞くなと不吉な予感をもたらし、計画をしている。
しかし、彼は、その先の言葉を口に出した。
「警察と救急車が現場に駆けつけた時には、すでに手遅れでした。貴方は、片足をバイクの下に挟まれ、もう取り返しのつかない状態になっていたのです」
「な…………」
俺は思わず自分の下半身に目をやった。今まで気がつかなかったが-いや気づこうとしなかったのか-被せられたシーツ。そこにあるはずの膨らみが半分しかない。
この時、俺が真っ先に思い浮かべたのは、将来への不安だとか、過去への後悔などではなかった。
もう二度とバイクに乗れない。
ほとんど確定した、その事実のみがこの時の俺を絶望させていた。
医者は、そんな俺に向かって励ましの言葉だとか、治療の方針だとか、義足技術の進歩だとかを幾つか話題に載せたが、俺にはそんなこと聞こえていなかった。
ただ、ただ、深い絶望が俺を支配していた。
しばらくすると、医者と両親は、俺を一人にさせようという心遣いからか、病室を離れた。
ここは一人部屋というわけではなく、他にも三つベッドがあったが、それらは全て空であった。
俺はベッドに倒れこみ、もはや立ち上がる気力すら無くし、ボウと天井を見つめていた。
バイクに似たシミを見かけ、世界が滲み出した。
バイバイバイク 芥流水 @noname
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