第2話 アニヨン酒場

私はこの下新庄で住み、塾の講師をしていた時代がある。下新庄には東淀川区の郵便局の本局が存在する。その局とS製薬の中程に『アニヨン酒場』はあった。アニヨンとは韓国語で「こんにちは」と云う意味らしい。そこに私は2日と置かず通っていた。

 名前の通り、お店をやっているのは在日の2世の女性である。1世は戦前日本に来て、ご多分にもれず苦労して、戦後この地で土地を買ってマンションを建てるまでになった。花ちゃん(花子と両親は日本の代表的な名前をつけた)はここの長女で、彼女が学校に通う頃にはここにはアパートを建て、親の苦労ぶりは知らない。頭にリボンをしてもらって学校に通ったという。主人とは別れ、お母さんの所有するこのマンションに帰って来て、2階に住み、1階に店を開いたという次第だ。私がこの店に行くきっかけになったのは、「神様」のお導きであった。


 塾と私の住んでいる「ぼろマンション」との間にアニヨンはあり、住まいに近かった。塾にいく頃に、店先で焼き鳥を焼いて売っていた。近所に住む主婦たちがよく買っていた。夏の夕方、西日がまだ輝っている5時頃に炭火の前はさぞかし暑かろうと思って、表を通っていた。焼いているのが何時もの女性でなく丸刈りの男性であった。何だかその日はその臭いに釣られ、塾に行くのに「途中の公園ででも食べればいいや」と思って、自転車を止め買ってしまった。「いつもの女性はお休み」と尋ねると、「母ですか、中にいて開店準備をしてます」と答えた。「中は飲めるようにするの?」と聞くと、「席は少ないですけど」と彼は答えた。

 高校3年生だという。あくる日も、その次の日も彼が焼いていた。私が前を自転車で通ると挨拶をしてくれた。


 私は妻と別れ、塾を開いたが先生は出来ても、素人経営では6年続けるのがやっとだった。当時京都に住んでいたのだが、大阪市内に塾の講師の仕事を見つけ、昼は医療系の学校に行き資格を取ることにしたのだ。医師とは行かないが医療系のライセンスは一生もので、介護保険も出来、看護師の仕事場も病院だけでなく、そのフィールドを広げようとしていた時だ、55才にして女の薗、看護学校に入学したのだ。

 昼は看護学生、夜は塾の先生という生活が始まったのである。塾は東淀川区の上新庄(阪急京都線)にあった。学校は淡路から乗り換えの千里山線の南千里にあった。千里山線下新庄に住むことにしたのはこの二つに便利だったからである。学校の課題は朝通学までに済ませる時間も出来た。

 

 勤める塾だが、本業は小学校に行く前のジュニアーの英語塾でチェーン展開を大阪地区でやって伸びて来ているところだ。6時半以降の空いた時間を中学生相手の補習塾としている。だから教室はマンションの一室で、座り机やパイプ椅子は置いていない。その代わりぬいぐるみや、玩具箱が置かれたりしている。

 だから、僕は鍵を持っていって7時前に開けて、折りたたみの座り机をセットして始めればよいのだ。生徒と僕だけで、監督者も誰もいない。月に1回本部に出向き報告すれば良いだけで、僕は気楽で、この職場を気に入っていた。私が採用されたのは、一人で5教科教えていたことだと思う。越してきたばっかりで、どこか飲むところを探していた。哲学者で吉本隆明(小説家吉本バナナの父)が若者向けに云っていた、勤める会社の条件。1、日当たりのいいこと、2、近くにいい居酒屋があること。毎日のことだからが理由らしい。『共同幻想論』はさっぱりわからなんだが、これなら納得である。


 前を通ると高校生の息子が「今日から飲めるようになりました」と、声をかけてくれた。

私はこの青年を「神様」と名前をつけた。キリスト系の高校に行っていて、アメリカの神学校に行って牧師になるという。今は夏休みで、焼き鳥を手伝っている次第である。「神様って、あると信じてるんだ」というと「北風さんは何を信じてるんですか?」と返答に困ってしまったことがあって、彼を「神様」とした。プチゅうとして、笑うととっても可愛い顔になる。

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