朋友遠道而來,不好玩 ⑦


 翌朝〇五〇〇時、赤龍公の宮殿。

 朱色の壁に囲まれた広大な石畳は、うっすらと霧が立ち込めている。

 そこにバン、ダン、と石畳を叩く音が響いている。

 その音の主は、李とジャクスンだった。

 ジャクスンは李の「朝の体操」である八極拳の套路を、見取り稽古しているのだ。

 

 三分ほどの馬歩椿歩、それから小架一路、大八極、六大開、八大招式。

 李は汗一つかかずに、ジャクスンは汗をかきながら一連の套路を一通りこなす。

 一周したのちは──李にとっては極めて珍しいことではあるが、小架一路と大八極を繰り返し、さらには基本となる中段突きの練習である馬歩衝捶を何度もやって見せ、ジャクスンはそれをよく見て真似ていった。


 三〇分ほども経った頃、二人は互いに礼をして「朝の体操」を終えた。

 

「なかなか筋が良い。今日やったことをできるだけ毎日やりなさい」

「ありがとうございます。き、肝に銘じます」

「息を切らすほど熱心に打ち込んでくれるとは結構なことだ。あるいは赤龍侯殿下が意を翻したのも、君のそういうところを見てのことかもしれないな!」


 李は呵々大笑し、ジャクスンはぜぇはぁと息をつきながら照れ笑いをした。

 そうしながら、昨晩のことを思い出していた。



 成都の中心部、府河と南河と西郊河に囲まれた朱塗りの建造物群、おおよそ一辺三~四kmの傾いた四角の街区が、西南太守選帝侯赤龍の邸宅だった。

 正確には、赤龍侯の居宅はそのさらに中心部である東西一km、南北一.二五kmの朱塗りの壁に囲まれた街区があたり、周囲の建造物群は官庁街ではあるのだが──まぁ、赤龍侯は自分の家だと称していた。


 ホテルを出て赤龍侯邸の北辺と東辺をつかさどる府河を東から渡り、府城憲兵に申し入れると、すぐに迎賓館まで案内された。

 どうやら赤龍侯は、もろもろ先刻承知であったらしい。

 公はすでに謁見の間の用意を整えていた。


 朱色の柱と薄紅色の壁、白い大理石が敷き詰められた床、玉座の前まで一直線に伸ばされた鮮紅色の絨毯。

 謁見を願うものは玉座の載る段の三〇歩手前で立ち止まり、その場にかしずく。

 絨毯が鮮紅色なのは、首をはねられても目立たないからだという話があるが、本当かねとジャクスンは内心つぶやいた。


「西南太守選帝侯赤龍殿下のおなりである」

 

 ジャクスンにはよくわからない、高位の役人の声が厳かに響く。

 さくり、さくりと絨毯を踏む足音が聞こえ、やがてなにか小さくて重いものがふかふかのクッションに乗せられるような気配がした。


「者ども、面を上げよ」


 事前に教えられた通り、かしずいたまま顔を上げると、壇上の玉座には豪奢な着物を着込んだ、ちいさなおじいちゃんが座っていた。

 いた、というのは文字通り過去形だ。

 西南太守選帝侯赤龍は一通り来客を見渡しジャクスンに目を止めると、糸のような眼をカッと大きく見開き──見開いた眼はそのままぐんぐん大きくなり、それは頭部全体から上半身へと波及し──巨大な赤い龍が姿を現した。

 赤龍はジャクスンを睨みつけるが、ジャクスンは、彼にしては優雅な所作でゆっくりと首を垂れた。しかしその表情は、無を表している。

 殺気が張り詰める。

 皆固唾を飲み、微動だにできない。

 

 五分。

 十分。

 十五分。

 どれほど続くかと思われた硬直のひと時は、赤龍公の大声によって破られた。

 

「ぐぅわぁっはっはっはっは!!!」


 大声というよりは哄笑、それも割れ銅鑼を叩いたような、ひどい割れ声だったが。


「参った、参った! そのように恐ろしい顔をするでないわ!」


 赤龍はうんうんと満足げにうなずきながら、元のちいさなおじいちゃんの姿へと戻っていった。

 その声も胴間声で済ますにはあまりに野太く重たい空気の振動から、その見た目にあった金切声へと変わっていく。

 どういう理屈か、衣服も元に戻っていったが、まぁこれは蛇足かもしれない。

 ともあれそれを見届けてから、ジャクスンはどっと汗を吹き出しながら姿勢を崩した。憔悴していながらも、してやったりという表情を浮かべている。

 隣のファースタンバーグがジャクスンを支え姿勢を戻してやったところで、西南太守選帝公赤龍──赤龍翁とでも呼ぶべきか、ちいさな老人は顎髭をしごきながらにこやかに説明しはじめる。


「くだらぬ者どもであったなら食ってしまおうかと思っておったが、なかなかどうして。子超よ、おぬしはまこと、人を見る目だけはある」


 これには海兵と秋津洲兵たちは腰を浮かせたが、ジャクスンは落ち着いていた。


「この小半時、余とそこな太歳の童は戦っておった。余は人の心に踏み入ることができるでな。軽くやれば、これ、こ『の』よ『う』に」


 赤龍翁の声は、切れ切れで、しかし『の』と『う』は頭の中にしっかりと響き、海兵たちは目を白黒させる。合衆国にもこういうことができる存在は居るには居るが、中佐閣下曰く「あの人たち全員引きこもりなんだよな」とのこと。慣れるはずもない。


「のう童よ。余と童は幾合矛を交えたか。直答さし許す。皆に教えよ」


 ジャクスンに対する親しみを隠そうともせず、赤龍翁はジャクスンに命じた。

 対するジャクスンも、言葉は丁寧であったが、その態度は気安いものだ。


「申し訳ありません、殿下。三万回までは数えておりましたが」


 しれっとしたジャクスンの答えを受けて、赤龍翁はカカカと笑い飛ばす。

 その態度はいささか自慢げですらある。


「まぁ、無理も無かろう。五万回じゃ。五万回もこの童は余に立ち向かい、意識の中で死に、再び立ち上がったのよ。しまいにゃこっちのほうが根負けしたほどよ。それにしても、いや~~~参った。ホントしつこくてかなわん。世の手の者もこれぐらい根性あればのぉ~~~……なぁ童よ、おぬし余の手の者にならん? 余のものにならんなら殺すが??」

「はぁ……さっきも何万回となく申しましたが、どっちもお断りです」


 親しげになかなかエグイ交渉を仕掛ける赤龍翁相手に、ジャクスンは遠慮なくクソ馬鹿でかい溜息を返す。

 この情景に全員がまたかと呆れ顔。

 もっとも、感情の向き先はそれぞれ別だ。

 赤龍翁のおつきの役人などは無表情を装ってはいるものの、いまにも笑いだしそうな気配があった。嬉しそうですらある。


「なんじゃい、けち臭い。お前なんぞあの貧乏くさい黒社会ギャングどもに縊り殺されとりゃ良かったんじゃ」

「へぇへ、そらぁ悪うござんしたね。殿下ももうちょい人を選べば良かったんスよ。

黒龍公と黄龍公に対抗するのに、無頼の麻薬組織にわざとアノニマニシスを接触させたのはやりすぎですよ。情勢が情勢なら、我が国が清龍をテロ支援国に指定しかねません」

「へーん。二〇〇年前ならまだしも、ベルゼブブもアスモデウスも金儲けしか考えとらん合衆国がいまさらなんじゃっちゅうんじゃい」


 一同はそのやりとりにぎょっとしたが、ジャクスンと赤龍は涼しい顔をしていた。


「何を驚く。この西南諸州で、余の目溢し無しに黒社会が生きれると思うてか」


 赤龍はその顔が見たかったといわんばかりに破顔した。


「まぁ、良い都合よな。そこな童に免じて手札を晒すとしようかい」



 清龍帝国を実質的に支配する五龍侯は、中華の地を守りつつも、互いにけん制しあう仲でもある。

 しかし彼らが最も恐れるのは、中華を幾度も襲った大規模な戦争──時代が下った現在では内戦だ。適度な競争は国家の発展に必要だが、度を過ぎてはならない。

 このため、彼らは古の慣習を復活させている。相互の血族の婚姻や、人質の交換がそれだ。

 東南並びに台湾島と東南海の太守にして選帝侯たる黒龍が一子、劉こと子超が赤龍公のもとで警察軍に勤務しているのも、その一環だ。

 だが赤龍の支配領域である西南諸州は、黒龍の支配する東南海沿岸に経済的に大きく水を開けられている。台湾と広東地方を支配する黒龍、その沿岸貿易の利益は莫大なものだからだ。

 黄龍侯の支配する河南地域にも水を開けられている。皇帝直轄領である中原と隣接する河南は、肥沃な農地による農業生産と水運を生かした内水系貿易で継続的に利益を上げられる。

 赤龍は当然これが面白くない。領民は別に飢えてはいないが、鉱山収入と観光だけではそれほど発展しようがないからだ。


 というわけで一番目障りな黒龍の足を引っ張るために、赤龍は広州でゴロを巻いていた麻薬組織を招き入れ、ゴールデントライアングル地域へ送り込んだ。その過程で、いい加減言うことを聞かなくなりつつあった昔ながらの黒社会は排除している。

 アノニマニシスと接触したのはその時だ。彼らはより高精度なグールの制御のために、キョンシーに関する呪術技術を欲していたのだ。

 赤龍はそれを彼らに与えた。無論、形跡は残さずに。

 いい具合に麻薬組織とそのグール技術が肥えたところでこれを摘発し、黒龍公の醜聞に仕立て上げる腹積もりだったのだ。こーてーへーかー、黒龍くんが僕の領地でいかがわしい商売していまーす。


 しかしそれを目ざとく見つけたものがいる。

 誰あろう黒龍公の太子、子超である。

 

 彼は「いいとこのボンボン」であるにもかかわらず、いや、だからこそ部下とともに土埃にまみれ、民衆の声を聴くことを厭わなかった。

 最初は彼のそのような態度を煩わしく思っていた──高級貴族の子弟の兵隊ごっこと侮っていた現地部隊も、次第に彼に心を開くようになったとあれば、発見されるのは必然ではあった。


 ここでそれらの情報を中央や黒龍に伝わらぬようにブロックしていた赤龍が、全ての罪を子超に擦り付ければよかったのだが、子超は意外な行動にでる。

 無論、ジャクスン達の招聘である。


「でまぁ、黒社会どもにやられるならよし、でなければ余が手ずから始末するつもりであったが……余も鈍ったか。このような天命を持ち、異教の女神どもに愛され、余の若き頃に鍛えし七星剣の呪いを受けてなお、黄泉帰るような者がいようとはな」


 この賭けは余の負けよ、と赤龍は続けると、クッションに背を預けた。


「子超よ。この一件そなたに全て預ける。爺の尻拭い、見事仕果せてみせよ」

「はっ、殿下。しかし、その、よろしいので」


 赤龍に任務続行を命じられた劉大佐こと子超は、戸惑いつつも落ち着いて問うた。


「ああん? いやまぁ途中で陽陽ヤンヤンが嗅ぎ付けおってな、まぁー毎日電話でうるさいうるさい。じゃからまぁ、ケリをつけた暁には褒美を取らす。ちと早すぎるが、陽陽との婚儀を認めるものとする……歳の差はあるが、異論はあるまいな」


 言われて胡散臭い顔つきの子超、まったく似合わないことに、顔を赤くして黙り込んだ。


「陽陽て……?」

「赤龍侯の一人娘ですよ。黒龍公のところで修行なさっておいでのはず」


 スミスが小声でつぶやくと、さらに小声でホウプネフが答えた。

 子超の様子を見て、スミスはなるほどと合点した。


「者ども、合点したか? ならばよし。げに楽しき夜更けであった。童に、それにスミスとやら。子超はまだ子供じゃ。おぬしらを罠にかけようとしておった分際で言うのもなんじゃが、よろしく頼む」


 赤龍は──あろうことか一同に頭を下げた。

 すべての一件をうやむやにできる老いた龍は、彼なりに礼節を示したのだ。

 ならば海兵がすべきことは決まっている。


テーン、ハッキヲーツケ!!」


 この場の海兵最上級下士官であるジャクスンがそう怒鳴る。

 海兵たちは素早く立ち上がり、列を成して背筋をのばして踵を打ちそろえ、合衆国大魔王に捧げるような、見事な敬礼を赤龍に贈ったのだった。

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