第27話 未来は分からないし、過去はやっぱない
元家庭教師である桜之宮さくらとは思わぬ再会を遂げた。桜之宮さくらは人気声優になっていた。人気漫画のヒロインを演じることも決定していたり、アイドルコンテンツのキャラクターにも抜擢され、ライブをこなす。また、ラジオ番組も数本掛け持ちしている。一方プライベートでは結婚し、順風満帆な人生を送っている人のように見える。それは彼女が人並みならぬ努力を積み重ねてきたからだと思う。ただ、私は桜之宮さくらの努力を知らない。
転生後先生と何度も会ってきたが、最近はめっきり転生について話さなくなっていた。前回会った時には不思議な現象が起きており、先生も私も戸惑ってしまった。それからなかなか会う機会がなかった。しかし、先日先生のほうからお茶のお誘いがきた。場所はいつもの駅前。
指定された時間、場所に到着すると店の前で合流する。
「色乃ちゃん久し振り」
「お久し振りです。先生も忙しいですね」
「そうなの。ありがたいことに。お店入ろっか」
いつものお店はいつもより人が少ない。各々好きなドリンクや軽食を注文し、テーブルに着く。今日も先生はココアを注文している。春とは思えないほど外は暑い。そのためか先生もアイスココアを注文していた。そこで季節が過ぎていることを感じる。
「急に呼び出してごめんね」
「いえ。今日のお仕事は?」
「今日は休みなの。色乃ちゃんこそ大学は?」
「休講です」
「そっか」
いつもより会話が弾まず沈黙が流れる。それを打ち破ったのは先生のほうからだった。何だか話しにくそうに口をもごもごしているが意を決したのか私の目を見据えて話し始める。
「うちさ、記憶力は良いほうやと自分では思ってたんやけど最近色乃ちゃんとの思い出を思い出せない」
先生の急な話にただ黙って頷くことしかできなかった。そんなことで貴重な休みを私にくれたのかと思った。
「そんなことくらいよくある話じゃないですか。私だって忘れることあるし」
「そう言われると安心する。ありがとう。でもね、エピソードごと抜け落ちていく感じがするの。それが怖い」
先生の言っていることが理解できなかった。先生もきっと自分に起こっていることを理解できていないのかもしれない。
「先日のアフレコ現場でうちと色乃ちゃん、拓央君と会った時の話になったのだけれどもうちは何一つ覚えていなくって。それから変やと思って」
先生は少し取り乱したような様子だった。こんな先生は初めて見た。家庭教師として来ていた時も含めて。それとも私が知らないだけなのか。先生を慰めるつもりはないが思わず言ってしまう。
「別に過去に拘らなくたっていいじゃないですか。今こうして一緒に過ごせる時間が大切ですよ」
「うん……」
先生はか細い 声で返事をした。そして私に問うてくる。
「色乃ちゃんは前にいた世界に戻りたい?」
今の私には分からなかった。この世界に来た頃はずっとこの世界に居たいと思っていた。しかし、最近ではよくわからないと言うのが正直なところである。今の世界でも前の世界でもぼっちなことには変わりないし、でもこっちの世界にいると憧れていた家族との生活ができる。それに推しと同じ屋根の下で暮らすことができる。でも最近では私の知らない思い出話を兄や姉がしてくるたび切ない気持ちになる。それがストレスになってしまう。
過去は変えられない。しかし、未来なら変えられるかもしれない。未来を変えるチャンスについて先生は話し始めたのだろう。ここは正直に今の気持ちを伝える。
「正直帰りたいか帰りたくないかは分からないです。兄や姉との生活は楽しいです。でも一方で切なく、しんどい時もあります」
「そっか……。どっちつかずなんや」
「そんな感じです」
「どっちか決めておいた方がいいと思うよ。帰るか帰らないかは色乃ちゃんが決めること」
先生の様子がおかしい。思わず感情的になってしまう。
「先生は帰る方法分かるんですか? もう帰れないって諦めていた私にどうやって帰れって言うんですか!?」
「私も分かれば協力したい!」
先生も感情的になってしまう。さっきのか細い声とは比べ物にならないくらい大きな声で言った。それにはっとして謝る。
「ご、ごめんなさい……」
「こちらこそごめんね!」
しばらくまた沈黙が続く。沈黙って何だか気まずくて苦手なんだよな……。沈黙は気持ちを整理する時間であり、決して悪いことではない。そうは分かっていても何か話したくなってしまう。ここは先生の気持ちを整理する時間だと思って何も口にしないと決めた。口にするなら飲み物だけだと。
先生は気持ちの整理がついたのか話し始める。
「ねぇ、覚えてる? うちがデビューしたての頃色乃ちゃんが手紙を送ってくれたこと」
「何を書いたかは覚えてないですが」
「うちのこと『周りのオタクに布教するぞ!』って書いてた」
「ナニソレめっちゃ恥ずかしい」
恥ずかしさのあまり片言になってしまう。しかし、先生はクスりと笑いながら言う。
「でもめっちゃ嬉しかった。初めてきたファンレターは色乃ちゃんからだったから、それは今でもよく覚えているよ」
「そ、そんな恥ずかしいことは覚えてなくても構いません!」
「あはは、でも本当に忘れちゃうかもよ?」
「それはそれで寂しいような……」
「大丈夫だよ! ちゃんと覚えているから」
ファンレターの下りからはいつも通り笑いの絶えない女子会のようだった。
「もうそろそろうち帰らんと」
「店出ましょうか」
そう言いながら私たちは店の外であり、駅の改札口まで向かう。いつものように甘いチェリーブロッサムの香りがふんわり漂う。「あぁ、いい香りだな」といつも思う。
改札口の前で先生は鞄からパスケースを取り出し、改札を通る。それまで私のことを一切見なかった先生が改札を通った後くるりと私のほうを向く。
「色乃ちゃん、ありがとう。またね!」
「また……」
ウィンクしながら手を振る先生はやっぱりいつもの先生だった。私も先生へ手を振り返す。こんなに「またね」の一言が心に残る日は今までなかっただろう。
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