第21話 変わらないものは存在しない

 私がこっちの世界へ来てから約2ヶ月が経った。相変わらずこっちの世界でもオタクを続け、新しい家族との生活にも慣れた。転生前の生活はどこか虚しかったが、今は温かく出迎えてくれる家族がいて、(相変わらず学校では友達はいないが、)話を聞いてくれるお姉さん的存在もいる。転生前よりも今の方が心地良かった。

 転生のことについて考えることは少なくなってきた。何不自由なく生活していたからだ。転生前の世界では私は存在しない、世に生まれていない人間である。しかし、こっちの世界ではちゃんと存在しているし、みんな私を認識してくれている。もうそれだけでいいような気がした。前の世界に帰る術も分からない、それどころか帰る術すら存在していない可能性だってある。

 ただ1つ、忘れてはいけないことがあった。それは桜之宮さくらの記憶の中に転生前の敷島色乃との記憶があることだ。世に存在しない人間との記憶があること自体は障害など何もない。ただこの不思議な現象について解決するキーマンであることは間違いない。しかし、何一つ不自由なく過ごしていたため私も桜之宮さくらもこの現象について忘れかけていた。

 何となく勉強机の引き出しを開けると桜之宮さくらが家庭教師時代に書いてくれたプロフィール帳の紙が出てきた。プロフィール帳とは小学生の間で大流行したプロフィールを記入してもらう紙だ。これを色んな人に書いてもらい、手帳に挟み集める。小学生の頃のほうがコミュ力あったんだろうな。こんな物持っているあたり。

 先生の当時のマイブームや好きなものが書いてあり、クスッと笑える。先生も私もオタクであり、勉強後に共通の好きなアニメの話題で盛り上がったことや先生に影響されて好きになったアニメのことを思い出して懐かしかった。

 確かに私は前の世界で存在した。中学受験前に1年間桜之宮さくらに家庭教師として勉強を教わっていた。それは紛れもなく事実なのだ。それは私と先生の中でしか存在しない事実だったはずだ。

 今日は先生と会う約束をしていた。転生の話などもうほとんどしなくなっていたが、仲の良い友達のように会って当時のようにアニメの話などしていた。その時は声優とファンの関係ではなかった。

 夕方いつものカフェで会う。この際、偶然見つけたプロフィール帳を持って行って話のネタにしようと思っていた。

 いつものカフェへ先に入り、飲み物を注文して入り口近くの席に着く。待っている間はスマホでツキッターを見る。特にトレンドになるようなこともない。こっちの世界に来てから先生と会うことも楽しいけれども、特別なことではない日常に感じていた。

 先生はいつものごとく約束した時間より遅れてくる。仕事帰りであるため時間調整も難しいようだ。先生は「ごめんね」と言いながら席に着き、荷物を置いてから飲み物を買いに行く。これがいつものパターンである。

 先生とアニメやゲーム、先日のドヤ生の話で盛り上がっていた。そして思い出したかのように例のプロフィール帳の紙を鞄の中から取り出して見せる。

「先生、これ覚えていますか? めっちゃ懐かしくないですか?」

「あれ……? 何だっけ? ごめんね」

 先生はどうやら覚えていない様子。まぁ、10年近く前のことだし覚えていなくても不思議ではない。

「あー……、別に覚えていなくてもいいですよ。10年近くも前の話ですし。私も覚えてないこともあるし」

「本当ごめんね」

 申し訳なさそうにシュンとする先生。先生は興味があったのか「見せて」と紙を覗き込んできた。しかし、これから耳を疑うようなことを先生は言う。

「え……。うちこのアニメ見たことないよ。でもうちの名前やし、うちの字や……」

「え……、そんなことないですよ。だってこのアニメ先生の影響で見始めて、当時その話でめっちゃ盛り上がっていたのに」

 普通好きなアニメを見たかどうかまで忘れるとは考えにくい。まず好きなアニメなのだから見たことあるだろう。先生の発言に戸惑いを隠せなかった。

 他にも「これも見たことない」、「あれも知らない」など先生自身が書いたはずのことを否定する。その光景が信じがたく、私との思い出までも否定されているようで悲しくなった。でもそのような表情一つせず、先生の発言を否定しなかった。否定も肯定もせず、ただ黙り込んでしまった。

「何かごめんね。変な雰囲気になっちゃったね。嘘はついてないし、色乃ちゃんが嘘をついてるとも思ってないよ」

「いいえ。私こそ話のネタになるかなと思っていたけど……、変ですね」

 私は頭を掻きながら「あはは」と笑いながら悲しい感情を誤魔化す。それとは打って変わって先生は俯きながら黙り込んでしまう。

「今日は遅いし、もう帰りましょっか。お兄ちゃんも心配してるかもなので」

「そうだね。ごめんね」

「大丈夫ですよ。それに何か転生が関係しているかもですし」

 先生は、はっとした様子で「それや!」と言う。

「それや! 転生のこと最近話していなかったけれどもその可能性はあるよね」

「そうですよね。でもこの不思議な現象が何を表しているのか全く分からないです」

「うちも分からんけど」

「このことについてはまた今度話しましょう」

「やね」

 転生について話すという本来の目的をようやく思い出す2人。しかし、話しても解決することでもなかった。もはや解決しなければいけない理由、何をもって解決なのかも分からなかった。もう前の世界に戻っても意味がない、そう思っていた。だから、転生の話をしなくたってアニメやゲームなど好きなことをお互い語り合って、息抜きできればいいやって軽く考えていた。

 別れ際先生は質問してくる。

「色乃ちゃんの苗字って何だっけ?」

「芦原色乃です」

「それは分かってるよ!」

 先生は両手で拳を作り、ぶんぶん振る。頬を膨らませながらその仕草はとても子供っぽくて可愛らしい。私までぷっと吹き出してしまう。

「前の苗字ですよね? 敷島色乃です」

 先生は寂し気な表情でボソッと礼を言うが、すぐにケロッとした笑顔で一言添える。

「ありがとう……、またね」

「ええ、また……」

 お互い手を振り、いつものように先生を見送る。何気ない日常が当たり前で、でも尊い出来事だということに気づくことができないでいた。

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