第17話 アイドルコンテンツには必要不可欠な存在・下

 姉は嫌なことは嫌とはっきり言うタイプの人間だと思っていたが、案外溜め込んでは爆発するタイプの人間だ。過去の話や今回の件でもそうだ。

 目が覚めて食卓へ行くと姉は出勤していなかった。私も身支度を済ませて学校へ向かう。どんよりした気持ちとは裏腹に快晴でいつもより暖かい。「今年は暖冬」という言葉が初めて信用できるような気がした。いや、暖冬というよりは季節が冬から春へ移り変わってきているだけかもしれない。

 兄も声優になりたくて努力してここまでの人気声優になった。簡単にその現実を捨てることはできない。妹の頼みなら何でも叶えてきた兄が唯一叶えることができず、妹を苦しめる現実にもどかしさを感じているのは兄だ。

 私の兄が人気声優だなんて誰も知らない。同級生にもオタクはいるが、その子と話したこともないし。誰も私のことなんて興味がないのだ。それがぼっちの利点である。自分で言ってて悲しくなってきた。

 学校に行くと講義室でオタクの集団が例のゲームについて話している。「キャラは○○くんの声がいい」とか、勿論兄の名前も挙がる。あまり今その話題を耳にしたくないのでラウンジへ行く。日差しがよく差し込むラウンジに一人でぼーっと野菜ジュースを飲む。紙パックがペコッとへこんでもまだ吸い続ける。あぁ、何も考えたくないな……。

 家族の誰もが姉に気を遣いながら生活する必要もないが、姉が辛くなった時に寄り添える存在はいた方がいいと思う。私もオタクではあるが、兄のステータスが好きな訳ではないということを姉が分かってくれれば愚痴を聞くくらいできそうではある。しかし、相手の気持ちをコントロールすることは容易ではない。もはや不可能である。ただ姉に寄り添える存在でいたいのと兄の夢であった声優を否定的に捉えないでほしい、それが私の願いだ。

 考え事していると一日が早く感じるものだ。今日も今日とて爆速で帰る。しかし、誰も迎えてはくれない。今はお母様はバカンスを楽しんでおられるだろう。帰宅しても誰もいない家に逆戻りしたようである。まぁ、1人ですし部屋でゴロゴロしよう。ゴロゴロしていると玄関の扉が開く音と姉の声が聞こえてきた。すぐさま自室を飛び出し、階段を駆け下りる。

「ただいま」

「おかえり」

「あんたいたの」

「いつも爆速3分で帰ってくるから」

「あっそう」

 姉はいつもと変わらない様子である。きっと仕事の時も落ち込んでいるそぶりは見せないのだろう。

「ねぇ、お姉ちゃん。私の部屋来てよ!」

「え、なんでよ」

「まあまあ、いいからいいから」

 半ば強制で姉を自室へ連れて行く。姉にとって嫌なことかもしれない、お節介なことかもしれない、一方的で傲慢かもしれない。でも私にはこんな方法でしか姉に寄り添うことも兄のことを分かってもらうこともできないのだ。

 姉の部屋とは違い、ポスターやタペストリー、フィギュアが飾られており、物が沢山ある。姉は相変わらずドン引きしている。

「何であんたの部屋に来なきゃなんないのよ!?」

「これ、読んでほしくて」

 姉に手渡したのは2年ほど前に兄が主演男優賞を獲った際にインタビューが載った声優雑誌である。いつ見てもイケメンだし、インタビュー記事が素晴らしい。主演したアニメについては勿論、声優を目指したきっかけや私たち妹のことまで語られている。姉はその記事を黙読する。しかし、ある箇所が気になったのか音読し始める。

「『5歳の時の話です。妹に絵本の読み聞かせをしたら“すごーい! もう1回読んで! 面白かった”って言ってもらえたのを覚えています。その頃は声優という仕事を認識していませんでしたが、役になりきって読みました。事務所に所属してしばらくはオーディションに落ち続けて声優は向いてないのかもしれないと挫折しそうになった時にその妹の言葉を励みに頑張ってきました。妹とのそのエピーソードがなければ今の僕はいないかもしれません』」

「それお姉ちゃんのことだよ。私が生まれる前の話だもん。お姉ちゃんはお兄ちゃんの励みでもあったんだよ。お兄ちゃんはお姉ちゃんがいたから声優を諦めなかったんだよ。だから、お兄ちゃんに声優を辞めてほしいとか言わないで。お姉ちゃんに言われて1番ショックだったんじゃないかな?」

 姉は涙を隠しながらも言葉を詰まらせる。

「知らなかった……。絵本を読んでもらってたことは覚えてるけど」

「お兄ちゃんから聞いたよ。お兄ちゃんのことでお姉ちゃんが辛い思いをしてきたこと。お兄ちゃんのステータスにしか興味のない人、お姉ちゃん自身のことを見てくれない人なんてどうでもいいんだよ。お姉ちゃんの周りにはそんな人ばかりじゃないでしょ? 少なくとも私はそうだよ。だからお姉ちゃんが嫌な思いをしている時は傍にいたいんだよ。」

「…………」

 思わず黙り込んでる姉の背中をさすってしまう。強制したいわけじゃない。しかし、これは傲慢だ。そう思っていると姉はさすっていた私の手を振り払う。

「あんたにそんなこと言われなくったって私が1番にぃーやんのこと応援しているわ! でも、その……ありがとね!!」

「うん」

「もう自分の部屋に帰るわ」

 そっぽ向きながらそう言って私の部屋を後にする。手を振り払ったり、そっぽ向いたり姉らしさが戻った気がする。

 その夜目が覚めて食卓に行くと電気がついていた。ちらっと見ると姉と兄が二人で話している。私が出る隙はなさそうである。

「にぃーやん、ごめんね。酷いこと言って。」

「何のことだ?」

「声優辞めてっ言ったこと」

「そんな前のことか。いいよ」

 姉にとっても兄は必要不可欠な存在である。

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