第12話 すぐに「エビデンス‐根拠‐は?」という人が嫌い

 声優としてじゃない兄の姿を知っている人は家族に絞られてくる。大抵の人は声優の芦原拓央を知っていると思う。オタクならば。

家族にわざわざインタビューなんて「どうしちゃったの? あんたまた現実逃避ごっこ?」くらいにしか思われないであろう。だったら声優という側面は勿論ながら、一社会人としての側面も知るであろう人にインタビューを依頼する。同じ仕事をする同僚ですし。エビデンスなんてそのくらいしかない。

 いつもの場所を指定し、お願いする。私の身に起こった謎を解き明かすためなら動いていただけるとのことであるが、今日はそういう要件ではない。申し訳ない。

 いつもの場所に先に着いてしまったので、先に自分のコーヒーだけ注文して、席についておく。しばらくすると店にきょろきょろと辺りを見回す女性が入店してくる。その女性と目が合ったので大きく手を振る。

「こっちです」

「ごめんね」

 その女性、桜之宮さくら先生も大きく手を振り返しながら私の座る席のほうへ向かってくる。

「お待たせ。今日はどうしたの?」

「今日は、その、転生のことではなくって」

「何、何?」

 興味津々であるが、大した内容ではないため言い出しづらい。私としては今季最大の悩みなのだけれども。

「拓央君の魅力って何やと思います?」

「ほ? それはファンであり、兄妹である色乃ちゃんがよく知ってるんちゃうかな?」

「そ、そうやとは思うんですけど、私は声優としての兄しか見れてないから……」

 何があったかは言えないが、単刀直入に聞いてみる。多分兄のことなら、私のほうがよく知ってると思う。共演歴が少なく、連続して一緒の仕事をするのはきっと初めてのはずである。なかなか難しいかもしれない。

「うーん、うちは芸歴も年も同じやけど、拓央君の演技には光るものがあるんとちゃうかな。何かよう分からんけど、アフレコ現場入ると集中力が凄いの」

「へぇー、何かそう言ってもらえるのは嬉しいです」

「うちの直感的な感想やからバカっぽく聞こえるけど」

 えへへ、と笑いながら言う先生と大好きな声優を褒めてもらえる嬉しさもあり、照れを隠せないでいる。このほわほわ空間に水を差すようであるが、そういうことではない。兄の本来の人間性である。声優として作り上げたキャラではなく、ファンには見せない、ファンが見られない一面について聞きたいのである。

「兄のことそう言ってもらえるのは嬉しいです。もう一つ、いや、あと三つくらいファンには見せない仕事場での兄を教えてもらいたいのです」

 先生は頭を抱えながらうーん、と悩む。いきなり本題に入ってしまい、先生はまだ飲み物を買ってきていなかった。「買ってくる間に考える」というと席を離れる。いつものごとくココアを買ってきたのだろうか。今日はスムーズにレジも進み、すぐに戻ってくる。

「ごめんなさい、いきなり本題に入ったから」

「大丈夫だよ。あんまり思いつかなかったの。多分ね、家でも同じなんじゃないかなと思って」

 先生の言っている意味が理解できず、小首をかしげる。先生はふふ、と笑いながら話し始める。

「拓央君って気遣いできるよね。誰も気づかないような小さなことも気づいて、手を差し伸べてくれる。うちも拓央君のそういうところに助けられたかな」

私にも思い当たるところがあり、「何でそんなことすら気づいていないの」と、思わずうつむいてしまう。

「あと、情深いところもいいとこ。ファンや作品のみならず、妹ちゃんたちに。あとあと、心配性。妹ちゃんのことになると」

 すらすらと兄の長所を言ってのける。そして言い足す。

「うちはそんなに拓央君との関わりはなかったから分からんけど、うちが見た拓央君はそんな感じかな」

「確かに、そうです。一緒に暮らしてて全然気づけへんかったていうか、それが当たり前になってきてたと思います。たかが一カ月やのに」

 私は転生してから兄の愛情を当たり前のように受けてきた。まるで本当に十九年間一緒にいたかのように。声優としての兄しか見てなかっただけじゃない。当たり前の日常に甘えていたのだと思う。

優しい兄がいて、家族がいて、食卓に温かいご飯が並ぶことが当たり前なことじゃないって一番自分が知っているはずなのに。

「当たり前のことを奇跡だと思う人のほうが少ないと思うよ。うちだって最初は声優になれたこと奇跡だと思ってたけど、今はどうやろう。奇跡やと思いながら働いてるとは言えないかも」

 私を慰めるように先生は言う。そこにいるのはもう先生じゃない。声優・桜之宮さくらなのだ。こうやってお茶すること自体がもはや奇跡なのだ。

「今こうやって先生とお茶していることも奇跡ですね」

「確かにそれも奇跡。今日は仕事があったけど明日にはもう仕事がないかもしれない。うちの代わりなんかなんぼでもおるもん」

「声優ってそういう世界ですしね」

「そうやね。でも色乃ちゃんもそうじゃない? さっきまでは自分の部屋にいたのに気づいたら知らない場所にいたんでしょ? もしかしたら明日にはまた違う世界に行ってるかもしれない。奇跡はずっと続くわけではない」

 そう意味ありげに先生は言うが、この時私には意味を理解できなかった。この意味を理解する日が来るのだろうか? 誰も知り得ないことなのかもしれない。

「そうですね」

「あ、とっくに冷めちゃってる!」

 話を終わらせるかのように先生は言う。二人とも猫舌とはいえ、冷めすぎていてもホットの意味がなく、辛い。それぞれ冷めた飲み物を一気に飲むと、先生がコートを羽織る。

「今日も話し込んでしまったね。遅くなったらあかんし、帰ろっか」

「はい。忙しいのに急に呼び出してごめんなさい」

「いいよ。色乃ちゃんの力になりたいから」

「ありがとうございます」

 そう言って帰り支度を済ませ、店を出る。「またね」と言い合って、先生の姿が見えなくなるまで見送る。「さぁ、帰るか」と、改札に背を向けて歩き始めた時に後ろから聞き慣れた大好きな声が聞こえてくる。それに反応し、改札のほうへ振り返る。

「色乃!」

「お、おにいちゃん……」

「今帰り? もしかしてまた桜之宮さんと?」

「うん」

「そっか」

 自然と一緒に帰路に就く。どんなに気まずくても同じ家に帰るのに一緒に帰らないわけもない。沈黙が続き、話しづらさが増す。しかし、その沈黙をここで破らなければ後悔するような、兄と一緒にいられる奇跡が終わってしまうような気がするから。

「お兄ちゃん、あのね、話さないといけないことがあるの」

「何だ?」

「あの、一昨日の朝のことごめんなさい。困らせちゃって」

 思わず足を止め、兄の目をまっすぐ見つめる。兄は驚きながらもいつもの微笑みを見せながら言う。

「いいよ。気にしてない。それだけ俺のこと愛してくれて嬉しい。ありがとう」

 いつもの優しい微笑みと声、温かい手が私の頭をぽんぽんと撫でくれる。それも当たり前のことではない。奇跡だと、そう先生が教えてくれたと思う。

 私も兄に微笑み返す。そしてこう言葉を返す。

「ううん、こちらこそ。いつもありがとう!」

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