第5話 桜之宮さくらは相変わらずほわほわお姉さん

 通学は徒歩で楽なのだけれども一つ難点がある。それは、某アニメショップへ行くために最寄り駅まで行かなくてはならないことだ。転生前は通学経路の途中に某アニメショップがあったが、今は家とは反対方向の最寄り駅まで行かないといけない。面倒だけれども仕方がない。ネット通販も利用したいけれども今の家の住所を知らない。これ大事だからなるべく早く調べないといけないよな。まだまだこっちの世界にきて知らないことが多い。そもそも某アニメショップへの経路もこれであってるのか分からない。

 スマホの地図アプリとにらめっこしながら何とか某アニメショップへ到着する。今日のお目当ては拓央君の出ているアイドル育成型音ゲーの新曲CDだ。転生前に予約していたのにバタバタ忙しかったので今更購入。転生前の前金が……。それは忘れてしまうほうが幸せだ。

 某アニメショップはどこの店舗も賑やかだ。今日のお目当てのCDに入っている曲がガンガンかかっている。流石、人気コンテンツだ。

お目当てのものを購入すると某アニメショップを後にする。駅付近は初めて来るので少し見てから帰ろうと家と反対方向へ歩く。大都会--東京は人が多い。転生前にいた大阪も都会のほうにいたが、比べ物にならない。大阪の都会なんてほんの一部である。大阪も人が多くてうんざりするが、東京は特にそうだ。人酔いしそうだと思いながらも来たことのない場所への興味のほうが勝る。

人が多い駅で懐かしい香りに嗅覚が反応する。チェリーブロッサムの甘い香り。その香りがするほうへ振り返ると茶髪に毛先がピンク色なボブの女性が改札のほうへ向かっている。

「え、さ、さくら先生!」

 思わず走ってその女性の手を掴む。普通に怖い人過ぎないか私。

 息を切らしながら甘い香りに包まれた女性に声をかける。

「先生、お久し振りです。色乃です。敷島色乃! 中学受験の時にお世話になった……」

 見た目も何もかも変わってしまった私にそんなこと言われても困惑してしまうだろう。きちんと転生前のフルネームで伝えたが怪訝そうな表情で見つめられる。そりゃそうだ。

「あの……、どうして私の元生徒さんの名前知ってるんですか? 手、放してください」

「ご、ごめんなさい。痛かったですよね。話聞いてもらいたいです。お忙しいとは思いますが、お時間頂けないでしょうか?」

「ファンの方への個人的なファンサービスは行っておりませんので」

 ここまではっきり言われてしまうと流石の私も傷つきそうである。もう諦めてしまおうかと思った瞬間ため息をつく。そしてうなじにある大きな黒子を引っ張ると先生はびっくりしたように話し始める。

「もしかして、本当に色乃ちゃんだと言うの? 困った時にするその癖、昔と変わらない」

「え、あ、そうなんですかね。あまり気にしたことないです」

「本当に色乃ちゃんだと言うならばそこのカフェでお茶しょっか」

 怪訝そうな表情から打って変わってニコニコする。昔と変わらない観察眼。私が宿題さぼった時に見抜かれた時のことを思い出す。その観察眼がなければ私は誰にも話せなかっただろう。家族にも誰にも言えない、心苦しい、孤独が永遠に続いていたかもしれない。信じてもらえないかもしれないけれども誰かに聞いてもらいたかった。少しの希望が見えた。

 すぐそこにあるカフェに入る。どこにでもあるチェーン店だ。改札口にあるため人も多い。幸い席が空いておりそこへ向かう。私は席確保係になり、先生は買い出し係になる。

「何飲む? 何でも言ってね」

「じゃ、じゃあ、ホットコーヒーお願いします」

「オッケー、待っててね」

 先生が声優になってから会うのは初めてだ。久し振りに会うのにこんな見覚えのない姿になってしまうとは私も想像してなかった。

注文するためにレジ前に並んでいる先生をぼーっと眺める。「あぁ、違う世界に住む人になったんだな」と思う。

家庭教師として来てもらっていた当時と比べて垢ぬけて綺麗になった。関西弁で言うとこの『べっぴんさん』だ。やはり声優は人に見られる職業だな。そう感じる。

今や声優は裏方の仕事ではない。歌も歌うし、ダンスもする。演技する場も舞台やアニメ、洋画の吹き替えのみならず、ドラマや映画にだって出演する。水着グラビアだってこなす。ビジュアルまでもハイスペックなものを求められる世界だ。私には到底無理だ。

先生は2人分の飲み物を持ってきてくれる。

「お待たせ。こっちが色乃ちゃんのコーヒーね。私は相変わらずココアしか飲まないの」

「ありがとうございます。なんぼでした?」

「そんなん、お金なんていらんよ!」

 お互い段々関西弁が出てくる。懐かしい。こっちの世界に来てから関西弁を口に出すのはやめたから。十九年間東京で過ごしてきたらしいのに関西弁で話すのは不自然なことである。似非関西弁ならまだしも、ナチュラルな関西弁が出そうになる。家や学校ではそんなことまで気を使わないといけない生きづらさがあるが、先生の前では気を使わなくても大丈夫な気がした。

「じゃ、お言葉に甘えていただきます」

「どうぞ、どうぞ」

 紙コップの蓋を開けてコーヒーを冷ます。先生も同様にココアを冷ます。

しばらく沈黙が続いたが先生から話し始める。

「ねぇ、どう聞いたらいいか分からんのやけど、どっから聞けばいいんやろ?」

 先生は気を使いながらもニコニコしながら質問の仕方を考えている。そのほわほわした感じも昔と変わらない安心感がある。その雰囲気にどれだけ助けられただろうか。こんな私でも受験前はピリピリしたものである。

「私も何でこうなったかは分かりません。でも、分かることは転生したってことだけです。あ、私が勝手に『転生』って言ってるだけなんですけどね。」

「転生ね~」

 「う~ん」と顎に手を当て考える仕草を見せてくる先生。真剣に考えているように見えないが、これは先生が本当に真剣に考えている時に見せる仕草である。私はまだ信じてもらえないだろうと思い、机の下で両手人差し指をつんつんしている。

「まぁ、転生ってようある! 小説で。いっぱいアニメ化もしているし」

「現実でそんなこと信じれますか?」

「信じがたいけど色乃ちゃんがここにいることは現実やん? そういうこと」

「そうですね。今は声優の拓央君の妹として一緒に住んでます。看護学生なのはこっちの世界でも相変わらずです。最近は拓央君の妹であり、私の姉である女性と毎日兄の取り合いをしています。どうやら十九年間芦原家の末っ子らしいです」

 先生が目を丸くし、口をポカーンと開けている。言っちゃっ悪いがその間抜けな顔めっちゃ久し振りに見る。私が第一志望校に受かったと言った時以来だ。中学受験でどんだけ期待されてなかったの? 私。難関校でもあるまいのに。

「ほんまに? 拓央君と住んでんの? もうアフレコもとっくに始まってるし、声優さんの家にいるってのはほんまにびっくりする! てか、拓央君の取り合いって何? 面白すぎる」

先生はあはは、とお腹を抱えながら大爆笑している。笑いすぎて出た涙を人差し指で拭う。「ごめんね」と言いながら真っ直ぐ私に向き直る。 

先ほど言っていたアフレコとは春アニメの『ハレアゲ』のことだろう。そりゃそうなるよねー。私もびっくりしたからね。

 先生はニコニコしていた先ほどとは一転、神妙な面持ちで口を開く。コロコロ表情が変わる人だ。

「でもそれってやばいよね。色乃ちゃんのいた世界では色乃ちゃんはどうなってるんやろう?」

「それってどういうことですか?」

「色乃ちゃんのご両親は色乃ちゃんのこと探してないかな? それとも最初っから転生前の世界には色乃ちゃんは存在してないのかな? でも、うちは転生前の色乃ちゃんを知っているわけで……」

 そんなこと考えたこともなかった。今の環境にある程度満足していて、拓央君と家族になることができたなんて願ってもみなかったことが実現している。学校生活は充実しているとは言い難いが、それでも良かった。だから何も考えたことはない。それにこっちの世界に来てまだ一週間くらいしか経ってない。

「そんなこと考えてもなかったです。こっちに来てまだ一週間くらいしか経ってないし。それに今の生活に何も不満はないし」

「でも、ご両親が色乃ちゃんのこと心配している可能性はあるよね?」

「ま、まぁ、そうかもですけど……」

「一旦ご両親に電話したほうがいいんちゃうかな? ねぇ」

「それもそうですね」

 私と両親との関係があまり良くないことを先生は知らない。まだ小学生だった私はお金だけ渡したら何とかなる年ではなかったから。お金だけ渡しておけばある程度生活できる高校生の頃だろう。両親との関係が悪くなったのは。だから、両親は私のことなんて心配していないだろうと思う。電話したところで……、と思っていたが何か分かるかもしれない。何を知りたいというわけでもないけれども。

 意を決して母に電話してみる。まだ仕事だろうかと思っていたが三コールほどで母が電話に出る。恐る恐る話す。

「もしもし、母さん。私、色乃」

「色乃って誰ですか? 私には子どもはいませんけど。不妊の私への嫌がらせなの!?」

 母は語気を強く言い放ち、電話を切る。私もスマホを閉じ、テーブルに置く。涙も出ないが俯いてしまう。先生も恐る恐る私に尋ねる。

「色乃ちゃん……、どうやった?」

「あかんかったです。私、多分存在しない人間なんやと思います」

 えへへ、と頭を掻きながら答える。先生はその様子を見て切なそうな表情で謝ってくる。

「ごめんね。うちが余計なこと言ったから」

 私は誤魔化すように笑顔で答える。

「いいんです。向こうの世界で私がどうなっているか知れたし。なんか新たな発見ていうのか。知れて良かったかもです」

「そう……」

 私はあっ、と思い出したかのように先生の左手薬指を見て尋ねる。

「先生、そういえば結婚したんですよね? おめでとうございます! 今更ですが。ネットニュースで知ってびっくりしましたよ!」

「あはは、ありがとう。だよねー、私も結婚できるなんて思ってもいなかったから」

 俯いていた顔を上げニコニコし、照れながらキラキラした左手の薬指を見せてくれる。こんなに素敵なキラキラした笑顔を見せてくれる奥さん。料理は未だに苦手なんだろうけど幸せだろうな。旦那さん。一般男性とかいう業界関係者かな? 羨ましい。

 先生は思いついたように言い、スマホを取り出す。

「これから多分ちょくちょく会いそうな予感するから。RHINE交換しよう!」

「ですね。ちょっと待ってくださいね」

 私も置いていたスマホを開く。

「これから拓央君に言えないようなこともあったらうちに言ってくれたら大丈夫やからね」

「ありがとうございます」

 頼りになるお姉さん。実の姉ではないけど実の姉のように仲良くしてもらったことを思い出す。世界線は変わってしまったけど私は覚えているよ。あの時のこと。

 二人の飲み物はとっくに冷めてしまい、まるでアイスコーヒーとアイスココア状態だ。ちなみに冷コ―ってあまり言わない。二人は一気に飲み物を飲み、口を紙で拭う。

「そろそろ行こっか」

「そうですね。ごちそうさまでした」

「どういたしまして」

 私たちは店を出る。寒暖差が激しく震えてしまう。

「じゃあ、私はここで。色乃ちゃんは?」

「私はここから歩いて帰ります」

「寒いし、東京は気をつけてね! それじゃあ、またね!」

 言いながら先生は改札を通る。その後ろ姿を見て私は聞こえるか聞こえないかぎりぎりのところで先生を呼び止める。

「あの……、先生の苗字は?」

「都島」

 そう言って振り返りウィンクする。

まだまだ冷え込み春が遠い東京。そこにいち早く咲いた一輪の桜のようだ。甘いチェリーブロッサムの甘い香りがくすぐったい。

旦那さんが羨ましい。覚えてろ! 都島何とか! 会ったことないけど。

 声豚魂が炸裂する。

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