第2話 芦原拓央君のお兄ちゃんスキルが高すぎる件について

 食卓では何が自分自身に起こっているのかも理解できないまま、会話を繰り広げる家族をぼーっと見つめながら食事をする。


拓央君のお母様であり、口の悪い姉の母であり、私の母であろう人が作ってくれたご飯は美味しい。いつもなら母の手料理なんてごく稀にしか食卓には並ばない。両親は共働きだから仕方がないことだ。だからそれなりに料理には自信があった。それに「拓央君のお嫁さんになるためにも頑張らないと!」と思って毎日料理をしていたが、これほど美味しいご飯を毎日拓央君は食べているなんて……。 拓央君の胃袋を掴むにはまだまだ修業が足りないと考えていた。


そもそも家族全員で食卓を囲むなんて久し振りのことだ。というかはじめましてですよね? めっちゃ私馴染んじゃってるけど!

「ごちそうさまでした。美味しかった」

 そう言って私は自室(であろうところ)へ戻る。



何が起こっているのか理解できず、頭を抱える。 机に向かい、紙とボールペンを用意する。物の位置も何も変わっていない。変わっているのは住環境と家族。それまでの経緯をフローチャートのように書き出す。

私が覚えていることは帰宅し、お布団の上でゴロゴロしながら拓央君の最新情報をチェックしていると、元家庭教師と拓央君の共演を知る。それに歓喜し、スマホを顔面に落とす。そしたら何故か拓央君の妹になっていた……。流石、私。とてもよく覚えている。この状況は何だ、あれか。よくラノベにある転生なのか? この現象を転生と呼ぼう!

目の前には大好きな拓央君がいる。妹だし、結婚はできないけれどもガチ恋勢には変わりない。

「うわぁ……ブラコンになっちゃう! てか、あの姉も絶対ブラコンやんなぁ……」



 そんな独り言を言っているとノックの音が聞こえる。静かに三回。

「なぁ、色乃入っていいか?」

「どうぞ」

 大好きな拓央君と部屋で2人きりそんな夢にまで見たシチュエーションが今繰り広げられようとしているのか! 「どうぞ」とか反射的に言ったけど全然心の準備が整っていない。でも、そんなことはお構いなしと拓央君は部屋へ入ってくる。襖の扉を静かに閉めて、私のベッドに座る。拓央君が私のベッドに座ってくれるなんて……、お布団舐めまわしたくなっちゃう! なんて声豚モードを心の中で爆発させながら気持ちを押さえつけ、平静さを装うとしていた。

そんな私とは裏腹に拓央君は深刻そうな表情でうつむいて言葉を発そうとしては、口をつぐむ。何と声をかけていいのやらと悩んでいる様子にも見える。そんな拓央君の横顔も美しくて見とれてしまう。やっと拓央君は決心したのか息を吐いてから話を切り出す。

「何か悩み事があるなら話してくれないか? お兄ちゃん忙しいし、色乃のことちゃんと見てあげられてないのかもしれない。看護学校って大変だよな?」

 深刻そうな表情で私を見つめる拓央君もとい私の兄。私は椅子から離れ、兄の隣に座る。そして兄の手を握り告げる。

「拓央く……お兄ちゃんが忙しいのはよく分かっているし、私も忙しくないと言えば嘘になる。でも、お兄ちゃんがそんな顔をするほど深刻なことは何もないよ。だからそんな顔しないでよ!」

 思わず兄の手を握る手がギュッと強くなる。そしてうつむいていた兄は顔を上げて驚いたような表情を見せる。しかし、それもつかの間優しい微笑みを私に向ける。こんな表情ファンには見せたことないくせに。声優の芦原拓央は隙がない。でも、兄の芦原拓央は隙がある。

「ありがとう。色乃に何もないならそれでいいよ。安心した」

 そう言って兄は私の頬にキスをする。私は顔面が熱くなるのが自分でも分かった。声豚魂が唸る。「ダメだよこんなとこで……」と言いそうになる。

声豚として下心があり、手を握った訳ではないのに手がヌメヌメして下心が生まれてくる。

「頬じゃなくてその柔らかそうなぷるっとした唇に私の唇を重ねあいたい……」、そんな感情さえも生まれてくる。

かすかなシャボンの香りが余計に意識させる。近くに拓央君がいて、触れられことを。拓央君のファンの子がどんなに願ってもできないことが私にはできて、拓央君がファンの子には絶対見せない顔を私は見ていることを。

思わず私はそっと目を閉じ、兄の唇を奪おうとする。すると兄は私の唇に人差し指を持っていき、笑顔で言う。

「お風呂入ろっか」

 むぅーっと私はむくれていると兄は笑いながら部屋を後にする。私のファーストキスのチャンスは儚く散った。それでも拓央君が好き。

むくれていても仕方がない。風呂に入るかと、パジャマと下着を用意する。

風呂場の場所分からないんですけど……何なら重要なトイレの場所すら分からないんですけど。食卓までは三人で行ったから分かったけど。どうしようと考えていても仕方あるまい。適当にっぽいところへ向かう。



脱衣所っぽいところを開けるとそこには目を疑うような光景が飛び込んできた。

「お、お兄ちゃん!?」

「やっと来たな」

 そこには全裸の拓央君が遅かったなとでも言いたげな顔で仁王立ちしている。私はまた顔を紅潮させ、脈が速くなる。頑張れ! 私の心臓! このまま風呂入ったら脱衣所に出た瞬間激しく血圧が下がりそう。失神まである。

 何この兄妹、普通大の大人が兄妹で風呂入ったりするの!? 頬にキスするの!? などと考え込んでしまった。転生前は一人っ子だったから世間の兄妹事情には疎い。お兄ちゃんって憧れの存在ではあったけれども……。好きな男性目の前にして服を脱ぐなんてできないし、お嫁にいけないよぅ。いや、拓央君のお嫁さんならば拓央君の目の前で服を脱ぐくらいできるはずだ。「よいしょ」っと処女膜から声を出しながら服を脱いでいく。そんなものは目もくれず兄は先に風呂に入る。

「先、風呂入るかんな」

「あ、うん……」

 これが普通なのか。心臓の鼓動が治まらない。多分、血圧百六十以上あるんじゃない? 入浴中止レベルじゃない? 倒れるよ? なんて自己でアセスメントする。というか今更気づいたのだけれども、私は転生後も看護学生なの……。めっちゃ不憫過ぎない? 拓央君の妹になったとはいえそんなリアルは求めてないよ! と心の中でツッコむ。脱いだ服を洗濯籠に入れようとしたときにふと、目に入る。

「拓央君の脱ぎたてのパンツ……」

 小声で呟いてしまう。なぁ、私は問いたい。好きな声優さんのおパンツが目の前にあったら嗅ぐだろ? 私は無意識に兄の下着を拾う。まだ兄の……、拓央君の体温が残ったおパンツ……、じゃなくて下着……。これ兄妹じゃなかったら厄介どころか犯罪者になっているとこだよ! そして下着を鼻に近づけようとした瞬間風呂からあの猫なで声が聞こえてくる。そして私は我に返る。

「てか、姉も一緒に風呂に入るのか……」

 私は兄の下着を洗濯籠に戻し、意を決して風呂へ入る。大丈夫! 姉よりかは乳もデカいからな!! 女って嫌な生き物だ。すぐマウント取りたがる。

 そこには広い湯船に兄と姉が浸かっている。そこへ私も浸かる。こんな大の大人が三人も入ることができる風呂って広すぎないか? 私の転生前の家の風呂とそんなに変わらない広さだ。何だかんだこの家も大きいよな。そう言えばここは東京? 神奈川? 拓央君が実家暮らしなんて。今までラジオや取材で実家暮らしとか聞いたことなかったし。ただ、妹の話はよくしていたと思う。そんなことを一人黙って考えていると姉が口を開く。

「あんた本当に大丈夫なの? ずっとぼーっとしてるじゃん?」

「大丈夫」

「そっ……」

姉は兄と話すときとは違う冷たい声で私に話しかける。そしてそっぽむく。態度が違いすぎて女怖ぇよ……ってなっていると兄が湯船から上がり頭を洗い始めた。そっか、拓央君の使っているシャンプー試飲するかなんて考えてしまう。拓央君が目の前にいても妹だなんて実感わかないし、転生したからってそう簡単には声豚魂は消えない。燃え滾る声豚魂を抑えていると兄が姉を呼ぶ声と姉の猫なで声でまた新たな兄妹の習慣を知る。

「冴香、頭洗ってやるから上がってこい」

「はぁーい! にぃーやん洗って!」

 何だこの兄妹。普通の兄妹って何なんだ。軽くパニックである。姉は立ち上がり、湯船から出る。姉は私とは違い髪が長い。兄はたくさんのシャンプーを手に取る。そして姉は兄の前へ立つ。やはり私のほうが胸はデカい。そう思ってはいたものの、「ずっとこうやって姉は今まで頭を洗ってもらっていたのかな……、きっと大切にされてきたんだろうな……」と思うと胸の大きさでは勝ってても、拓央君と過ごしてきた時間でならば姉にはかなわない。私はずっと十九年間兄妹だったらしいが、その記憶は私には無い。私もきっと十九年間大切にされてきたのだと思う。でもそれは私が知り得ない事実だ。寂しさが募り始める。

 兄が姉の頭を洗い終わると姉は端で体を洗い始める。そして兄は私を呼ぶ。兄は慣れた手つきで少量のシャンプーを手に取る。私も湯船から上がって兄の前に立つ。泡立てられたシャンプーがふわふわと私の髪を優しく包み込む。兄は優しい手つきで髪を洗ってくれる。とても気持ちいい。べ、別にいやらしい意味なんてないんだから……!


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