第四話 うつろわざる者


 目を開けると、灰色の天井が見えた。

 深雪は僅かに瞼を開き、ゆっくり瞬きをした。

 頭がぼんやりする。自分は今、眠っていたのだろうか。自覚がない。

 ここは、どこだ?

 周囲を見回すと、淡い灰色の壁に囲まれていた。

 箪笥、ドレッサー、学習机、カラー・ボックス、ミニテーブルの上にはドール・ハウス。どことなく懐かしさを感じる。

 ここは──そうだ、自室だ。

 深雪は静かに起き上がり、灰色のベッドから足を下ろした。

 ベッド脇に置いてあるドレッサーの鏡を覗く。鏡には、灰色の肌、ブルーの髪、透明感のない紫色の瞳が映っていた。

 見慣れた、いつもの自分の姿だ。そう、感じた。


 窓を開けて空を見上げた。

 遠くを眺めると、黒い戦闘機が三機、轟音と共に飛ぶ姿が見えた。

 深雪は、この黒い戦闘機を知っているような気がした。何故だろう。

 はて。あの戦闘機は、どうして灰色ではないのだろう。なんだか妙な気分だ。

 ふいに時計を見た。時計の針は九時を指したまま止まっていた。

 この世界の時は止まっている。そうだ、時計など必要のない道具だ。どうして壁に飾ったままにしてあるのだろう。


 ドレッサーに戻って、もう一度、鏡を見つめた。

 深雪は頬に手を当てた。おかしい、唇の脇に皺などあっただろうか。どことなく老けて見えるのは気のせいだろうか。

 気を取り直した深雪は、抽斗ひきだしを開けた。櫛を取り出して髪を梳かし始めると、リズミカルな歩調で階段を上ってくる、一人と一匹の足音が聞こえてきた。

 ノックもせずに開け放たれた部屋の入り口には、お気に入りのピンク色のパーカーを着た、妹の奈々が立っていた。

 奈々の足元には、紫色のトイプードルのリリィが尻尾を振りながら座っている。

 リリィは深雪を見つけると、元気に「ワン!」と吠えた。

 深雪と同じ色の肌と瞳を持つ奈々は、驚いているような、呆れているような、それでも、嬉しそうな口調で声を掛けてきた。


「お姉ちゃんったら、いつ帰ってきたの? お菓子は?」


 深雪は、はてなと首を傾げた。


「えー! もしかして、頼んだリンゴ・ジュースも買ってきてないの? ひどいよ!」


 深雪は立ち上がって、腰に手を当ててぷりぷり怒る奈々の頭に手を載せた。


「ごめんね、奈々。私も、いつ帰ってきて、いつベッドに入ったのか、全く憶えていないの」

「もしかして、また寝てたの? お姉ちゃんって、ほんとに寝るのが好きだよね」

「うん──」


 深雪は奈々の頭から手を離し、ぼんやりと天井を見た。


「私、帰ってきて寝るまでの間、いったい何をしていたんだろう」


 頭に靄がかかったような気分だ。

 今まで自分が、どこでなにをしていたのか、一つも思い出せない。


「……もしかして、どこかに頭をぶつけたの? お姉ちゃん、どんまい」


 奈々は、今度は本気で呆れたふうに肩を竦めた。


「お姉ちゃんは、スーパーマーケットまで奈々のお菓子とリンゴ・ジュースを買いに行ってくれたの。でもって、お菓子もジュースも買わずに帰ってきちゃったの!」


 奈々は、「二人分のコップを並べて待ってたのにー」と頬を膨らませた。


「二人分?」


 深雪が訊くと、奈々は「そうだよ、奈々とお姉ちゃんは二人暮らしでしょう?」と答えた。


「ま、いいや。無事に帰ってきてくれて、よかった」


 奈々は満開の向日葵みたいな顔で「お帰りなさい、深雪お姉ちゃん」と笑った。

 深雪の頬が綻んだ。自然に笑顔になっていく。

 深雪も満開の笑顔で、大きく頷いた。


「うん。ただいま……!」


                                  【了】


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