第2章 小さな星

第壱話 来訪者 闇に入りて 陽を照らす


 国家連合軍のアグネス・モンド中佐が深雪の住む仮設住宅を訪ねてきたのは、深雪が二十一歳になったばかりの秋だった。

 深雪は今、翠と由香里と離れ一人で暮らしている。

 八年間、深雪は仮設住宅とシェルターの往復の他に、なにもしていなかった。

 軍を辞めた後の深雪は、まるで魂の宿っていない瞳の曇った人形のように無気力だった。

 死なないために生きる。しかし、生きる意味が見出せないまま自堕落に過ごしていた。


「私に、出撃命令ですか」


 深雪は、ぼんやりと湯飲みを見つめながら呟いた。梳かされていない長い黒髪が湯飲み茶碗の中にするりと入った。


「パイロットが足りないのだ」


 モンドの表情は疲労に翳り、発する言葉には生気がなかった。

 度重なる激戦の末、兵士を次々と失い、国家連合軍は深刻な人材不足に陥っていた。志願兵を募集しても足りず、徴兵してもカバーしきれない。兵士を育成する指導官すらも戦場で散っていった。

 中佐に昇格したばかりのモンドは、まだ二十九歳だ。第一子となる息子を出産して、まだ一年にも満たない。今が戦時中でなければ育児に奮闘する日々を過ごせたはずだが、スピード出世をして戦場に復帰せざるを得なかった。


 国という国、街という街が、幾度もグレイ・バードによって空爆され、数えきれないほどの命が消えた。

 体も、心も、思い出も、何もかもが永劫に燃え盛る灼熱の海に飲み込まれていった。

 生き残った人々も、街も、軍も、政府も、全てが疲弊している。

 地球は、最早、立ち直れないほどに喰い尽くされていた。

 星喰いが消えるまで戦いは続く。終戦の目処など立っていない。


 深雪はモンドの説明を小さく相槌を打ちながら聞いた。霞がかった頭で情報を整理していく。

 星喰い星の数は、十一年間でさらに十四個増え、現在二十八個となった。

 街が破壊されるほど、地球人が死亡するほど、星喰い星は数を増やした。

 国家連合軍の戦闘機が撃墜されるほど、グレイ・バードやブラック・バードは、ゴキブリみたいに増殖する。

 殉職したパイロットと同等の能力を持つ敵パイロットが、殉職したパイロットと同じ数だけ増えていくように感じられる。


「つまり、破壊された街の面積や死者の数に比例して、星喰い星は増えていくのですね。撃墜するほど敵機も増えるし、こちらが主戦力を欠くほど、敵の戦力は増強していく」

「その通りだ」


 モンドも湯飲み茶碗を取り、一口、すすった。


「敵機が多すぎて手に負えない。地対空ミサイルや艦対空ミサイルを多用したのが仇となった。かえって敵を勢いづけた」

「そうですか」


 深雪は流れる髪を耳に寄せた。


「命を賭して戦って殉職しても、無念しか残りませんね。何のために戦っているのでしょうか」

「それでも、星喰いを破壊するためには、戦い続けなくてはならないのだ」


 いつか、星喰いは出現しなくなるだろう。そんな淡い期待を抱いた時期もあったが、そのような時期はとうに過ぎている。

 星喰いを破壊しなければ未来はない。深雪は、テーブルの向かいに座るモンドの顔を、ぼやっと見つめた。


「私には、何もできません」


 モンドは瞼を伏せて首を横に振った。


「戦ってもらう。すでに星喰い強襲部隊に配属済みだ。私に命を預けろ」


 深雪は唇を噛んで俯いた。モンドは以前の深雪の行動を知らないのだろうか。


「私は独断行動して味方を危険に晒しました。挙句、自分だけ戦場から逃げ出した卑怯者です」

「お前の戦線離脱は上官命令だ」


 口の中に血の味が広がる。

 自分は、やはり、一人前のパイロットとして認められていなかったのだろうか。


(ううん、違う。本当は、わかっていた……)


 涙が浮かんだ。深雪は、くっと息を漏らした。瞼を伏せると、大粒の水滴が頬を流れた。涙は乾いた目を潤したあと、ポタポタと、膝を染めていく。

 喪に服すように全身を黒で包んで過ごした、八年間。

 深雪が入隊してすぐに、岡山たちは決めたのだろう。幼い深雪だけは家族の元に帰そう、と。

 黒いスカートに涙が広がっていく。重なり染まる涙の跡は、まるで紫陽花のようだ。


「我々の目的は仇討ではない。我らの死でもない。星喰いの破滅のみだ」


 モンドは湯飲み茶碗を傾け、一気に飲み干した。ブルーの双眸が深雪を射抜く。


「無意味な八年間だったな。黒い衣服も流した涙も、全て自己満足だ。歩むべき道を自身で作れないのであれば、私が作ってやる」


 深雪は強く瞼を閉じた。

 目的は仇討ではなく、星喰いの破壊。仇討に固執したあまり、味方の死を招いた消し去ることの許されない過去。だが、許されないのであれば、尚更、歩を止めるべきではなかった。

 亡魂などない。誰も深雪を恨んではいない。やるべきは見せ掛けだけの弔いではなく、命を繋げるための戦いだ。

 目を開くと、光が見えた。閉ざされたカーテンの隙間から差し込む陽光の明るさに、深雪は八年ぶりに気付いた。


「進むべき道は自分で作ります。勝利とはなんなのか私にはわかりません。でも、負けなければいい。戦いを終わらせればいい。これ以上の犠牲を出さずに」


 モンドが目を細めて深雪を見つめた。


「失われた過去の幸せを思い出して泣くのは、もうやめます。今そばにある幸せを大切にします。大切なものを守るために戦うのであれば、岡山隊の隊員たちも送り出してくれるはずです」


 深雪は立ち上がり、モンドに敬礼した。


「未来を繋ぐための弾丸として、私を使ってください。たとえ撃ち尽くして人生を終えても、後悔はしません」


(全ての人たちの明日のために、道を切り開くために、私は戦う)


 モンドは口角を上げて笑った後、厳格な口調で告げた。


「道は私の隣に作れ。私と共に走れ。これは上官命令である」


 凛として敬礼するモンドの姿が、深雪の脳裏に強く焼きついた。

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