第伍話 絆絶つ 過去へ向かいし 逃避行


(上昇して反転。相手が旋回してたって構わない。外側から喰い込んでやる)


 メッテーヤⅧ、ハイスピードヨーヨーで五機目の後方を占位。機関砲の連続発射で機体が振動する。射程内から五機目の消失を確認。

 三時の方角でミサイルが撃ち落された。閃光と黒煙が上がる。岡山が深雪の機体に向けて発射されたアーチャーを始末してくれたらしい。ミサイル接近警報装置が鳴り止んだ。

 呼吸を整える暇もなくレーダーが叫びながら六機目を捕捉した。近い。

 深い角度で交差した後、百八十度で反転。すぐに垂直旋回して敵機の後方を狙った。

 ひとまず距離は離れたが、ミサイルを発射する気のないブラック・バードは最初からミサイルを搭載していない。そのためメッテーヤよりも軽いし、速度も出る。しかも六機目は、旋回性能もメッテーヤよりも勝っている。


(嫌だ、こいつ、射撃がうまい。同じように垂直旋回の応戦を繰り返したら、交差時に被弾する)


 こちらは高度がない。考えろ。相手も高度がない。


(距離を縮めてローリングシザース機動に入る)


 低高度で交差角が取れるが、技量は敵が上で、機体性能も、敵が上。

 六機目のブラック・バードは星喰い人が設計し製造した機体だ。分が悪い。降下後にしっかりと上昇してエネルギー切れを起こさないように気を付けなければならない。疲れた。思考するたびに脳が頭の中で軋んだ音を立てる。


(しっかりして。死にたいのか)


 エネルギーはこちらが優位だが、旋回性能は劣る。しかし、今の状態で高高度を得られれば──。

 と、ここで六機目が突然、ブレイクした。


(なに、行動が読めない……。そうか、技量は、確かに私よりも上だけど、こいつはエネルギーの管理が苦手なんだ。だから無駄にブレイクしたのね)


 敵機が再びブレイクした。メッテーヤⅧ、敵機のブレイク方向と逆方向にバレルロール。一旦、速度を落として敵機の旋回方向の外側から潜り込みつつ、上昇。


(これで終わりだね。バイバイ)


 被弾し墜落していく六機目のブラック・バードに一瞬だけ視線を送り、深雪は前を向いた。

 ミサイル接近警報装置が敵ミサイルを検知した。メッテーヤⅧ、フレアを放出し赤外線誘導ミサイルを回避。


(ミサイルを発射したやつは、こいつか。ミサイルの無駄打ちをさせてやる)


 七機目が発射するミサイルは、全てデコイで回避した。ミサイルが切れたら特攻される。


(さっさと始末しないと、私が撃墜される)


 水平方向に急加速し旋回したためか、座席の下方に高いGが徐々にかかり始めた。視野の狭窄と色調の変化に深雪は気付いた。

 圧搾空気がスーツ内へと送られていく。下半身が圧迫されたことで灰色がかっていた視界が、色調を取り戻し始めた。視野狭窄が収まると、深雪はぐったりと息を吐いた。

 深雪がグレイアウトを起こしかけている間に、仲間が七機目を撃墜したらしい。七機目のブラック・バードがレーダーから消えている。


(焦りすぎた。落ち着いて)


 二百キロメートル以内に、八機目、九機目、十機目のブラック・バードがいる。電子妨害装置は無論、使用しているが、グレイアウトのせいで、敵機の発見が遅れた。


(大丈夫。たとえ先に発見されても、あいつらはミサイルを撃ってこないもの)


「邪魔だよ、どいて」


 深雪は冷淡な声で呟きながら、八機目を撃ち落した。

 ブラック・バードのコックピットには黒いフロント・ガラスがめこまれている。そのため、敵の姿を確認できない。


(こいつら、いったいどんな姿をしているんだろう)


 何故だろう、イライラする。星喰い人とは、どんな顔をしているのだろう。撃墜される直前、どんな表情をし、なにを考えながら死んでいくのだろう。


(涙を流しながら死んだりするのかな)


 残りの二機は仲間が片付けてくれた。


『落ち着け、佐原。先走るな』


 またしても岡山に叱責された。

 深雪の苛立ちが興奮へと変化した。

 ああ、体が熱い。鏡があったら自分の顔を見てみたい。きっと鬼か魔物のような形相をしているだろう。呼吸が苦しい。瞬きの回数を減らして周囲を凝視していたせいか、目が乾いて痛い。


『佐原、一人で戦うな。何のために岡山隊がある。誰のための仲間だ』


 次々と襲い掛かるブラック・バードの攻撃をかわし、撃破しながら、深雪は岡山の言葉に耳を傾けた。

 最初は煩わしくも思ったが、岡山が発する言葉が、少しずつ、深雪を冷静にしていった。


『深雪ちゃんよ、あんまり興奮しなさんな』


 高橋仁少佐の声が聞こえた。高橋はミドルボイスが特徴の三十八歳の男性だが、二十代半ばにしか見えないほど童顔である。


『敵の数を見なさい。状況の把握ができない者は岡山隊には必要ないわよ』


 永沢美夜軍曹は二十代後半の女性で、モデルのような長身の美人だ。


『そうそう。今のあんたのペースじゃ、十分と持たずに使いもんにならなくなるね』


 横溝誠一等兵は深雪と最も年齢が近い二十歳の青年で、大学を中退しての入隊だった。


『あるいは、パッと花火になるかだ。貴様がな』


 錦織隆俊上級曹長の声も聞こえる。錦織の一人娘は深雪と同い年で、「娘は俺に似て運動神経がいいんだ」と、昼食時にはいつも娘の自慢をしていた。


 α小隊の隊員たちの言葉を聞いて、体の火照ほてりが急速に冷めていく。


(そうだった。途中でリタイアなんて絶対にしたくない。死にたくもないよ)


 まだ家族の仇を討っていない。星喰いを落とすまで、絶対に死ねないのだ。


(駄目だな、私)


 深雪は素早くまばたいた後に、唇を開いた。


「すみませんでした。命令に従います」

『帰ったら説教漬けの刑だな。茶漬けも出してやる』


 岡山の、本気なのか冗談なのかわからない声がスピーカーから流れ、同時に隊員たちの笑い声が聞こえた。


『若い子はいいねえ、元気があって。あー羨ましい』


 今の声は、林育郎曹長だ。円形脱毛症を気にして自身を「オッサン」と呼ぶが、まだ三十代前半だ。


『クソッタレが! 頭が痒い。ヘルメットが邪魔で頭が掻けない』

『お気の毒な頭部なのに頭が痒くなるんですか、曹長。洗いやすそうな頭に見えますけどね』


 田中勇気上等兵の軽口が聞こえる。林曹長と八歳しか違わないくせに上官を堂々と年寄扱いする、勇気のある青年である。


『お前の勇気には感心するよ。なあ、勇気』


 三井義彦上等兵がぬえみたいにヌラヌラと笑った。


『人の名前で遊ぶなと言ってんだろ。つまんねえんだよ、クズ』


 田中上等兵と三井上等兵は、小学生時代から十年来の喧嘩仲間だ。毎日のように言い争っているが、軽口をたたくときだけは息がぴったりと合う。


『佐原の髪を少し分けてもらいましょうよ。毛根も一緒に若返るかもしれないですよ』

『上官に向かって、その言い草。いやあ勇気の勇気には本当に感服だな』

「わかりました、わかりましたから。髪の毛でも毛根でもなんでもあげますから、もうからかわないでください」


 メンバーのおかげで、深雪は完全に落ち着きを取り戻していた。


「本当にすみませんでした。もう大丈夫です」

『よし、ここからが本番だ。全員、気を引き締めろ』


 岡山の声に、深雪は太陽のような明るい声で「了解」と答えた。

 隊列を組み直し、再び星喰いを目指して、深雪は飛んだ。

 ふいに、星喰いが轟然たる音を立てながら左右に揺れている姿が目に入った。


(なに、これ?)


 巨大な繭は、今度は上下に大きく揺れ、繭の前方がガバッと大きく口を開けた。

 そこから数百機はあるだろうブラック・バードが、一気に吐き出された。


(うそ、なんて数なの……)


 深雪は戦慄した。恐怖で全身が粟立あわだつ。暑いのか寒いのかもわからない。

 死。〝死〟の一文字が、深雪の頭の中を埋め尽くした。


(落とせるわけがない。こんなの絶対に、勝てるわけないよ──)


 駄目だ、死ぬ。

 深雪だけではない。岡山隊だけではない。ブラック・バード殲滅部隊が全滅する。これから地上にどれほどの惨劇が訪れるのか、想像もつかない。


『高橋、わかっているな』


 岡山の声は研ぎ澄まされたサバイバルナイフのように鋭かった。


『了解』


 高橋が短く返事をすると、メッテーヤⅧは小さな衝撃を受けた。そのまま後に引っ張られていく。


『佐原、貴様の功績は大きいぞ。胸を張れ』


 深雪は混乱していた。機体が引っ張られ岡山隊から遠ざかっていく。岡山も急に、なにを言い出すのか。


「意味が解りません。隊長はいったい何を……」


 言いかけて、脳が閃光を発した。


「まさか、私だけ逃がすつもりですか!」

『高橋、頼んだぞ』


 肯定しているとしか思えない岡山の声に、深雪は激しく動揺した。ヘルメットを脱ぎ捨てて、髪を掻き毟る。

 確かに、まだ死ぬわけにはいかない。しかし、仲間を置いて自分だけ逃げるなんて、許されざる行為だ。


「いやです! 私も最後まで戦わせてください!」


 深雪の言葉など、もはや誰も聞いていなかった。深雪が操縦するメッテーヤⅧと高橋が操縦するメッテーヤⅡ以外の全機が、星喰いを目がけて突進した。

 深雪は呼吸を乱しながら眼球を震わせた。


「隊長、みんな……やめて!」


 敵も味方もバラバラと落ち、数え切れないほどの炎の花が咲き乱れた。

 星喰いが、再びガバっと大きく口を開いた。ブラック・バードが勢いよく飛び出してくる。


『深雪ちゃんよ、あんたは軍を辞めろ。母さんと姉さんの待っているところへ帰りな。家族が待つ家が、深雪ちゃんの居場所だ。若い子が、こんなところで死んじゃ駄目だ』

「いやです、高橋少佐、私も一緒に戦います!」

『グッドラック』


 高橋はメッテーヤⅧを着艦させた後、再び空へ舞った。

 混乱している頭に、今度は曙光からの通信が響いた。


『メッテーヤⅠ、岡山中佐がロストしました』


 深雪はこれ以上ないほどに瞼を見開いた。

 ロストなどという現象は、深雪は今まで全く信じていなかった。しかし、実際にメッテーヤⅠがレーダーから消えた。

 深雪たちが表す〝ロスト〟とは、通常の意味とは違う。戦闘中に確認されている怪現象だ。撃墜されていないにもかかわらず、戦闘機がレーダーから消失する現象を意味する。

 つい今しがたまで並んで飛んでいた戦闘機が、唐突に姿を消す。消えたときの記録も残っている。ロストした戦闘機やパイロットが帰艦した事実はない。地上での発見報告も、ゼロだ。


(岡山隊長が、ロストした。もう二度と戻ってこない)


 深雪は、しばらくぼんやりと右手を見つめた。魂が宙に浮いたような気分だ。

 高橋のミドルボイスが、呼吸の乱れと共にスピーカーから流れた。


『深雪ちゃんよ。あんたは、長生きしな』


 メッテーヤⅡが撃墜された証が×印となってレーダーに表示された。

 高橋が、死んだ。

 レーダーに次々と×印が表示されていく。

 管制官が焦りを抑えきれない様子で声を振り絞った。


『メッテーヤⅦ、三井上等兵のロストを確認』


 三井の妖怪じみた笑い顔が脳裏に浮かんだ。深雪の頭に片手を置いて休憩の姿勢を取りながらコーヒーを飲むのが好きだった。

 間もなくして、レーダーは×印で埋め尽くされた。

 本作戦で曙光から出撃したメッテーヤのうち、二機がロスト、メッテーヤⅧを残して、他は全て撃墜された。

 グレイ・バード殲滅部隊専用機ゲウラ・ルジも懸命にグレイ・バートと交戦しているが、戦況は思わしくない。


『ブラック・バード全機、急速旋回して曙光に接近中』


 母艦防衛部隊専用機イグニス6型の全四十八機が、一斉に空対空ミサイルを発射した。

 絶望的だ。圧倒的に国家連合軍側の戦力が足りない。

 ふと、自分が薄らと笑っていると気づいた。


(お母さん、お姉ちゃん、お父さん、奈々、リリィ、岡山隊長、みんな──)


 急に、世界が静かになった。

 星喰いが、忽然と姿を消した。

 星喰いが去った。同時に、ブラック・バードも、グレイ・バードも、全て消え去っていた。


 翌日、深雪は逃げるように国家連合軍から離脱した。

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