第参話 絶望の 心に宿る 弥勒菩薩
夏の蒸し暑さが、じっとりと会議室に満ちている。エアコンは点いていない。
「諸君。彼女が、新しく岡山隊に配属された隊員だ。年は若いが、腕は確かだぞ」
隊長の岡山啓二中佐は頷きながら、右隣に立つ深雪の肩を叩き「自己紹介を」と促した。
ブラック・バード殲滅第二部隊、別名〝岡山隊〟のメンバーの前で、深雪は敬礼した。
「本日より岡山隊に配属されることになりました、佐原深雪です」
隊員たちの視線が深雪に集中する。
深雪の幼さの残る声を聞いて不安を抱いたのか、ざわめきの中には「若すぎる」と誰もが頷くだろう言葉もあった。
「今年で十三歳になりました。大丈夫です、私は大人です」
「ふざけるな、まだ十三歳だろう」
「中学生に何ができるというんだ」
「あまりも幼すぎる」
隊員たちが、さざめきながら深雪に訝しげな視線を向けた。
深雪は、確かに幼い。しかし「私は中学生ではありません」と、深雪はきっぱりと言い放った。子ども扱いしないでもらいたい。
深雪は胸を張って、普段は出さない大きな声を張り上げた。
「精鋭部隊に配属していただき、感謝します」
一つ咳払いし、唇を動かす。
「私は、エースです。活躍を早くみなさんに見ていただきたい。よろしくお願いします」
深雪は再び敬礼した。まばらな拍手があがった。メンバーが深雪に全く期待していないと、はっきりとわかる。
初めから理解していた。戦力になるどころか足を引っ張るに違いない、と思われるのだろうと。
しかし、深雪はメンバーにどう思われようが気にならなかった。念願が叶ったからだ。
深雪は本日付でブラック・バード殲滅部隊専用機〝メッテーヤ〟のパイロットになった。
〝メッテーヤ〟とは、パーリ語で〝弥勒菩薩〟を表す。
弥勒菩薩は、遠い未来、釈迦如来の次に如来となって現世に降臨し、人類を救済するとされている。
しかし、遠い未来の救済ではなく、現在を救済しなければならない。今が滅びれば、救うべく未来も消滅する。
仏の降臨を待つ余裕はない。人間が救世主となって戦う意思を強く持たなければならない。
自分たちこそが救世主となって世界を守る──そんな意味を込めて〝メッテーヤ〟と名付けられた戦闘機は誕生した。
日本で初めて星喰いによる空襲があった、あの夜から四年。
一度として忘れたことのない、時生と奈々を失った日から、四年。
深雪にとって、この四年間は、瞬きよりも短いような、まるで宇宙の果てまで旅をしたかのように永遠とも思える時を過ごしたような、そんな四年間だった。
国家連合軍には、様々な部隊が存在する。
対空戦を担当するブラック・バード殲滅部隊と、グレイ・バード殲滅部隊。
対艦攻撃を担当する母艦防衛部隊。電子戦を担当する妨害・偵察部隊。
上空警戒ならびに航空管制を担当する警戒・管制部隊。人員や荷物の輸送を担当する輸送部隊。対星喰いを担当する、星喰い強襲部隊。
最も重要視され、精鋭のみが所属する部隊が、星喰い強襲部隊である。
できれば星喰い強襲部隊に配属してもらいたかったが、十三歳の新米パイロットにそんな我儘を言えるはずがない。
ブラック・バードは、常に星喰いを守りながら空を巡り、星喰いに近づく戦闘機には躊躇なく襲いかかる、星喰いの精鋭部隊だ。
そんなブラック・バードを殲滅する部隊に配属してもらえたのだから、幸運と思わなければならないほどだった。
腕には自信がある。パイロット候補として志願したときは、まだ十歳で、あまりの幼さに何度も断られた。だが、しつこく頼み込み、十一歳の冬にようやくテストを受けさせてもらえた。テストで、深雪は桁外れの好成績を記録した。
成績を評価され、正式にパイロット候補生として認められたとき、深雪は即座に翠と由香里に報告した。翠と由香里は頑として訓練を認めず、深雪にパイロットを諦めるよう説得し続けた。
深雪は、一歩も譲らなかった。二人の反対を押し切って必死に訓練し、ようやく正規パイロットに選ばれたのだ。岡山隊のメンバーも、実戦になれば深雪の実力を評価するだろう。若すぎる、とは、もう言わせない。
時生と奈々を失った二週間後の空襲で、リリィも死んだ。
何度目の空襲だっただろうか。シェルターの手前まで辿り着いたとき、リリィは急に踵を返して走り出してしまった。
深雪は、もちろん追いかけようとした。だが、翠が許さなかった。深雪の腰にがっちりと両腕を回し、シェルター内へと引きずり込んだ。
深雪はリリィの名を叫びながら必死にもがいたが、大人の腕力には敵わなかった。まもなくして、シェルターの扉が閉じた。
あの時、リリィは何故、走り出したのだろう。答は、いくら考えても未だにわからない。
星喰いが去ってシェルターの扉が開いた瞬間、深雪は弾丸のごとく外へと飛び出した。リリィを見つけるまで、どこまででも探しに行く。乾いた瞳で周囲を見渡し、瓦礫の間を縫いながら走った。
リリィは、すぐに見つかった。
シェルターから五百メートルほど離れた先で、リリィは真紅の絨毯の上に横たわっていた。真紅の絨毯に見えたものは、リリィの血だった。
頭に巨大なガラス片が刺さっている様子が、遠目からでも、はっきりと見えた。リリィの頭と同じくらいの大きさのガラス片だった。
リリィが走り出したときにすぐに追いかけていれば、今も元気な姿で深雪の胸に抱かれていたかもしれない。
もつれそうになる足を懸命に引きずりながら、リリィの側に近づき、膝をついた。ひんやりとした真紅の絨毯が、両膝を冷たく、赤く濡らした。
両膝の冷たい感触が心に伝わり、深雪の心を凍らせた。
リリィの瞼は、何事が起ったのか理解できない、というふうに大きく見開かれたまま硬直していた。
仇を討たなければならない。時生と、奈々と、リリィの仇を。
仇討を決意した瞬間、リリィの冷やりとした血で氷塊となっていた心が、激しい憎しみで熔岩に変化したと自覚した。
憎い。星喰いをバラバラにしてやる。グレイ・バードを、ブラック・バードを、一機たりとも逃さない。何もかも、一切合財、全て破壊してやる。
「佐原、どうした?」
岡山の声が耳に届いた。挨拶の途中だと思い出す。
ざわめきが収まっている。メンバーの視線が深雪の双眸を貫いている。誰かの息を呑む音が聞こえた気がした。
「私は、星喰い人が憎いです。一匹たりとも逃さず、殺したいです」
深雪が発した心を握り潰すような冷たい声に、今度は、はっきりと、息を呑む音が聞こえた。
「ブラック・バードは、全て私が撃墜します」
「そんなに憎いか? 星喰いが」
岡山の問に、深雪は首を動かさずに短く「はい」と答えた。
「殺し尽くすまで、私は立ち止まりませんよ。絶対に」
「聞いたか、実に頼もしい。若き才能に期待しよう」
岡山が大仰に頷きながら拍手している。
深雪は細めた目で岡山と視線を交わし、「ありがとうございます」と素っ気なく呟いた。
「ふん、殺意に満ちた目をしている。貴様は立派な兵士だ」
岡山の言葉は真実だ。深雪が向ける眼差しには、思春期を迎えた女子の鮮やかな色はない。
深雪はもう、子供には戻れなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます