第弍話 天が哭く 焦土に咲いた 黒い花


 走りながら周囲を見ると、大地は偽りの夕焼け色に輝いていた。出かける前には、はっきりと見えていた星の輝きは、すべて煙に奪われている。

 顔に纏わりつく煙で窒息しそうだ。深雪はハンカチを取り出して、口元を覆った。

 悲鳴を上げながらシェルター方面へと走る人々とぶつかり合いながら、すれ違う。

 深雪たち家族は、もしも空襲が始まったら、自分だけでもシェルターに逃げるよう、話し合いの末に決めていた。

 家族を探しに家へ戻ったり近所を探しているうちに、爆撃に遭うかもしれない。どこかのシェルターに避難すれば、空襲が終わった後に、散り散りになった家族と再会する機会が必ず来るはずだ。

 しかし、リリィは家に向かって走り出してしまった。犬には家族との取り決めなど理解できるはずがなかった。

 リリィを置いてシェルターへ避難するわけにはいかない。翠達も、深雪とリリィを置いてシェルターへ向かうわけにはいかなかったのだろう。

 結局、留守番で残った時生と奈々がいるはずの家に向かって、深雪たちは全速力で走った。


 動物病院から家に向かって走る深雪は、被害の甚大さに目を疑った。

 炎上している家の数は、もはや数え切れない。すでに倒壊している家も、多数、存在した。

 時生と奈々は無事だろうか。

 家からシェルターまでは少し離れているが、走って行けない距離ではない。家族会議で決めた通りに、二人でシェルターに避難しているに違いない、と、祈らずにはいられなかった。

 煙で喉と目が痛い。炎で身体が熱い。肺が悲鳴を上げ、心臓が弾けそうなほど激しく騒いだ。

 滝のように流れ出ては顔や首周りを濡らす汗を指で拭った。恐怖で粟立あわだつ身体に、疲れで重くもつれそうになる足に鞭を打ち、無我夢中で走った。


 修羅の世界とは、偽りの夕焼け色に染まるのか。

 荒れ狂う炎からは瑞々しいオレンジの甘酸っぱい香りなどしない。立ち込める煙は、夏の夜を楽しませる打上花火の香ばしい匂いとは縁遠い。

 大火とグレイ・バードの雷のような羽音が、深雪の心を黒い地獄の底へと突き落とした。


 日本に星喰いが現れたのは、今夜が初めてだ。十八年前にケニア上空に出現して以降、星喰いは、たびたび地球に出現している。

 星喰いとは、宇宙から飛来する、巨大な黒い繭の形をした物体の名称である。

 黒い繭の直径は、およそ五十キロメートル。北海道を覆い尽くしそうな大きさだ。

 神出鬼没の星喰いは、瞬間移動でもできるかの如く地球上空に姿を現すと、グレイ・バードと名付けられた戦闘爆撃機を放出し、世界中で無差別の空爆を繰り返している。

 星喰いという名称は、地球を貪るように破壊していく姿から名付けられた。

 星喰いから出撃し空爆を繰り返す敵パイロットを、地球人は〝星喰ほしくびと〟と呼んでいる。

 戦闘爆撃機グレイ・バードの他に、制空戦闘機も出現している。

 制空戦闘機は、ブラック・バードと名付けられた。ブラック・バードのパイロットも、同様に星喰い人と呼んだ。


 深雪は幼いが、解明されている星喰いの全てを学校で教え込まれていた。

 まず、星喰い人は地球外生命体である。星喰い人の姿を見た者はいないが、地球外から飛来する者が人間であるわけがない。

 次に、星喰い人は、やはり瞬間移動ができると結論付けられた。突如として出現するため、地球側の対応が、どうしても遅れる。

 また、星喰いは夜を好む。夜の闇に溶け込み、繭の側面から黒い触手を伸ばす。すると、グレイ・バードとブラック・バードが現れる。触手が何で作られているのかは解明されていない。

 ブラック・バードは星喰いを守るように空を巡る。国家連合軍の制空戦闘機が星喰いに攻撃を仕掛けると、呼吸を整える時間も与えないほど素早く反撃してくる。

 理解の範疇を超える事実は、他にもある。

 グレイ・バードやブラック・バードの中には、国家連合軍が保有していない、星喰い人が製造したと思われる機体もあれば、国家連合軍が過去に運用していた旧式の機体、運用中の機体も含まれている。

 何故、国家連合軍の機体を、星喰いは所持しているのだろう。それも、かなりの機体数だ。

 ブラック・バードは、敵機を発見すると必ず撃墜する。回収など不可能なまでに破壊するのが、ブラック・バードのやり口だ。

 旧式の機体はほとんど撃墜され、原型を留めている機体は皆無に等しい。新型機も厳重に警備され、何者かが持ち去る行為は不可能だ。持ち去られた形跡もない。


 十五年前にカリフォルニア上空に星喰いが出現した際、星喰いの遥か上に、小さな星が出現した。星喰い人の星なのだろうか。

 カリフォルニア上空に出現した星を含め、星喰いに関係があると推測される星は、現在までに十四個、確認されている。

 これらの星々は〝星喰ほしくぼし〟と名付けられた。直径十キロメートルから五十キロメートルまでの星が多い。

 星喰い星が宇宙から大気圏を突入してきた例はない。そのため、恐竜を絶滅させた、氷河期を到来させた隕石の衝突のような被害は出ていない。

 全ての星喰い星に水と大気が存在しているらしく、見た目はまるで小型の地球だった。

 星喰い星は、表面をバリアーか何かで守られているみたいに、国家連合軍の攻撃を全く受けつけなかった。

 戦闘機で侵入を試みても、一度として成功していない。探査機による探索も全て失敗した。

 完全にお手上げ状態の状況が続き、地球側は、やられっぱなしだった。

 

 ずっと先を走っていたリリィの姿が見えてきた。

 止まっている。どうやら家に着いたらしい。

 周囲が火の海に囲まれていて最初は気付かなかったが、深雪の家も、業火に飲み込まれていた。

 家は、もはや原形を留めていなかった。

 深雪は耳が裂けるほどの金切り声をあげた。深雪の耳に最初に飛び込んできた音は、リリィの必死に吠える声と、時生の悲鳴、奈々の泣き叫ぶ声だった。

 時生と奈々は、逃げ遅れていた。


「お父さん、奈々……!」


 大火に飲まれ焼け落ちた家の奥で、亡霊のような黒い人影が揺れ動いた。

 二つの黒い人影は社交ダンスを踊っているかのように互いに体を絡め合い、抱き着き、突き飛ばし、手を繋いでは離し、滅茶苦茶な振り付けで踊り狂っている。

 深雪は息も切れ切れに、崩れかけた家に駆け寄った。まだ助かるかもしれない。いや、必ず助けてみせる。


「お父さん、奈々! 待ってて、今、助けるから!」


 火の海に飛び込もうとした瞬間、背後から翠と由香里の悲鳴が聞こえた。


「お母さん、どうしよう! お父さんが、奈々が死んじゃう!」


 叫びながら翠の胸に飛び込んだ由香里を横に押しやり、黙々と上着を脱ぎ始める翠の姿が視界に映った。


「由香里と深雪は、先にシェルターに行きなさい」


 押し殺した声で翠は呟くと、灼熱の地獄へ飛び込もうとした。

 だが、翠が足を踏み出した瞬間、家は悲鳴を上げながら、時生と奈々を飲み込んで、完全に崩れ落ちた。


「嘘でしょ……お父さん! 奈々!」


 由香里の死に物狂いの叫び声が聞こえた。

 深雪は、棒を飲み込んだように、地面に突っ立っていた。

 ゆるゆると、全身の力が抜けていく。

 ──時生と奈々が、死んだ。


「そんな……こんなの、冗談だよ。ありえないよ」


 深雪の呟きは、周囲の家が倒壊する音に掻き消され、深雪の耳にも届かなかった。

 涙が、糸になって流れた。黒く汚れたアスファルトに、小さな円が次々に描かれていく。


「いやだよ、こんなの、嘘だよ!」


 深雪はうずくまって、地面を激しく叩いた。

 叩いても叩いても、深雪の気は収まらなかった。ぎゅっと拳を握り、血が滲んでも、深雪は地面を叩き続けた。

 ふいに、深雪は激しい目眩を起こした。世界が急激に弧を描き、無意識の渦に飲み込まれていく。

 目覚めたとき、深雪は翠の膝の上に頭を乗せていた。

 翠は瞼を伏せていた。顔からは、完全に生気が失われている。

 何故、翠は、こんなに憔悴した顔をしているのだろう?


「お母さん……どうしたの?」


 翠の瞼が、そっと開かれた。

 曇った瞳が、深雪に何かを訴えかけている。

 悲しそうな翠の瞳を見つめているうちに、深雪は、家が燃え、時生と奈々が焼け死んだ事実を思い出した。

 ばっと飛び起きて、周囲を見渡した。時生と奈々の姿は、やはり、ない。


「ここは、シェルターよ」


 翠が静かに呟いた。どうやら、気を失っている間に連れて来られたらしい。

 深雪の横で由香里が眠っている。涙と鼻水で顔がべとべとになっていた。

 翠がそっと深雪の頭を撫でてくれたようだ。頭に暖かなぬくもりを感じる。

 深雪は、ゆっくりと体を起こした。コンクリートの上に寝ていたせいで、関節が痛い。

 座り込んでいる深雪の胸元に、リリィが飛び込んできた。

 リリィにも、時生と奈々が焼け死んだ事実がわかるようだった。深雪の目を見つめながら、「クゥン」と悲しそうな声で鳴いた。


 リリィの鳴き声を聞いて、家が崩れ落ちたときの様子を思い出した。時生と奈々の悲鳴が聞こえたような気がした。

 あれから、どれほどの時間が経ったのだろう。全くわからなかったし、全く気にならなかった。

 ふいに涙が溢れてきた。溢れて、流れて、止まらない。

 時生と奈々は、もういない。間に合わなかった。逃げることも、助けることも、全て叶わなかった。

 星喰いが、時生と奈々を屠った。

 深雪は自分の中に渦巻く感情を、どう表せばいいのか全くわからなかった。

 胸の中が、偽りの夕焼けと、高熱と悲鳴と轟音に包まれて、自分を見失いそうで怖い。

 ふと気がつくと、深雪はリリィを強く抱きしめていた。リリィは傷が痛むのか、「キャイン」と小さく悲鳴を上げた。

 それでも深雪は、腕の力を緩めることができなかった。

 頭に翠のぬくもりを感じながら、リリィを強く抱きしめ、深雪は大声で泣いた。


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