第121話14-13

ジュリは扉の中から伸びていた枯れ枝の様に細い右腕から垂れ下がっていた、白く穴が所々に空いている皮膚であった。そして痙攣するかのように細かく震えるたびに、垂れ下がった皮膚もまた揺れているのを見て『まるでセミの羽化みたい』と考えていた。

開け放たれたその扉。畳の上に不自然に直立しているだけであり、本来であるならば扉を開ければ部屋内の風景が広がるだけであった。


 しかし実際にジュリが扉の奥を見るとそこは闇。まるでその枯れ枝のような右腕だけが宙から生えているかのような錯覚するほどであった。

さらによくよく見るとその闇は平坦ではなく、まるで波のように微かに波打っているのであった。



「ようやく仕事終了だな」



 ぼそりとため息交じりに独り言をつぶやくと、右手に握った手斧の柄に力を込める。 

そしてその揺れる手の前に正造は立つと、まるで庭木の剪定をするように手斧を振るった。


 コトッ、と湿った畳の上に落ちる細い右腕。数秒ほどその腕は芋虫のようにうねっていたが、すぐに動きを止めた。

そしてその切断面からは、濃い緑色の粘液に近い液体がドロリと流れ落ちる。


「ふぅ」


 正造は次に全開のその扉を思いっきり憎々しげに力を込めて蹴り飛ばす。

辺りには大きな音が響き、扉は衝撃で倒れ込む。


「あ」


 扉をまばたき1つせずに見ていたジュリの口から、小さく声が漏れる。 

いや、倒れ込んだはずであった。だが、その扉は倒れ込んだ瞬間にまるで煙のように消え去ったのだった。同時に鼻腔を刺すような異臭もまたなくなり、後に残るのはただただかび臭さと静けさばかりであった。


「よしよし、とりあえず生きて仕事終わったな。ばあさん、帰ったらビール開けるから」


「はいはい、あんまり飲み過ぎないでくださいねぇ~」


 正造と雪江は互いの手斧とライフルをしまい込むと、そそくさと部屋を出て行こうとする。

扉が一瞬で消えたことに意識を奪われていたジュリは、ふとあることを思い出す。


「あ、あの正造さん、あのさっきファリスに連れて行かれた人たちのことって探さないんですか?」


「ん、まあ。とっくの昔に死んでるだろう。”あんな化け物”に連れて行かれた一般人の男が、機転を利かせて見事に化け物の手から逃れて、彼女を救い、無事にこの場所から脱出できたとでも思うんか?」


「あ、いえ、でも……」


 ジュリは口ごもり、何かを言いたげにする。

そして少しだけ歯切れが悪そうに正造に自身の疑問をぶつける。


「こういう時って、助けられるかもしれない人を助けに行くんじゃないのかなぁって……少しだけ思いました」


「……例外なく、あいつらに攫われた人間は、生きてなかったわ。それにそもそもをいえばこんな人気のない危ない場所にわざわざ来た阿呆どもだぞ?」


 正造は呆れた様な表情を作りながらジュリに語りかける。

その表情は”人助け”の話をしたジュリに向けたものなのか、あるいはこんな廃ホテルまで来た人たちにむけたものなのか、ジュリにはうかがい知れなかった。


「少なくとも、わしは命を懸けてまで助けようとは思わんよ。”扉”を閉めたから化け物も消えちまうが、例外的にまだ潜んでいる可能性もあるしな。だからこそ、依頼の範囲外のことを自分の命の危険を晒してまでやろうとは思わんよ」


 それだけの言葉を吐き出すと、正造は部屋を後にする。

正造に着いていこうとした雪江が、少しだけ立ち止まるとジュリのに優しく視線を合わせる。


「ごめんなさいね~。あの人ったら、あんな言い方しか出来なくて~」


「……はい」


「あの人も昔はああじゃなかったんだけどね~。 ……暑苦しいくらいの熱血漢だったのよ~? 私たちの子供が怪異に巻き込まれて死んじゃってから、ああなっちゃって~。だから、なんとなく思うところがあるんじゃないかしら~」


「えっ……?」


「おい、雪江! 無駄話なんかせずに早く来い!」


 先に廊下へと出ていた正造はすぐ後を着いてこない雪江に向かって声を荒げる。


「あらあら、あんまりこのことを話して欲しくないみたいね、あのおじいさんったら~。はいはい、今行きますよ~」


 それだけ言うと雪江はジュリに向かって軽く手を振ると廊下へと出ていく。

静かになった部屋にはジュリとジョンの兄妹が残される。


「まあ、あの人たちの話は正論だな。とっととこんなところ出よう」


「……正論は分かるわ。でも、こんなすぐにまだ生きているかもしれない人たちを置いて帰っても良いのかしら」


「まあ、一番大事なのは自分の命だ。それに、腹も空いたしな。正造さんの言うとおり、まだ何か居るかもしれないしな。ところで、良いモノもらって羨ましいな、それ」


 ジョンはジュリの手に持つチェーンソーを指さす。

正造から渡された、ジュリの手に持つチェーンソー。その刃は緑色の液体でヌラヌラと濡れていた。


「ええ、私クロスボウよりもこっちの方が合って居るみたい。 ……クロスボウは母さんが使ってたから、私にも合ってると思ってたんだけど」


「まあ、母さんは母さん、お前はお前、だな。とりあえず、早く帰って飯を食べるぞ」


「ええ、そうしましょうか」


 そして正造たちを追うようにジュリとジョンもその部屋を後にするのであった。



――正造、雪江、ジュリ、ジョンが廃ホテルを去ったあと、朽ちた玄関扉が風に吹かれて軋み続けていること以外は、静けさを取り戻したのであった。

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