第0.5話 紅茶が冷めちゃうよ

「へぇ、それじゃあのカフェ再開するんだ?」

「お兄ちゃんが戻ってきたからね。時間が空いたらずっと紅茶ばっか淹れてる」

「でも、しーちゃん紅茶は飲めないでしょう?」

「そーそー、だから全部一人で飲んでるの。あたしには紅茶の違いなんてよくわからないなー。さすがに本人には言えないけど」

「それはお兄さん、怒っちゃうかもね」

「きみちゃんは味の違いわかる?」

「うーん、香りが違うかなぁってくらい」

「香りかー。それなら頑張ればあたしにも区別つくかも」


 夕暮れの通学路を二人の女子高生が談笑しながら歩いている。

 二車線の道路を次々と車が通り過ぎ、ガードレールの伸びた影を踏みつけては砂埃を巻き上げる。

 そんなことはお構いなしに二人の会話は弾んでいる。

 ああ、宵闇が生み出す逢魔が時も裸足で逃げ出してしまう。

 女子高生は無敵である。


「しーちゃんの家って、下はカフェで間に居住スペースがあって、上の階は探偵事務所になってるんでしょう。そっちはカフェが落ち着いてから?」

「ん、どっちも明日オープンするよ? カフェも、事務所も」

「ええっ!? だって探偵のお父さんはまだ行方不明なんでしょ」

「ふふん。探偵ならここにいるわよ、ここに!」

「もしかして、しーちゃんが?」

「ええそうよ! 巷ではじょしこーせい探偵が事件を解決するなんてのが流行ってるじゃない。あたしだって探偵の娘なんだから、どんな難問もパパッと解決よ」

「この街で殺人事件とか起こっちゃうのかな」

「そーゆーのは全部お兄ちゃんに丸投げ。怖いもん」

「警察じゃないんだ……」

「お兄ちゃんは優秀な探偵だから、きっと犯人を突き止めるよ」

「そういうのはお話の中だけで、探偵が推理したりとか普通はしないんじゃないかなぁ」

「え、そーなの?」

「うん」


 にぎやかな通りを曲がって商店街へと続く細道に入る。

 そこからすぐに右へ曲がり、路地裏に入って少し進んだところに件のカフェが見えてくる。

 ほとんど人通りのない場所にあり、大通りからも見えないような位置で休業しているかどうかすら誰も気にしていない。

 街灯に照らされた道を進むと、そのカフェは店頭から明かりが漏れていた。


「やっほー、たっだいまー」

 店のドアを開けるとレトロな鐘の音が鳴り響く。

 奥では青年が荷物を抱えて忙しなく作業している。

「ん、その声はしぃか。お帰り――おや、友達も一緒だな」

 一段落して二人に向か直るのはすらりと背が高く、少し赤みがかった黒の短髪、それとは対照的な白い肌、腕まくりしているシャツから見える腕は筋骨隆々で絵に描いたような好青年だった。

「はじめまして、『きみか』と申します。いつもお世話に――うわ、ホントだ。すごい紅茶の香り……さすが紅茶のお兄さん」

「紅茶のお兄さん?」

「はっ!? ご、ごめんなさいっ」

 顔を真っ赤にして謝る。

 本人はいたって普通に聞き返しただけだが、体格が良く身長差もあり、少し目を細めただけで凄んでいるように見えてしまうために、このくらいの年頃の女の子からすると怖がられるのも無理はない。

「ハル兄は紅茶バカだって話してたの」

 空いている椅子にカバンを置き、ニヤつきながら少女が言う。

「いやまあ、否定はしないけど。今日も昼間は紅茶淹れてて、いつの間にかこんな時間になってたから慌てて片付けを始めたくらいだし」

「ねっ、きみちゃん、言ったとおりでしょ」

「あはは……」

 初対面の相手に対して失礼なことをしてしまったと気に病んでおり、彼女は作り笑いを浮かべることしか出来なかった。

 長い黒髪に整った顔立ちで、物腰も柔らかく所作や言動からも気品の良さが伺える。

 それ故に気心知れた友人と居ると、思ったことをすぐ口にしてしまう癖を彼女は自分でも恥じている。

「そうだ、どうせなら一杯淹れようか? ちょっと時間がかかるけど」

「いえそんな。明日の準備でお忙しいでしょうし、落ち着いた頃にお邪魔させていただきますね」

「そっか。また今度飲みに来てね」

 そう言ったものの、少しだけ残念そうな表情を浮かべていた。内心、自慢の紅茶を飲ませたかったのかもしれない。

「じゃあねー、きみちゃん。またあしたー」

「うん、また明日ね。しーちゃん」

 一礼して彼女は店を後にする。


「もーおなかペコペコ。ハル兄、何か食べるものない?」

「今から夕食作るから、ちょっと待っ――」

「こんばんは~」

 息をつく暇もなく、次なる来訪者がやってくる。


「花さん!」

 空腹を耐えながらも、彼がその女性を呼ぶ声が少し上ずっていたのを少女は見逃さなかった。

「うーっ」

 本人は獰猛な狼にでもなったつもりで唸り声を上げて威嚇している、つもりだがはたから見ると小型犬が構ってほしそうな声を出しているようにしか映らない。

 やってきたのは菓子屋『風月』の看板娘、村雲花むらくも はなである。

「ごめんなさいね~、夜分遅くに。お店に置いてもらおうと新作メニューを作ってたんだけど、気がついたらこんな時間になっちゃって~」

 とてもおっとりとした性格で、喋り方もゆっくりしている。

 くせっ毛のある茶髪にいつもニコニコ笑顔で、彼女目当てに店を訪れる客も少なくない。

 そして服の上からでもわかる魅力的な体型。

 言動や見た目も相まって、彼女はマシュマロで出来ているともっぱらの噂だ。

「じゃ~ん、パウンドケーキでーす」

 銀のトレイに被せてあった布を取り外す。

 ふんわりとラップに包まれた二種類のパウンドケーキからは美味しそうな匂いが漂ってくる。

「わーい花さん大好きー!」

「あらあら~」

 子犬のように彼女へと飛びつく。

 先程までの怪訝な顔から一変、食べ物の力は偉大である。

「そうだ花さん、紅茶を淹れますからぜひ飲んでいってください!」

 トレイを両手で掴み、花と見つめ合う。それはもはや威圧にすら見える。

「え、ええ~。喜んで~」

「よしっ! ちょっと待っていてください!」

 すばやく店の奥へと向かい、紅茶を入れる準備を行う。

「……お兄ちゃん、さっき紅茶を淹れようとして断られたんです。だから今度は逃すまいと」

「あら、そうなのね~。じゃあワタシはケーキを切り分けようかしら~」

 そう言って花は持ってきたケーキ用のナイフで食べやすい大きさに切り分ける。

「しぃちゃん、お皿とフォークはあるかしら~?」

「はーい」

 しぃ、と呼ばれている少女は棚から皿とフォークを持ち出す。


 二種類のパウンドケーキと紅茶がテーブルに並べられる。

 ティーカップから立ち上る湯気が紅茶の赤を引き立たせる。

 しかし少女の前にはパウンドケーキ一つだけが置かれていた。

「ごめんなさいね~、こっちは紅茶が入ってるの~。作り終えてからしぃちゃんが紅茶がダメだったことに気づいちゃって。でも~、もう一つ作ってる時間もなくって~」

「こっちの方はプレーンですよね? 余計なものは、何も入ってない」

 花の言葉を最後まで聞いていると時間がかかってしまうため、会話をするときは少し食い気味に話し始める方が良い。

 それが花と会話して二人が学んだことだ。

「ええ、そうよ~。こっちはしぃちゃんでも食べられると思うわ~」

「良かった。一応確認しておかないと」

「ねーハル兄。あたしの飲み物はー?」

「おっと。そうそう、お前にはこれをやろう」

 そう言って少女の前に置かれたのはグリーンティーのような鮮やかな緑色の飲み物だった。

 丸い穴の空いた氷が喫茶店らしさを増す。

「……なに、これ」

「明日葉茶だ。探すのに結構苦労したんだぞ」

「あら~、良いお名前ね~」

「ここはカフェ『アシタバ』だから、それにふさわしい名物ドリンクとしてぴったりだろう。お前みたいに紅茶が飲めないコーヒーもダメっていう客に向けって人が説明してるのにいきなり飲むなっ!」

 彼の口上などお構いなしに少女は明日葉茶に口をつける。

 二、三口ほど飲んでグラスをテーブルに置き、一言。

「美味しくも不味くもない、ふつー。至って普通」

「そりゃどっちかっていうと健康志向のお茶だからな。良いんだよ、普通で」

「……流行るかなぁ」

「いけるいける。タピオカの次は明日葉茶ブームくるって」

 彼は紅茶以外に関しては案外いい加減なところがある。

「ところで、この紅茶は何かしら~。良い香りね」

「よくぞ聞いてくれました! これはダージリンです。紅茶では王道の中でも王道、誰しも一度は名前を耳にしたことはあるでしょう。さわやかな香りに甘い口どけ、ストレートティーで飲むのが最も美味しいとされていますが実は茶葉にも旬というものがあって、これは春先の一番摘みの茶葉で柔らかく――」

「ハル兄、ハル兄」

 少女が袖を引っ張りながら声を掛ける。

「紅茶が冷めちゃうよ」

 少女の冷静なツッコミで我に返る。

「はっ、それもそうか。すいません花さん、お待たせしてしまって。じゃあ、ケーキもいただきますね」

「お口に合うと良いのだけれど~」

 二人がケーキを一口食べる。

 一瞬の沈黙の後、歓喜の声が店内に響き渡る。

「美味い! めちゃくちゃ美味いよこれっ!」

「え、良いんですか!? こんなに美味しいなら、自分のお店に並べた方が良いんじゃあ……」

「ウチはまだまだ和菓子メインだから、洋菓子を置くスペースが無いのよね~。これはワタシの趣味みたいなものだから、気にしなくても大丈夫よ~。あ、このケーキは『風月』が作ってますってお店の宣伝してくれたらそれで良いわ~」

 ゆっくりと話す彼女をよそに、二人がヒソヒソと声を潜めて会話する。

「多分、花さんが作ってるって宣伝したらすぐに売り切れそう……」

「確かに」

「?」


(続く)

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