第0.6話 はじまりのはじまり

「そうだ~、なんでも屋さんを始めるんでしたっけ~」

「何でも屋じゃなくて、探偵!」

「探偵って割と何でもやるけどね……」

「ワタシも何か依頼しようかしら~」

「花さんの頼みでしたら喜んで。何なら一番にでも――」

「あっ、ちょ、だっだめっ!」

 慌てて少女が制止する。

「えーっと、ネットの方にも宣伝広告を出してて、そっちの方からも依頼のメールとかが来てるかもしれないしっ!」

「あら~、それは残念。ワタシはいつでも良いから、落ち着いた頃に話を聞いてもらえればそれでいいわ~」

「わかりました。他の依頼全てすぐに解決して迅速に対応しますんで」

「いけない、もうこんな時間。ごちそうさまでした。紅茶、とても美味しかったわ~。ワタシはそろそろお暇するわね~」

「いえいえこちらこそありがとうございました。お皿とナイフ、また今度返しますね」

「今度はタルトが食べたいなー」

「こら」

「うふふ、良いわよ~。次はタルトね、覚えておくわ~」

 紅茶を飲み干し、お礼を言って花は帰っていった。

 もうすっかり日は暮れ、夜になっていた。

「……夕食は軽くでいいな」

「うん」


「そういえばさっきの話だけど」

「え、なんの話?」

「いや、ネットに広告出したって話。どれくらい効果あったんだ? わんさか依頼が来てたりするのか」

 夕食の片付けをしながら少女に問いただす。

 食器を持った少女がぴたりと止まり、うつむいたまま沈黙が続く。

「――けど」

「うん?」

「全然来てない、けど」

 一切彼に視線を合わせることなく、小さな声で少女が呟く。

「ええっ!? じゃあさっきのたくさん依頼が来てるっいいう思わせぶりな言い方はなんだったんだよ!」

 少女の両肩を掴み詰め寄る。

 目を背けていた少女も諦めたのか、彼の方をちらりと見て、頬を膨らませる。

「だ、だってハル兄、花さんに色目使ってたじゃん! デレデレと鼻の下伸ばしちゃってさ!」

 少女の唐突な言葉に、彼は言葉をつまらせる。

「っ!? はっ、はぁ? 何を言い出すかと思えば」

「それどころかきみちゃんまでゆーわくしようとしてたじゃん」

「きみちゃんって、お前の同級生か……? いやいや、流石に女子高生に手を出そうと思うほどロリコンじゃねえよ」

「――えっ?」

 ガシャン、と。

 少女の手から皿が落ちる。

 稲妻にでも撃たれたかのようにピタリと停止して、その腕は力なくうなだれる。

「おいっ、どうした大丈夫かっ!? 危ないから動くなよっ。今片付けるから」

 ちょうど片付けに使っていた箒とちりとりがあったので、それを持ち出して割れた欠片を回収する。

 少女はわなわなと震えている。

「そんな、そんな……」

「どうした? 怪我でもしたのか?」

「世の中の男性はみんな女子高生が好きなはずじゃないの!?」

 少女の心からの叫びであった。

「……お前は、俺にどうしてほしいんだよ」

 困惑した表情で彼が呟く。

「えっ? い、いや、あのそのっ」

 言葉が見つからず、慌てふためく少女。

 そこへ。

 キィとドアの開く音がして、微かに風が吹き込む。

 黒い影がさっと横切った。


「――あっ、黒猫さん!」

 助かったとばかりに少女が影に駆け寄る。

「あっ、おい足元に気をつけろよ」

 ドタバタと足音が響き渡る。

 特に逃げる様子もなく、それどころか懐いている様子で黒猫も少女に向かって駆け寄る。

 近所をうろつく猫で、首輪もなく飼い猫という感じでもないが、人懐っこく店の周辺を縄張りとしている。

「最近は毎日来るねー。もうウチに住み着いちゃってる感じー? 飼っちゃう? ねえ、飼っちゃう!?」

 目を輝かせながら少女が訴えかける。

 それに対して彼は苦虫を噛んだような露骨に嫌な顔をする。

「あっれー、もしかしてハル兄、嫉妬してる?」

「馬鹿言うな」

「じゃあ、動物嫌いだったっけ? そんな記憶ないけど」

「そうじゃない。単にそいつ自体が苦手なだけだ」

「なぁに? お店のものにイタズラでもされたの? だいじょーぶ、あたしが言い聞かせるから」

 猫を抱え上げ、ドヤ顔で青年を見つめる。

「……どうせ勝手にどっか行って好きな時に戻ってくるだろ。好きにしろ」

「わーいやったー! お風呂入る? 洗ってあげようか?」

「ぶっ!」

 少女の言葉に思わず吹き出す。

「えっ何? ハル兄まさかいやらしい想像でもしちゃったの? さっきあれだけ『流石に女子高生に手を出そうと思うほどロリコンじゃねえよ』って言い張ってたくせに~」

 言葉とは裏腹に、なんだか嬉しそうだ。

「ち、違っ! ……何でもない」

 そう言って黒猫の方をちらりと見る――というよりはむしろ睨むように目を細めると、その猫はするりと少女の腕から抜け出し、ひと鳴きして再びドアから出ていった。

「あーあ、行っちゃった。ハル兄が怖い顔するから」

「どうせ明日また来るだろ。それよりさっさと風呂入れ」

「それは覗くっていうこと?」

「何でだよ」

「だって世の中の男性はみんなお風呂を覗きたいんじゃ」

「さっさと入れ」

 少女の言葉は冷静なツッコミによって遮られた。


「あれ? ハル兄まだ寝ないの?」

 風呂上がり、髪をとかしながらやってきた少女が見たのは相変わらず荷物を整理している彼の姿だった。

「まだまだ片付けが終わってないからな。今夜は夜通し作業になるかもな」

「今夜は寝かさないぜ!」

「お前が言うのかよ」

「じゃああたしも手伝おうか?」

「明日学校だろ」

「学校なんて休めばいいじゃん」

「それじゃ俺が戻ってきた意味がないだろう。親父さんが突然居なくなって、お前がまた引きこもりにならないようにってことで戻ってきたんだから。学校に行かないのは駄目だ」

「ちぇーっ」

 むくれて残念がっているが、そう言われることは予想がついていた。

 どうせ手伝うと言っても反対されるであろうことを見越してのパジャマ姿だった。

「いいからさっさと寝ろ。せっかく引きこもりから復帰してるのに台無しだ」

「はいはーい」

 聞き分けよく部屋を後にしようと歩き出した少女だったが、途中で思い出したかのように立ち止まる。

「このままあたしを無事に眠らせたいのなら、ホットミルクを用意しろ!」

「……はぁ?」

「えー、昔はよく作ってくれたじゃーん」

「まったく、しょうがない妹だな……」

 言葉とは裏腹に、彼の口元は緩んでいた。

「兄は妹を全力で甘やかせるものなのだ!」

「はいはい」


「少し冷ましたけど、それでも熱いからやけどするなよ。さっさと飲んで寝ろよな」

「んー、懐かしい味~。これはもうおかわり自由だね」

「いや、寝ろよ」

 ちびりちびりとカップからミルクを飲み干し、幸せそうに一息つく。

「いよいよなんだね~」

「ん?」

「はじまりのはじまり」

「……ああ」

 少女の言葉にゆっくりと、大きく頷く。

「ふう。それじゃ寝ようかな。ハル兄、おやすみなさ-い」

「おやすみ」


 ――やわらかな夜は更けていく。

 二人は待ち焦がれている明日へ向かう。

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