第9話 自分がやらねば!

強風でガタガタと揺れる窓ガラス、容赦なく叩きつけるような強い雨。

いかだ競争まであと5日と迫った日に、この町の沖合を爆弾低気圧が通過していた。その影響で、前日から強い雨と風が断続的に続いていた。

けたたましいサイレンが鳴り、漁師たちがロープで船を波止場に固定している。

そんな中、上下真っ黒のレインスーツを着た、隣家に住む漁師の小次郎が、慌てふためいた様子で絢子の家に入ってきた。


「この暴風雨の中、まだ漁から戻らず行方不明になったのがいるんだ!みんなで捜索に行きたいんだが、栄一はいるかい?」


叔母の藤江が玄関に出てきて、目を閉じて首を横に振って答えた。


「ごめんね小次郎。さっき、別な仲間から電話があって、急いで出て行ったんだよ。」


「そうか・・困ったなあ。若い漁師なんだけど、今朝出て行ったまま帰ってこないらしい。大体、今日は低気圧が来ていて荒れるって、さんざん天気予報が言ってたのに・・何聞いてたんだあいつらは!」


「若い漁師?経験の浅い子達が、親方の忠告を無視して勝手に出て行ったのかね?」

藤江は、呆れ顔で小次郎に尋ねた。


「全く、自分勝手な漁師が増えて困っちまうよな。」

小次郎は、小さくうなずきながら、どうしたらいいのか困った表情でつぶやいた。


二人のやり取りを二階から聞いていた絢子は、「若い漁師」という言葉が引っ掛かり、まさか・・あいつらか?という疑問もあり、慌てて階段を下りて、二人の間に割って入ってきた。


「あれ?絢ちゃん。どうしたの、いきなり?」

いつの間にやら傍に立っていた絢子を見つけ、藤江は驚いた。


「叔母さん、小次郎さん・・・その若い漁師って、どんな人なの?」


「う~ん・・俺は漁の仲間からのまた聞きだから良く分かんねえけど、池沢さんところの船の漁師みたいだな。」


「・・い、池沢?」


「本町通りの一番奥に、池沢商店っちゅう魚問屋があって、そこの船だよ。」


「わかった!行ってくる!」

絢子はサンダルを履くと、傘を持って駆け足で雨の降りしきる通りへと走り去っていった。


「絢ちゃん!ちょっと絢ちゃん!こんな嵐の中、どこに行く気なんだい!」


藤江は、大きな声で絢子を呼び止めようとしたが、すでに視界の中に、絢子の姿はどこにも無かった。


「はあ・・・今度は一体何なんだい。あの子の考えは全く理解できないよ。」

小次郎に抱き留められながら、藤江は大きなため息をついた。



横殴りの強い雨が降り続く本町通りを、絢子は全速力で駆け抜けた。

強い風で何度も傘を取られそうになったが、全身をかがめながらこらえ続け、本町通りが途切れる手前で、ようやく「池沢商店」の看板を発見した。

夜も遅い時間帯ではあったが、店内は明かりが点いており、中には漁師や社員、それに消防団や警察官の姿もあった。

絢子が店のドアを開けると、消防団の法被を着た男が、大声で号令を響かせた。


「全員、良く聞け!いいか、手分けして、なるだけ沖に出ずに、この入り江の周辺だけを船で捜索してほしいんだ。ただ、海はかなり荒れてるから、決して無理はするな!」


話が終わると、男たちは雨具に身を包み、グループに分かれて懐中電灯を片手に続々と店外へと出て行った。


「あれ・・もう、行っちゃうんだ?」

絢子は唖然とした表情で、男たちの背中を見送ったが、そこへ、先程大声で号令を下した法被姿の男が、カツカツと靴の音を響かせ、絢子に近づいてきた。


「お姉さん、何か用があるのか?」


「いや・・今、みんなが捜索している若い漁師って誰だろうって思って。知ってる人かもしれないし・・・。」


「名前は、谷村勝と、矢口慎太郎。ともに28歳。池沢商店の専属船である「音羽丸」の漁師だよ。」


「ま・・勝、慎太郎!?」


「知り合いかい?」


「まあ・・今度、一緒にいかだ競争に出るんです。」


「これだけみんなに迷惑かけて、いかだ競争に出るのか?いい根性してるな。」


「いや、確かにこんな暴風雨の中漁に行くのは、バカとしか言いようがないです。けど・・。」


「けど?」


「あの人達、「海の声」を聞くことが出来る。だから、海がご機嫌か、そうでないかぐらいは、分かるはずなんです。」


法被の男は大笑いしながら、絢子の話を聞いていた。


「な、何ですか?一端の漁師になれば、「海の声」が聞こえるようになるって言われたんですけど。」

絢子は慌てふためきながら、問い詰めた。


「ああ、そうみたいだな。まあ俺は漁師じゃないし、この町の消防団長だから詳しくは知らんが、彼らはみんなそう言うんだよな。だけど、そう言いながらも、こんな天気で漁に行くやつが後を絶たないのが、俺には不思議でならないね。」


「・・・。」


「あんたもその二人を探す気なんだろうけど、悪いことは言わねえから、帰りな。ここは消防団や漁師仲間、それに警察の出番だ。さ、早く!」


「だ、だって、私の大事な仲間なんだよ!いかだ競争も、あの人たちがいないととてもじゃないけど勝てないよ!お願い、私にできることは何でもするから!」


「いい加減にしな、あんたの命も危険にさらすことになる。悪いけど今日は帰ってくれ!」

消防団長は、食い下がる絢子の肩を掴むと、力任せに店の外へと押し出した。


「勝と慎太郎・・私の大事な仲間なのに・・何も・・できないなんて!」

地面を叩きつける雨の中、絢子は傘もささずに、立ちすくんだ。


やがて、目の前に黒のワンボックスカーが現れた。

栄一が車から飛び降り、絢子の元へ駆け寄った。


「絢子さん!やっぱりここにいたんだ。今日は帰りましょう!ここは絢子さんじゃ危険っスから!」


「嫌だ!これから二人を助けに行きたい!ねえ栄一!あんたの友達に船乗りいるんでしょ?船を出すよう今すぐ連絡取って!早く!」


「だめですって!というか、この町の船という船はみんな、遭難者の救出に行ってて、残ってる船は故障中のものだけっスから。」


「何だって・・。」

絢子は後部座席で、大きくうなだれた。

そして、何もできない苛立ちから、涙が止まらなかった。


そんな時、栄一の携帯の着信音が、車内にけたたましく鳴り響いた。


「何っスか、大雨で帰りを急いでるところなのに。」

栄一はしぶしぶ車を路側帯に止め、通話を始めた。


しばらく話すうちに、顔が青ざめて行くのが、絢子からも見て取れた。

通話が終わると、しばらく静寂が続いた。

その後栄一は、絢子の方を振り向き、まっすぐ絢子の目を見つめながら語り始めた。


「絢子さん、仲間の船乗りから連絡がありました。遭難したのは、やっぱり勝と慎太郎みたいッスね・」


「そ・・そうなんだ。」

絢子はガクッと肩を落とした。


「でも、何とか救出されたみたいで、大事には至らなかったようです。」


「そ、そうだったんだ!」

絢子は、まさかというような表情であったが、とりあえず無事だったことを知り、ホッと胸をなでおろした。


「ただ、波が荒かったので、何度も船体に体を叩きつけられ、ケガしてるみたいッス。」


「・・・・え?」

絢子は、せっかく緩んだ表情が再び凍り付き、無言のまま、自宅にたどり着いた。


「雨、止んできましたねえ・・しかし、遭難した二人って、いかだ競争のチームメイトの勝と慎太郎っていうじゃないスか。何考えてんだ、こんな天気の中漁に行くなんて、ましてや競争本番はあと4日しかないのに。」


「栄一・・今回のいかだ競争だけどさ、最悪のケース、私とあんたの2人でやることになる、かもよ。」


「うう・・そ、そうっスよね。でも、メンバーが少ないからって理由で、棄権することはできないんスか?」


「棄権!?ぜったいダメ!あいつらに一泡吹かせることができなくなるじゃない!たとえ2人でも、出なくちゃだめだよ。」


「・・お、俺、もう若くないし、勝や慎太郎のような体力も技術もないから。正直、俺にあの二人と同じ役割を期待されても困りますよ。」


「でも、こうなった以上、やるしかないでしょ?逃げるという選択肢は私の中には無いからね!これまでのトレーニングの成果、見せてやろうじゃない!」


「たったあれだけのトレーニングじゃ。ねえ・・。」

栄一は、追い込まれた状況にあってもやる気十分の絢子の姿を見て、逆に不安に苛まされた。



翌日、すっかり嵐は去り、真っ青な空が一面に広がった。

そよ吹く海風に吹かれながら、絢子は朝一番で町の診療所へ向かった。


「あ・・絢ネエ、来てくれたんだ!ありがとうございます。」


「大丈夫?ふたりとも・・ひどいケガだね。」


「まあ、そうですね・・・。」

慎太郎は照れ笑いをした。勝に比べると慎太郎のケガの状態は酷く、頭や胴体、脚に至るまで包帯で巻かれていた。


「船が波にさらわれそうになって、体ごと船底に叩きつけられて、その時、腕と脚を骨折したみたいです。」

勝は、包帯でしっかりと固定された腕と脚を見せてくれた。


「そうなんだ・・さすがに間に合わないよね、いかだ競争には。」

絢子は、がっくりと肩を落とした。


「医者はダメだって言うけど、俺たちは出たい気持ちでいっぱいですよ。旦那を亡くしたママの無念を晴らしたいですから。」

勝は、親指を上げてニヤリと笑みを見せた。


「包帯巻いてるのは左腕と両脚だから、右腕は空いてます。だから、右腕だけでもなんとか動かせると思いますよ。」


「あ、あんたたち・・すごいよ。」

絢子は、二人の見せてくれた不屈の闘志に涙が出そうになった。


「ところでさ、何で・・何で、こんな嵐だったのに、漁になんて出たのよ?あんた達、「海の声」が聴こえるんでしょ?海が不機嫌だって、分からなかったの?」


「いや、分かってはいたんです。でも・・。」


「でも?」


「親方が、今月は稼ぎが少ないから、多少荒れる位なら、漁に出ろってハッパかけてきたんですよ。それに俺たち、いかだの準備ばっかりやって、あまり漁に出てないことが親方には不満みたいで、こないだもこっぴどく怒られたんですよ。」


「・・そ、そうなんだ。だから、「海の声」に背いて、漁に出たんだ・・。」


絢子は、自分がかつて勤めていた会社で、会社の方針である東北の工場統合を思い留まって上司に不満を持たれ、担当者交代と昇進保留という屈辱を味わった時のことを思い出した。

彼らの気持ちが、その時の自分と同じだと思うと、胸が張り裂けになった。

そして、いつのまにやら拳を握りしめ、涙が流れ出ていた。


「あ、絢ネエ、どうしたんですか急に?」

慎太郎は、突然絢子の目が潤んでいるのをみて、驚いた。


「な、何でもないよ!それより、無理はしないで。今は早く良くなるよう、ゆっくり治療してよね。それじゃね。」

絢子は、足早に病室を去った。

頬を伝う涙をこらえながら、診療所の暗い廊下を走りぬいた。


外に出ると、先日とはうって変わって、海は鏡のように穏やかだった。

「海の声」が聞きたい・・けど、どうやったら聞けるんだろう?

絢子は、必死に耳を澄まそうとしたが、聞こえてくるのは、埠頭にぶつかるさざ波のささやくような音だけであった。

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