第6話 リターンマッチ

夏を思わせるまぶしい日差しが朝から照り付ける窓際で、絢子は相も変わらずたばこをふかし、ぼーっと物思いに耽っていた。

何も考えないこと、何もしない時間が、絢子にとって何よりの至福の時間である。

吸い続けるうちにたばこが短くなり、次のたばこを・・と、箱の中をまさぐってみたが、もう1本もない。

他にも何箱か買ってあるはず、そう思って部屋に戻ったものの、1箱も無い。

これ以上吸いたければ、買いに行くしかない。

今はこの田舎町でもたばこの自動販売機が撤去されてしまったので、一軒だけあるたばこ屋に行って買ってくるしかない。

絢子は、サンダルを履いて、ポケットに手を突っ込み、ジャージの裾を引きずりながらぶらぶらと歩き、町の中央にあるたばこ屋「伊勢屋」に向かった。

かき乱した茶色くボサボサの長い髪、後ろから見ると浮浪者のようないでたちである。


たばこ屋に入ると、店主のキン子おばさんが、すらりとした長身の、ショートカットの女性と話をしている。

女性は旅行者のようで、コーヒー牛乳を片手に、キン子おばさんのアドバイスを受けながらこの町の名産品であるかまぼこを選んでいる様子であった。

すると、キン子おばさんが絢子に気づいたようで、そそくさとカウンターから絢子の元へ近寄った。


「あ、絢ちゃん!いらっしゃい。またたばこ、切らしたのかい?最近は切らすの早いねえ。吸いすぎは体によくないよ。」


「大丈夫よ、私に余計な心配しなくていいからね。あ、いつもの、セブンスターちょうだい。」


「あいよ。いつものセブンスター、1カートンだね。」


そういうと、キン子おばさんは、たばこの入ったキャビネットに戻り、セブンスターを探し始めた。

その時、さっきまでキン子おばさんと話をしていた女性が、知らぬうちに絢子の手前の所に立っていた。


「弓野・・さん?」


「あ・・あんた・・美玲?」


「そうですよ。西村美玲です。」


女性は、昨日、漁港でモデルの多田麻里奈の撮影に立ち会っていた西村だった。


「こんなところでお会いできるなんて、奇遇ですね。」


「ま、まあ・・ね・。あんたたちは、撮影?多田麻里奈、うちの専属モデルだもんね。」


「お見込みのとおりです。今日帰るんで、ここでお土産も買おうかと思ってた所。

今日は暑いからって、おばさんのご好意でコーヒー牛乳いただいたんですよ。」


キン子おばさんの話題が出たのを見計らったかのように、おばさんはそそくさとセブンスターが入った箱を抱え、近寄ってきた。


「おや、姉さん、絢ちゃんの知り合いかい?」


「はい。弓野さん、昔は私と同じ会社『微笑堂』で働いていたんですよ。」


「そ、そうだったんかい?え、絢ちゃん、微笑堂にいたんかい?」


「うん・・・もう、2年前に辞めたけどね。」


「もったいない!微笑堂って田舎モンのあたしだって知ってる大きな会社だよ?そこを辞めて、なんでこんな田舎に来たんだい?」


「そ、そんなの私の勝手でしょ?あまり人の過去を探らないでよ!」

絢子はたばこを受け取ると、そそくさと店を出ようとした。


「弓野さん、今はこの町で何をやっているんですか?新しいお仕事とか?」

美玲は、店を出ようとする絢子に向かって、訝し気な顔で問いかけてきた。


「・・・仕事なんて、していないよ。親戚の家で、ボケーっと過ごしてるだけ。」


「そうなんですか。」


「こんな自分、あんたには見せたくなかった。というか、昔のことは綺麗さっぱり忘れたかった。だから・・帰るね。」

そういうと再び絢子は店から立ち去ろうとしたが、その時、美玲はくすっと笑いながら、つぶやいた。


「何というか・・弓野さんらしいですね。」


「え?」


「なんというか、困難から逃げて、生きているな、と。」


「私が?」


「私と一緒に総務に居た時もそうでした。覚えてますか?工場整理の仕事を一緒にやった時のこと。」


「ま、まあね。それが何か?」


絢子は、一番思い出したくないことを言われ、苦虫を潰した気持ちになった。


「弓野さんは、上司からの命令である東北の工場整理の話、いつまでもまとめられず、担当から外されてしまった。で、担当外である私が、その後始末をしたんですよ。」


「ああ・・そうだったね。」


「そして、盛岡に転勤した後も、盛岡での仕事を半端にしたまま休みはじめて、営業所長に迷惑かけて。あの時、所長は本社の総務にも相談に来てたんですよ。」


「・・・・。」


「その後、弓野さんが退職したと聞いて、私の同僚はみんな、弓野さん、どうしちゃったんだろう?って心配していましたが、私は、ああ、やっぱりなあ・・と思ってたんですよね。」


「やっぱり・・?」


「だって・・逃げてばっかりなんですから。周りの人達に責任を押し付けて。」


絢子はキン子おばさんの手前、美玲の言葉を聞きながらしばらく怒りをこらえていたが、もはやこれ以上の我慢できなかった。


「あんた、私にケンカ売ってんの?ええ?私より年下の癖に、ちょっと手柄を立てたからって、ずいぶん上から目線じゃないの?いい加減にしろよ!」


「絢ちゃん、やめな!どんなに腹が立ってもケンカだけはしちゃいけないよ!」


キン子おばさんがカウンターから飛び出し、絢子の体をグッと抱きしめ、押さえつけようとした。


「ちょっと、おばさん、どいて!どいてよ!こういう生意気なことをいう奴には、一発殴らないと私の気が済まないんだよ!」


「気持ちはわかるけど、大人げないよ!やめな!」


それを横目で見て、くすっと笑いながら、美玲は店を出て行った。


「おばさん、コーヒー牛乳ご馳走様。冷たくて美味しかったですよ。それじゃ。」


「美味しかったですよ、じゃねえよ!私には逃げてばかりとか言いながら、あんたは私から逃げてんじゃねえかよ!」


ボサボサの髪の毛が顔中にかかり、その隙間から大きく目を見開き、金切り声でとなりちらす絢子は、近寄りがたい、獣のような雰囲気であった。

キン子おばさんは全身で絢子を押さえつけたが、とうとう力尽きて、絢子から手が離れて、へたり込んでしまった。


「こら、待て!美玲!逃がさないからね!」


絢子は、キン子おばさんの手が離れたと同時に、美玲を追いかけ始めた。本町通りを全速力で走り、漁港へと出た時、多田麻里奈と撮影スタッフ、そして美玲が談笑しながらワゴンに乗り込み、そのままエンジンをかけて走りだした。


「ちょっと、そこのワゴン、待てよ!逃げてんじゃねえよ!この野郎!」


真夏の昼間の、まぶしいくらいに白いアスファルトの道を、ワゴンは猛スピードで飛ばし、遥か遠くへと去っていった。

絢子は、道の上に突っ伏し、地面を何度もたたきながら、うなだれたまま泣き出した。


「ちくしょう!あの女のせいで、私はこれからもずっと嫌な思いをしながら生きて行かなくちゃいけないのかよ・・」


容赦なく照り付ける太陽の光を浴び、絢子の背中は強烈で焼けるような感じがした。

しかし、悔しくて、けど、どうしていいか分からなくて、絢子はただ泣き続けるしかできなかった。



その晩、絢子は気持ちを紛らせたくて、行きつけのお好み焼き屋「えびす亭」に向かった。

絢子が店内に入った時、すでに勝と慎太郎が大ジョッキを傾け、大声で笑いながら色々と語り合っていた。

そんな中、どんよりとした顔でとぼとぼと登場した絢子の姿を見て、勝は驚いた。


「あれ?絢ネエじゃあないですか!どうしたんですか、すごく顔色悪いっすよ。」


慎太郎も、絢子の異変に気が付いたようで、ジロジロと絢子の顔を覗きこんだ。


「本当だ!いつもの威勢のいい絢ネエじゃあないや。どうしたんですか?失恋でもしたんですか?」


絢子は無言のまま、見当違いなことを聞いてきた慎太郎の横面を思い切り平手打ちした。


「ご、ごめんなさい。一応聞いてみただけです・・・なんだ今日の絢ネエ、いつもより怖いなあ。」


絢子は、マスターに、小声で「いつものやつね。」とだけ告げた。


「そういえば、絢ネエ、昨日、この店に、多田麻里奈が来たんですよ!化粧品会社の人達と。握手もしてもらって、写真も一緒に撮って昨日は天国にいるみたいだったなあ。」


「・・・!き、来たんだ。ここに。」


「で、俺たち、来月ここで行われるいかだ競争の話をしたんですよ。麻里奈ちゃんにもぜひ出て下さい!って。」


「そ、それは唐突すぎない?大体、あの人達はこの町の人間じゃないし、忙しいから簡単にこっちに来る時間なんか取れないわよ。」


「いやいや、年々チームが減ってるし、麻里奈ちゃんが出るんであれば、逆に盛り上がるなあ・・って思ってね。」


「そして、麻里奈ちゃん、出場を前向きに考えますって言ってくれたんですよ!もう嬉しくって嬉しくって。麻里奈ちゃんが出れば、麻里奈ちゃん目当てのお客さんがたくさんこの町に来るでしょうし、参加チームも増えるだろうし・・やったあ~って感じですよ。」


「・・・・マジ?」


絢子は、それを聞いて急に黙り込んだ。そして、しばらく考え込んだ後、勝に問いかけた。


「それってさ、多田麻里奈だけが出るわけじゃないんでしょ?」


「そういえば、麻里奈ちゃん、隣に座ってるスーツ着た女の人に「いいでしょ?」って聞いてヒソヒソ相談してから、前向きに考えますって答えてた気がするなあ。だから、1人だけで出るわけじゃないんでしょうね。」


「そうか・・。」


「絢ネエ、どうしたんですか?急に神妙な顔つきになって。せっかく麻里奈ちゃんがイカダ競争に出てくれるって言うのに。」


すると絢子は、マスターから出されたジョッキを一気に飲み干し、テーブルに叩きつけると、何かを思いついたのか、急に立ち上がった。


「勝!それに慎太郎!」


「は、はい。どうしたんですか急に?」


「私、あんた達といかだ競争、出るからね。」


絢子は大声で、勝と慎太郎を指さしながら、宣言した。


「あ、絢ネエ・・・!その言葉を、待ってました!」


「絢ネエも、麻里奈ちゃんに会いたいですもんね。」


「バ~カ!違うよ。」


絢子は唇を前に突き出し、二人を睨みつけながら語りだした。


「あのバカ女に、ひと泡ふかしてやりたいんだ。そして・・私が逃げない女だっていうことを、証明したいんだ。」


「・・?あの女?麻里奈ちゃんのこと?」


「違うわ、バ~カ!とにかく、明日から早速いかだの作り方教えてよ!それから、練習もしっかりやるわよ!何が何でも勝つんだから!」


絢子の突然の強い意思表示に周りは驚きながらも、あれほど無気力だった絢子が見せた恐ろしく前向きな気持ちに、何となくではあるが、引き込まれるものを感じた。

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