第3話 秘密の場所

漁師の勝に腕を掴まれたまま、絢子は夜の街へと引きずり出された。

漁師相手のスナックがひしめく、別名「ひっかけ小径」と呼ばれる狭い路地にたどり着くと、その真ん中にある「ペシャワール」というスナックに入った。

頑丈そうなドアを、ギイギイと音を立てながら開けると、花柄の壁紙に覆われ、年季の入ったシャンデリアが飾られた、いかにも昭和の香りがするスナック、という感じの店であった。


「な、何なのここ。すごく汚そうなお店・・」


「お好み焼き食べたあと、俺はいつもここでもう一杯ひっかけて帰るんだ。おーいママ、勝だよ。飲みに来たぞ、一体どこに居るんだい?」


すると、カウンターの奥から、ママらしき女性が登場した。

長い茶色の髪、少し日焼けした顔、大きめの銀のピアス・・しかし目鼻立ちは綺麗に整っていて、地方の場末のスナックのママというより、どことなく都会的で、艶めかしい雰囲気が漂っていた。


「あらら、マー君、今日は無事帰ってきたの?こないだは、暴風で海も荒れて

しばらく他の漁港に身を寄せてたって聞いたけど。」


顔つきだけでなく、声も、艶があってどことなく上品な感じがする。

こんな小さな港町に似つかわしくない感じのママである。


「今日は穏やかだったな。それなりに漁獲があったんで、早めに切り上げたよ。」


勝は、たばこに火をともすと、笑いながら話した。


「毎日こんな感じならいいんだけどさ。一度荒れだすと、しばらくはお手上げだよ。」


そういうと、勝は絢子にもたばこを勧めた。


「絢ネエも、1本どう?緊張しないで、こちらはちひろママ。大丈夫、いい人だから、緊張しないで。」


「あ、ありがと・・。」


「よろしくね、ちひろといいます。」

ちひろは、ニコッと笑って絢子に名刺を手渡した。


ずっと街中を引きずり歩かされ、怪しげなスナックに連れ込まれ、気分が滅入っている絢子であったが、勝からもらったたばこに火をともした。


「そのヒト、誰?マー君のこれ?」

ちひろはニッコリ笑いながら、小指を立てて勝に問いかけた。


「ううん、まだ付き合っていないけど、これからお付き合いを始めるつもりだよ。」

勝からの言葉を聞いて、絢子は背筋が凍り付いた。


「や、やめてよ・・私、あんたと付き合って欲しいって何時言った?冗談はやめてよ!」


「でも、お姉さん、マー君とお似合いのカップルだよ。私から見ると、バランスも悪くないしさ。マー君、いいヒト、みつけたね。これで私から少しは気が離れるかな?」


「ガハハハハ。そうでしょ?でもママも好きだよ。彼女が出来たからって、突き放したりしないでね。」


そういうと、勝はちひろの肩に手をかけ、体を抱き寄せようとした。


「んもう、マー君、しょうがないわね。」


ちひろは仕方なさそうな顔をしつつも、勝を抱き寄せ、背中をさすった。

その場面を見て、絢子はとてつもなくいたたまれない表情になった。


「私・・帰るね。お二人の邪魔しちゃったら悪いから。」


絢子は立ち上がろうとしたが、すぐさま勝が絢子の肩に手を当て、着席させた。


「絢ネエ、ダメですって。俺、まだ絢ネエに大事なことを何も話してないじゃないですか。」


「大事って何?あんたには、こんなきれいなママがいるじゃない?私みたいなスレた小汚い女と付き合うより、ママのこと大事にしてあげて。じゃあね。」


「大事な話なんです!俺が・・俺が今、一番必要としているのは、他ならぬ、絢ネエなんですよ!」


「はあ?それならば、なんでママと抱き合っていちゃついてるのよ。大事な人を目の前にして。」


勝はちひろと目を合わせると、少し視線を落とし、訥々と語りだした。


「絢ネエ・・1つだけ、どうしてもお願いしたいことがあるんですよ。」


「お願いって?私とのお付き合いとかなら、NGだけど。」


「・・絢ネエはまだここに来たばかりだから、知らないかもしれないけど、この町の夏の伝統行事として、港から少し離れた神楽島へ往復する「いかだ競争」があるんですよ。」


「い、いかだ?」


「俺、小さい頃から親とか親戚とか、子ども会の仲間とかと一緒にずっと出場していて、今は同じ船の仲間と一緒に出場してるんです。でも、今年は、ヤバいんですよ。チームのメンバーがいなくなってさ・・。」


何か余韻を残すような口ぶりで語り終えると、勝はちひろの顔を見つめた。

するとちひろは、少し顔をそむけたが、気を取り直し、語りだした。


「うちの亡くなった旦那がね、この大会に毎年出てたのよ。旦那も海の男でね。この大会に毎年参加するのが何よりもの楽しみで、大会が近くなると、いかだ作りや漕ぐ練習で漁も手が付かなくなるほどだったの。同じ船仲間でチームを組んで出ていたんだけど・・・去年、仕事で海に出て行ったら、波にのまれて転落して、もう帰れない身になってしまったから・・。」


ちひろはハンカチを取り出すと、目頭を押さえた。

勝はちひろを抱き寄せると、絢子の顔を見つめながら再び語りだした。


「でもさ、代わりの漕ぎ手を探しても、ここは田舎町だからさ・・若い人が少ないし、見つかっても他のチームに入っていたりして。で、この街で本当に久しぶりに見かけた若い人・・そう、絢ネエ、あんただよ。ぜひ、あんたに、ママの旦那の代わりをお願いしたいと思って。」


「・・・わ、わ、私が?若い人?もう30歳越えてるんですけど。それに、いかだの漕ぎ手?ちょっと、冗談で言ってるの?」


「そうですよ。絢ネエですよ。他の誰でもありませんよ。」


胸にくるような情熱的な言葉で、勝が絢子に近寄ってきた。


「頼みます、本当に絢ネエだけが頼りなんですよ。お願いしますっ!」

絢子はしばらく腕を組んで考えをめぐらせたが、


「ここで即答は出来ない。ごめんね、気持ちはありがたいけどさ・・。」


「じゃあ、いつまで返答してくれるんですか?」


「いつって・・まあ、いつか、かな。」


「そんな曖昧な答えじゃ困るんスよ。今週中には返事してください!」


「え?今週中って、あと3日しかないじゃん。」


「そうですよ。こっちは急いでるんですよ。大会まであと2か月切ってるんです。頼みますよ!」


急かすように答えを求める勝だが、絢子は落ち着き払って、


「あのね。それが人にお願いする態度なの?私は協力する立場でしょ?どうするか、いつ決めるかは、この私に決定権があるの。余計なこと言うなら、最初から協力しないからね。」


頑強な絢子に対し、勝も諦めたのか、肩を落とし、しかし目はじっと絢子を凝視しながら


「わかりました。じゃあもう少し待ちましょう。いい答え、待ってますよ。あ、それから、話は変わりますけど、さっき慎太郎との「賭け」に勝ったんで、その分の良い思いはしっかりさせていただきますよ。」


と言い、ニッコリとほほ笑んだ。


「あ・・ああ、そうだったよね。で、何よ?何がお望み?」


すると勝は、片腕で絢子の肩を引き寄せ、


「ママ、カラオケするよ。絢ネエとのデュエット!一曲、歌いま~す。」


絢子は冷や汗が出たが、カラオケのデュエットで勝の気が済むならば、と思い、マイクを持ち、何曲かを勝と一緒に唄った。

歌っている最中、勝は絢子の肩や腰に手を回し、何度も撫でまわした。


「ハハハ、良い体してるなあ、いい女だよ絢ネエは。きっとモテますよね。男を切らしたことがないんじゃないの?」


「ははは・・男を切らしたこと・・?そんな軽薄に見えるかな?」


「冗談ですよ、冗談!あ、ママ、今度はママが唄ってよ。俺と絢ネエはダンス踊るから。」


そういうと、勝は立ち上がり、絢子を隣に立たせ、手を腰のあたりに回して、ちひろの歌に合わせて踊り始めた。

絢子の気持ちは爆発寸前だったが、初めて入った店で醜態を見せてはまずいと思ったのか、何とかこらえていた。

それに、勝は、ちひろ思いの心の優しい誠実な男だから、絢子の気持ちもきっとわかってくれるはず・・そう信じて、ひたすら耐え抜いた。

しかし、ダンスが終わって勝の口から出た言葉に、絢子は絶句した。


「じゃあ、気分が盛り上がった所で、今日は撤収するね、ママ。あ、それから、絢ネエとはこれから、楽しい一夜をホテルで過ごそうと思うから、タクシー呼んでね。」


絢子の抑えていた気持ちが、とうとう破裂した。


「いい加減にしてよ!結局はカラダが目的なんでしょ!」


と言い放ち、思い切り勝の頬を平手打ちし、膝裏を後ろから蹴り上げると、ドアを開けてそのまま逃げるように出て行った。


「ちょ、ちょっと待ってよお~・・ここからが本題なのに。」


勝は蹴られた衝撃でしばらく立ち上がれなかったが、やっと椅子につかまり、店のドアを開けた時、絢子の姿はもはやどこにも無かった。

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