第2話 寂しい夜は更けて

港町・今浦に夕闇が迫ると、家々に明かりが灯り始める。

その中でも、盛り場である「明神通り」は、仕事を終えて繰り出した人たちで賑やかになる。

その一角にあるのが、お好み焼きの店「えびす亭」。

マスターの飯塚正吾が十分に下ごしらえした具沢山のお好み焼きが評判を呼び、週末になると漁から帰ってきた男たちがビール片手に巨大サイズのお好み焼きを平らげている。

観光で他所からやってきた人達は、その姿を見て次第にいたたまれなくなり、そそくさと退散してしまう。

しかし、絢子はこの町にやってきて以来、ずっとこの店に足しげく通っている。


「こんばんは~マスター!また食べに来たよお。」


「お、絢ネエが来たなあ。席1つ空けてくれや。」


マスターは、カウンターの客に、絢子のための席を空けるよう伝えると、かしこまったように客の1人が、椅子から降りて、座敷席にと移っていった。


「悪いねえ、アハハハハ。マスター、今日もミックス1枚お願いね。あと、レモンサワーの大サイズも1杯ね。」


張りのある大声で、絢子はマスターに注文を伝えた。

えびす亭に居る時の絢子は、叔母宅にいる時の無気力な絢子ではない。

ひたすら酒を飲み続け、その後、店名物の大きなお好み焼きを豪快に食べつくす。

その時、真っ黒な顔をしたいかつい体の2人組の男たちが入ってきた。


「ちーっす、マスター、今日も来たよ!いや~今日は直射日光がきつくて、船の上に居るとやけどしそうだったわ。」


「あはは、今日は暑かっただろうね。ビール冷えてるよ。あ、そうそう、今日も絢ネエ来てるよ。絢ネエに会いに来たんだろ?」


マスターがそういうと、2人は照れ臭そうに笑った。


「慎太郎と・・勝かな?ちょうど飲み始めたところだよ。ささ、ここに座って座って!」

この店の常連で、漁師をしている慎太郎と勝は、絢子の飲み仲間である。


「わ~、絢ネエの隣に座れるなんて、今日はラッキーだなあ。絢ネエ、今日もきれいだねえ。それに、いい香りがする~・・こんな田舎じゃ、いい香水つけた女居ねえもんなあ。」


勝は、マスターから渡された大ジョッキのビールを飲みながら、絢子の肩に触り、犬のように鼻を近づけて臭いをクンクンと嗅いだ。


「ちょっと、ふざけないでよ!」

絢子は、睨みつけながら勝の手をつかむと、勢いよく振りほどいた。


「あはは・・絢ネエ、さすがですね。敵わねえや。」


すると、ジョッキのビールを一気に飲み干した慎太郎が、にやりと笑いながら、勝の耳元でゴニョゴニョと話し出した。


「今日はいよいよ、勝負するぞ。いいな。」


勝はそれを聞いて、何やらニヤリと微笑んだ。

「ああ、いいよ。・・ただし、俺、絶対負けねえからな。」


そして、慎太郎がその場で立ち上がり、勝を指さしながら問いかけた。


「おい勝、今日、俺と賭けをしねえか?」


「賭け?何をだい?」


「俺と勝で勝負して、勝った方が絢ネエを独占できる。お持ち帰りもOKってことで、どうだい?」


「おお、面白れえなあ。グッドアイデアだな。」


「な、なによそれ、ちょっとふざけないでよ!私、今日、帰る。こんなふざけた賭け、受け入れられないわよ!」

絢子は驚き、金切り声を上げてレモンサワーの入ったジョッキをテーブルに叩きつけた。


「絢ネエ。ムリだよ、あの二人の顔、見てごらん、いつになく本気モードだぞ。もうこうなったら、だれにも止められないな。」


マスターも二人を見ると、半ば諦め顔で、無理といわんばかりに手を横に振った。


「マスター、大ジョッキ2杯ね。俺と勝で、ジョッキ早飲み対決するから。」


「ちょ、ちょっとマスター、止めてよ!まさか、あの2人の言ってることを真に受けてるの?からかってるだけでしょ?ねえ、ちょっと!」


しかしマスターは絢子の言葉を無視するかのようにジョッキにビールを注ぎ込み、2人に手渡した。


「ははは、マスター、分かってるよな。俺たちの気持ちが。高校時代から20年近くの付き合いはダテじゃないな。」


慎太郎が大笑いしながらジョッキを持ちあげると、勝もジョッキを持ちあげ、戦闘態勢に入った。


「マスター!号令お願いね。あとは、ジャッジもお願い。」


マスターは頷くと、お好み焼きを焼くコテを二人の間に差し出し、その腕が上がると、二人は一気にビールを飲み干した。


「あ~・・・同時かな?引き分けだな。」


マスターは残念そうに、結果を告げた。


「え?そうなの?俺の方が早かったと思うんだけど。」勝は少し悔しそうだった。


「じゃあ、腕相撲で決着だ!いくぞ勝!俺は腕相撲なら、ぜったいコイツに勝てるからな。」

慎太郎はそういうと、長袖シャツの袖をまくり上げた。

腕には、ガッツリと蒼色の龍の刺青が入っている。

普通の人間なら、これだけで気がめいってしまうものだが、勝も負けていない。

腕まくりすると、黒色の唐草模様の刺青が姿を現した。

いつもは強気の絢子も、二人の刺青を目にして、ちょっと怖気づいてしまった。


「マスターごめん、また号令とジャッジも頼むわ。」


慎太郎は勝と腕を絡めると、マスターの方を振り向いた。

マスターはコテを調理台に置いて、二人の手の上に手を添えて号令を発した。


「レディ、ゴー!」


二人の男の熱い戦いが始まった。

店中に響き渡る唸り声をあげて、二人は腕を押し合った。

ただでさえいかつい顔が、力が入るあまり不動明王のような顔になり、絢子もマスターもしばらくは声を出せず、そっと傍から様子を見守るしかなかった。

1分近くかかっただろうか。最後には勝が、慎太郎の腕をテーブルに押し付けた。


「やった~!絢ネエ、ゲットだぜ!」


勝はガッツポーズをしながら大喜びし、その後、絢子の方を見てニヤリと笑った。


「絢ネエ、食べ終わったら、俺と二軒目一緒に行かねえか?約束通り、今夜は俺と二人きりで夜を過ごしましょう!」


絢子は震え上がり、身を引きながら


「い、嫌だ。何よその下心丸出しの笑顔は?」


「だって、約束でしょ?や、く、そ、く。さ、一緒に行きましょう。マスター、俺と絢ネエの食事代は、ここにいる慎太郎が払いますから。それじゃ!」


勝負に敗れ、頭を拉げて落ち込む慎太郎の頭をなでながら、勝は立ち上がり、絢子の腕を引っ張って、店を出ようとした。


「嫌だ、嫌だよ!何なのよあんたたち。いつものように一緒に楽しく馬鹿話しながら飲むんじゃなかったの?今日に限って私を賭けて勝負だなんて。」


「いつかはやろうと思ってたんですよ。でも、会ってすぐにやるのはさすがに可哀想だと思ってたからね。もっと親しくなってからやろうと思ってね。で、いつかは絶対やろうと思ってたことを、今日、ついに実行した。ただそれだけですよ。」


そういうと、勝は絢子の腕をつかみ、物凄い腕力でひっぱり、絢子を椅子から引きずり降ろした。


「マスター、これって犯罪よ!レイプじゃないの?マスター!ちょっと、止めてよ!止めてったら!」


しかし、マスターは

「いってらっしゃい。お二人とも楽しんできてよ。」

と言うと、にこやかに手を振った。


「ちょ、ちょっと・・楽しんでって、私は全然楽しくないわよ!」


「マスターありがとう。今夜は絢ネエと精一杯楽しい夜を過ごしますよ。」

勝はマスターを見て親指を立て、ニッコリ微笑むと、絢子の腕をつかみ、店の外へと出た。


カウンターには、勝負に負け、下を向いたままちびちびとビールを飲む慎太郎だけが、ポツンと取り残された。


「マスター・・今夜の勘定、3人分合わせていくらになります?」


「15,000円かな?絢ネエ、ずいぶんお好み焼き食べてたからね。」


「マジ・・・かよ??」

金額を聞いて、下を向いていた慎太郎は、ショックのあまり姿勢を崩し、そのまま顔面をカウンターに頭を打ち付けてしまった。

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