第8話 夜道

 拓郎は口の端を上げて近づいてきた。

「なにも来なくてよかったんですよ」

 昼間とは違い、声のトーンを少し落として話す。


 ここは昼間来た黒天商店街。閉店作業を黙々とこなしている居酒屋の店員を横目に、一華は腕時計を見た。

 午前2時半。

 こんな時間に拓郎が来るとは思っていなかった。助手の小林君は、来そうにないので、一人で実験を行う気だったので、

「人手があるのはありがたいけれど、」

 と苦笑いを浮かべる。

「どうせ、気になって寝むれないからね。それで、三時までここで待つの?」

「そのつもりですよ」

「怪しい人になっているから、缶コーヒーでもおごるよ」

 と自販機前まで移動した。

 

 拓郎は一華が居るであろうと思われたのでやってきたのだが、夜間でも止めれるパーキングに止め、歩いてやってきた。すると、黒天商店の前で腕を組んで仁王立ちしている一華を、仕事をしている人がちらちら見ているが、一華は全く関心なく立っている。その姿がおかしくて、思い出しても笑える。


「それで、昼と同じルートを帰って、どうするって?」

「いろいろ。行ってみてから考える。でも、とりあえず、歩いて、街灯の明かりで生垣の人が本当に見えないのか。物音が聞こえないのかの実験をしようと思ってる」

「物音が聞こえない実験は、一人ではできないでしょう?」

「だから、小林君に来るように言ったんだけども、来る気ないようだ」

 拓郎が苦笑いをしているところに、助手の小林君が走ってきた。

「お、お、遅くなりました」

「いや、ちょうどいい。コーヒー?」

一華の言葉にうなずく。

「危うく目覚まし消して二度寝するところでした」

 そういって小林君はコーヒーを口に含む。

「そういえば、あの後、またあのスーパーに行ったんですけど、最初に相手してくれていた寺田さんという社員の方に、よく佐藤さんは一度で来なくなりましたね。と話したら、その日のことを林田さんから聞かなかったのか? てことになって、林田さんはもう仕事が終わっていたので、寺田さんが言うには、


「クレームの内容は、本当に訳解んないことだったのよ。そりゃ、品ぞろえが悪いとか、質が悪いなら、申し訳ないけれど、店に入って目に入った商品のパッケージが派手過ぎて目が痛いっていうのよ。それだって聞いたら、チョコレートの箱。しかも板チョコの、あの長方形のよ。今までそんなクレーム聞いたことがなくて、はぁ? って思ってたら、この店は対応が悪いとか、親切じゃないとかわめく、わめく。でも、言いがかりにもほどがあるでしょ? それに、パッケージが悪いのは、メーカーのせいだからね。

 そしたら、今度は、

「いいわよ。あたしが訴えてやる。あたしの証言は警察だって信じるんだから。無罪だって、有罪にしてやるんだから。できるのよ。前にやったんだから」

 て言いだして、何の話しだか。ってみんな唖然としてたら、急に、慌てたように出て行ったのよ。

 その時寺田さんやってきたばかりで、騒ぎは何だって聞くから、話したら、追いかけて行っちゃって。知り合いだったのか解らないけど。

 で、帰ってきて、何しに出て行ったの? って聞いたら、前に別の店で同じような騒ぎをしていたのを止めたことがあって、今度うちのお店にきたら警察に連絡するって言って来たって言ったのよ。

 だから、あの人、あれきり来なくなったのよ。寺田さん、あんなにおとなしそうに見えてすごいわねって話したのよ。

 もうね、鈴ちゃんが亡くなった時には、本当に、立ち直れないんじゃないかって、後追いしそうだったのよ。そしたら、犯人の母親? ってのが来て、息子は無実だって、それで今度はいらいらして、その人に怒りぶつけて、なんかそれで生きてるって感じだったのよ。

 でも、この、二、三カ月またぐったりしてきて、あの人(犯人の母親)来なくなったみたいで、やっぱり、もう、娘のことを覚えている人は居ないんだって。落ち込んでたのよね」


 という話でした」

「何しにスーパーへ?」

「いやぁ、気になるじゃないですか、何もしていないのにクレーマーが来なくなる理由って。それに、あそこの総菜はこの界隈でも一番うまいんで、夕飯用に買いにに行っただけなんですけどね」

 助手の小林はそういってカンをゴミ箱に入れた。

「無罪を有罪にしたことがある?」一華が言う。

「以前。と言ってましたか?」拓郎が言う。

「以前というのが、いつなのか? 偽証した内容は? 佐藤さんはなぜクレーム中に慌てて帰ったのか? 林田さんが、本当に佐藤を追い出すためにだけ追いかけたのか?」

「でも、ひき逃げの偽証だとは言っていないじゃないですか」

「そう、言って無い。だから、なぜ、林田さんは佐藤を追いかけたのか。本当に、別の店でクレームを言っていたのを止めたことがあるだけかもしれない。

 いや、それはまた別にしよう。時間だ」

 一華が歩きだす。

「彼女はあの日は自転車じゃなかったんだよね?」

「清水君が乗って帰ったそうです」

「なんで?」

「暑かった。みたいですね。まぁ、彼は後で来るつもりだったんでいいだろうと思ったようですよ」

 一華は呆れたように首を振る。


 黒天商店街から南下すると、公園が見えてきた。そこは真っ暗で一人で歩くにはかなり勇気がいるような印象を受ける。

 点滅の横断歩道を走って渡り、公園の車止めのところに立つ。二本伸びているポールの頭を押さえながらその中に入る。

 公園を斜めに抜ける道の両側4か所に街灯があるが、かなり暗い。歩けないわけではないので中に入る。

 公園の中ほどまで来ると、暗い中に公衆トイレらしきものが見える。

「なるほど、想像以上に生け垣のほうは暗いね」

 その時車が通り、ヘッドライトが生垣の隙間を照らす。

「車が通れば少しは見やすくなるけど、いつ来るか解らないね」

 一華はそういって、公衆トイレのほうへ行く。そして二人を少し待たせ、歩く。

 公衆トイレの人感センサーライトが作動した。

「メジャー」

 一華の言葉に助手の小林君が鞄から巻き尺を取り出しながら近づく。

「ここから、ライトまで」

「2メートル……40センチぐらいですかね」小林君がはかる。

「一般的なものだ。ということは、この辺りに来なければ明かりはつかない。言い換えれば、一歩後ろだと点かないわけだよね? 被害者が居た場所はさらに生垣の辺り。明かりが点いていた状態で、小林君、生垣のところ、そう、どう? 先生、小林君の姿見える?」

「いやぁ、こっちが明るいんで、まぁ、見えなくもないですが、」

 一華が歩道に戻る

「確かに、何か居る気がするという感じだな。じゃぁ、小林君の所へ行って、首絞めて」

「……はぁ」

 拓郎は首をすくめて、小林君の側へ行き、その首に手をかける。


ばたばたばたばた


 小林君が手を広げて上下に動かす。

「派手に動かれると見えるね。小林君、歩道を歩いてきてくれる?」

 小林君は走って入り口まで行く。一華は生垣の間へ移動する。一華が夜を考慮して携帯で小林君に合図を送ると、沢口が歩いた方向から歩いて過ぎる。

「もう一回歩いてくれる?」

 トイレの電気が消えてから合図を送る。

 トイレの電気が消えると辺りは本当に暗くい。小林君は、「行こう」と送ってきた一華の言葉に動き出す。

 今度は、小林君の足音が聞こえてからトイレに走りこんだ。


 急に電気が付き、はっとそちらを見て立ち止まった。

「見えた?」

「いいえ、でも、電気が点いて驚きました。だから、明かりに気を取られて佐竹先生の姿は見えませんね」

「じゃぁ、今度は、反対側から来てくれる? あー、巡査はトイレの電気は点いていたと言ってた?」

「それは聞いてませんね」

「まぁ、行こうか」

 小林君が歩きだす。

 一華は生垣に沿って走る。

 トイレを過ぎてから、小林君が立ち止まると、公衆トイレの電気が消えた。そして、

「佐竹先生が見えます」と言った。

 一華は公園の向こうまで走り抜けていたと言った。


「つまり、沢口さんが公園に入ってきた時点で、犯行は行われていて、沢口さんの気配で手を離せたということは、ほんの過ごし前にのだろう。そして、公衆トイレに走りこみ、電気がついた。

 沢口さんはその明かりにこちらを見たが、明るすぎて佐藤さんは見えなかった。

 そのまま過ぎ去ったのを確認して出ようとしたら、巡査が来たので、生垣沿いを低姿勢で走った。

 公衆トイレは、巡査が来た方向からでは明かりがついているかどうか解らない。

 公衆トイレの電気が消えた途端、生垣の佐竹先生が見えた。たぶん街灯の位置だろうね。

 あとは音だけど、」

「こんばんは」

 青田が頭を掻きながら近づいてきた。


 四人は拓郎と小林君が止めている駐車場へ行き、近くのファミレスまで同行した。

 24時間営業のファミレスには、なぜだか客が居て、眠そうな店員がぼそぼそと注文を取りに来た。

「通報がありましてね」

 そう言った青田の恰好は普段のスーツではなくてラフな格好だった。有名なロックバンドのTシャツと、ジーンズで、普段はきちんとまとめている髪は洗いざらしていた。

「夜に行動するだろうなぁとは思いましたが、まさか今夜するとは、」

 青田の言葉のあとで、料理が運ばれてきた。

「真夜中に、ハンバーグ。しかも、チーズインですか?」

「晩御飯ぬきだったもので、」

 一華は一人だけチーズインハンバーグのデラックスセットを注文した。

「一応、民間人ですから、通報されるようなことは、」

「ですよねー」と小林君

「とはいえ、何かわかりましたか?」

 一華は口いっぱいにハンバーグをほおばり、おいしそうに咀嚼しながら、

「おいしいよ、食べない?」と言った。


「さっきやっていたのは、沢口さんが本当に何も見なかったか? ということです。歩道から、真っ暗い生け垣は車が通らない限り人が居るかどうか見えません。

 ただ、トイレの電気がついたので、彼女は意識的に首を向けたと思う。でも、トイレのほうが明るすぎて、明かりが届かないところで倒れている佐藤さんは見えなかったと思います。

 巡査に関しては、巡査の来た方向からは公衆トイレの明かりは点いているかどうか見えなかったようです」

「見えませんでした。ちょうど、上手の、明かり窓が光るようなデザインですけど、そこに木の葉が覆い茂っていて、トイレを抜けてやっとトイレに明かりが点いていたかどうかわかるほどです。

 巡査は自転車で移動していたと思うので、もっと早くその場に着けば、消えた瞬間、佐藤さんが倒れているのが見えるはずです」

 小林君が丁寧に図で示した。

「犯人は生垣沿いを、低姿勢で走った。小林君が佐竹先生を認識するまでの間に、公園を出て、戻ってくる余裕があったから、相手がいくら自転車でも、公園を抜けれたと思う。あとは、すぐそばの団地内に入って行けば、帰宅者だと疑わないでしょうしね」

 一華の説明に青田は頷く。

「それと、佐藤さんが以前、何らかのことで偽証したらしいですよ」

「偽証?」

「ええ、無実の人を有罪にしてやったと言っていたそうです」

 小林君が、スーパーの店員寺田から聞いた話をした。


「では、一華先生は、佐藤さんのこの偽証というのがひき逃げのことを言っているのではないか? と思っているんですね?」

「まぁ、雰囲気的に。というのもね、佐藤さんがクレーマーだとして、そのクレーム中に慌てて帰る何かを見たとする。それが、警察だとしても、そういう人たちというのは、自分を正当化するものだと思うんです。

 テレビでやってましたけどね、権力にたてついて、それを味方にしようと思って、グダグダとクレームを入れるんですけど、それが逃げるっていうのは、よほど、自分の都合の悪い人と遭ったとしか思えないんですよね」

「それが、林田さんですか?」

 小林君が眠そうな顔をしてタピオカミルクティーを飲む。

「それは、なんだ? ドリンクバーにはなかったぞ」

「タピオカミルクティーですよ。流行りの」

「……一口くれ」

 一華は小林君からそれをひったくり、それを口に入れ、むせる……むせる。

「なんか、咽喉に突撃してきた。なんだ、これ、噛むの? 飲み込むの?」

「噛むんですよ」

 一華は眉間にしわを寄せ唸った。

「うまいか? うまくないかで言えば、ミルクティーはうまい」

 と感想を言ってから、

「佐藤さんが目撃者だと、林田さんや、相田さんは知っていたんでしょうかね?」

 と聞いた。

「一度だけ新聞には載りましたが、目撃者保護でそのあとは載っていません。それに、法廷に出廷もしてません。被疑者死亡ですが、彼が犯人であるというにはどうも決め手がなかったんですよ。

 相田 良平の車のヘッドライトは無傷で直した後もない。確かにその日、彼はその道を通っていたけれど、事故のあったであろう六時よりも早く、4時に通ったと言っているんです。たぶん、その頃から風邪をひいて具合が悪かったんでしょうね。体調不良で早退していたんです。

 それを証明できればいいだけだったんですが、仕事場には早退届を出しているけれど、帰宅した時に、母親は気付かないし、近所も帰ってきた音を聞いていないんです。

 だからと言って、嘘だと決めつけることもできない。だから、その時変わったことはなかったか思い出せないかと……」

 やはり、青田刑事はあの事件にかかわっていたのだろう。唇をかみしめて俯いた。

「例えば―。

 例えばですけど。目撃者の名前を憶えていたとする。いや、名前を憶えていなくても、警察署に調書を取りに来たところを、どちらかの母親が目撃していたとする。

 そこでお互いが、被疑者の母、もしくは被害者の母と、目撃者だと認識する。

 ……でもそれじゃぁ、佐藤さんが逃げるほどのインパクトはないなぁ」

「と、言いますと?」拓郎が聞く。

「もし、自分が偽証したとする。そこで見つかって厄介な相手はどっちだ? 被害者の家族に会う方か? 被疑者の家族に会う方か?」

「被疑者、だろうね」三人は同時に言って頷いた。

「だとしたら、そこで相田母に会う。佐藤さんは逃げるように帰る。それは普通に考えてそうだろう。

 じゃぁ、あのスーパーに相田母は居たか? 彼女は亡くなっているんだよね? 

 佐藤さんが逃げたのは林田さんで間違いないと思う。そうなるとやはり、他の店で注意をしたからなのか? それとも、」

「それとも?」

「それとも、林田母は、相田母から、佐藤さんが偽証をしていたと証言を得たのかもしれない。そしてそれを問い詰めたことがあったのかもしれない。

 そう考えると、スーパーでクレーム中に林田母を見たら、面倒が起こると逃げるんじゃないかな?」

「林田さんに聞いてみます」

 青田がそう言った。


 時間は朝五時を少し過ぎ、さすが夏の夜明け、ほぼほぼ明けていて、スズメが鳴き、気の早い蝉が喉を整えるように、短く鳴く。

「今日も暑くなりそうだ。……小林君、今日は休む。君も休め。働き方改革だ」




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