第7話 道順

 図書館棟から帰るとすぐ、助手の小林君がコピーを取った記事を時系列ごとに並べて表にした。

「模造紙なんてもの、よくあったね。小学校でもないのに」

「便利なんですよ。これ一枚あれば、この上で出土品を撮影できるし、土が落ちても片付けやすいんでね」

 そういって手際よく貼っていく。


「8月3日の朝六時にひき逃げ。

 被害者 林田 鈴。19歳。

 後ろから右の腰辺りに接触、その際、打ち所が悪かったようで、衝撃で破損した骨が血管を破り、外傷無く内部出血多量で死亡。

 県外の大学に進学し、夏休みを利用して帰省中。短期アルバイトの早朝シフトへ行くところだった。

 人当たりがよく、面倒見がよく、将来は保母になるために勉強を頑張っていた。


 佐藤 由子の証言。

 早くに目が覚めて、窓を開けて涼んでいたら、どんという音がして、下を見たら、女の子が倒れていて、車から、相田 良平が出てきた。

 相田 良平とは、よく行くスーパーで感じのいい店員だと思っていたので良く知っていた。

 相田は、辺りを見てから車を走らせて逃げて行った。


 警察発表。

 被疑者として任意で事情を聴いていた相田 良平さんが、持病の発作で亡くなった。

 持病申告をされていなかったので、発作が起きたときに薬ので対応が遅れた。

 彼が犯人かどうかは捜査をしてから。


 だけど、一年間新聞を見たけど、被疑者死亡で起訴も、別の容疑者が出たとも記事はなかった。

 警察はこの事件を未解決のままにしているんだろうか?」

 一華は腕を組む。

 助手の小林君が手際よくホワイトボードにメモ書きをする。


「つくづく思うのだけど」

 拓郎が記入している小林君の後ろに立って、

「君は、よく記入場所が解るね」

「え? ああ。一華先生の癖なら把握してますから。なんせ、助手になった途端から板書担当してますから、たぶん、この五年、六年の間に先生の字を見た生徒は居ないんじゃないんでしょうかね」

 という嫌味にも動じずに一華は腕を組んで字を見つめていた。


 見つめていたわけじゃない。顔や、視線はそこにあるけれど、視点は定まっていない。ただ眼を開けてそこを見ているに過ぎない。今、一華が見ているのは、ひき逃げされたであろう道路―一般的な抜け道のような道路を、夏の早朝歩いている。後ろからどのくらいのスピードで走ってきたら、骨が折れ、それが血管に刺さって死に至るのか?―ということを再現しているのだ。


「もし、道路が広ければ、歩道があって、ぶつかることはないよね? 道は狭い?」

「そうですねぇ、線路わきの、そこの住人しか通らない道ではあるんですよね。抜け道としては、駅前へ出る道が狭くて、変な曲がり道ですからね」

 と小林君はパソコン上に道を示した。

 県道から入ってくる道は、車一台が余裕で通れるほど大きい。入り口にあるスーパーの駐車場までは広々として見晴らしがよさそうだが、地図でも解るように、道は駅の方へ行くほど狭く見える。

「たぶん、この変な曲がり角のあたりが事故現場かと思いますね。スナック摩天楼が、佐藤さんの店だと思います」

 小林君の言葉に一華が顔を上げて、彼の顔を見る。

「摩天楼?」

「らしいです」

「この辺りで、摩天楼?」

 一華は鼻で笑い、地図上で見える風景を見て、もう一度鼻で笑った。


「県道から林田 鈴さんはやってきた?」

「そうですね、駅前のコンビニで、早朝アルバイトへ行くところだったようです」

 記事の一つに、アルバイト先の店長の話しが載っていた。


「高校時代からバイトに来ていて、大学の夏休みの短期だけだが雇った。普通なら雇わないが、鈴ちゃんは働き者だし、よく知っているから、雇った。あの日は、子供のいる家庭の主婦が子供の行事で来れないから、早朝シフトに入ってもらった。もし、変更しなければと思うと悔やまれる」


 一華は記事を読み、それから目をそらすようにホワイトボードを見た。

「いやだな」

 ぼそりという言葉に、二人が首を傾げる。

「現場、この暑い中行くの、いやだなぁと思って」

 外はまだ真昼で、一番気温が上がる14時だった。日差しはブラインド越しでも強そうだと判るし、それに比例するように暑さも感じられる。冷房の中でも暑いのに、外はどれほど暑いのだろう。


「しょうがない。行くか。鈴さんの現場と沢口さんの公園」

「では―、林田 鈴さんの事故現場から行きましょうか。駅前の駐車場まで行けばその界隈ですからまだですよ」

 助手の小林君の言葉に一華は首をすくめる。


 新駅前通りは、大学の東門前の通りを南北に抜ける計画がなされている。ただ、県道以北の、旧駅前住宅地は立ち退きなどの関係で整備が遅れている。沢口が遭遇したであろう公園を右に見て左折し、旧駅前通りの道を北上してすぐの駐車場に車を止める。

 たしかに歩くよりは涼しいが、冷房が程よく効く前に到着した。

 旧駅前通りはまだ商店街として機能しており、歩道上にアーケードの屋根がある懐かしい商店街だった。

「小林君、」

「だめです。食べてたら動かなくなるでしょ」

「だが、コロッケだよ、小林君」

 助手の小林君は、「はいはい、あとでねぇ」と一華の腕を引っ張りながら歩く。拓郎は首をすくめて鼻で笑う。

 静内大学駅前の駐輪場は、不法投棄か、自転車屋か? と思われるほど自転車がたくさん止められていた。全く見に覚えのない高校のステッカーが貼られた自転車から、大学の生徒が、高校時代に使っていたであろうことが分かった。夏休みなので、真昼にこれだけここにあるのだろう。

 駅を背にして駅前の通りを見る。そこはまだ二車線(片側一車線ずつ)あり、通行している車はスムーズだ。

 その駅前から柵で仕切ったほぼ三角形の空き地がある。看板には駅を運営している会社名義で、私有地であり、安全面を考慮して立ち入り禁止の文字が見える。

 その三角地と、商店街の入り口、今はもうシャッターが下りてしまっている瀬戸物屋との間に車一台が入っていけそうな道があった。

「ここですね」

「これは、狭いな」

 拓郎が思わず言ったとおり、この道がどこへ抜けていくのか、この先がどんな道か知らないと、ここへは入らないだろうと思われる道だった。

 三人はそこを歩く。

「日傘でも暑い」

 大き目の日傘をさしているくせに。と助手の小林君が思いながら、その傘を車に入れて手渡したのは自分だ。と言いたそうな顔をしている。

 道は瀬戸物屋の角をいったん右に曲がり、二軒ほど行った先を左に曲がって線路わきに出た。

 この曲がり角が狭く、もし、対向車がきたら、抜けることなど不可能ではないだろうか? と思うような角度だった。それだから、角にカーブミラーがあったし、やってきた車は非常に遅い速度を出していた。

 線路わきの道は、県道までの間ほぼまっすぐだ。線路の境には木と、有刺鉄線でできた柵があって、住宅地らしい家々は、その線路側に高いブロック塀があった。

 見晴らしが悪いと言えば、悪いかもしれない。その先にある細い道を考えれば。だが、決して悪い道ではない。しかも、

「現場は、ここ……か」

 と言ったところに、手向けの花が置いてあった。電信柱の側にはカーブミラーが立っていた。

 そしてその向かいにあるのが「スナック摩天楼」だった。

 二階建ての、コンクリートむき出しの外壁の家だった。変形した土地に合わせて店のある所は土地いっぱいに建ててあり、右―道の奥―側は手前よりも少し奥にへこんでいる。

 へこんだ側の前には、室外機や、ビールケースなどが置かれていて、あまり見た目がいいとは言えなかった。

 昔は青かったであろう店の看板はすっかり日焼けして色が抜けている。

 通りに面したところにある窓は汚れて白く濁って中が見えない。かろうじて、その汚れの下にステンドガラスらしき色が見える。

 二階に目をやれば、確かに通りに面したところに窓があるが、それは小窓で、建物の中ほどにある。他の窓と言えば、奥まったところに窓があるだけだ。

「あそこから、見えるかね?」

「身を乗り出せば」

「……だけど、あれは階段の窓じゃないかな? 階段がどういうふうな構造か不明だけど。

 もし、身を乗り出して見えたとして、女の子が倒れているとか、誰かが出てきたとか、見えるかね?」

「一応、警察でも調べているでしょう。証言が正しいかどうかの裏付けは必要ですからね」

「だとすると、佐藤さんはちゃんと証言したことになる。

 じゃぁ、なんの真実だ?」

 一華の問いに助手の小林君は首を傾け、拓郎は建物を仰いだ。


「ここを、県道から駅の方向へ歩く。それで、車と接触しそうなほどの幅か?」

「気をつけていれば十分余裕です。そりゃ、大型のアメ車なら別でしょうけどね」

「相田 良平さんの車は?」

「白い軽自動車です」

 別の声に三人が振り返ると、青田が立っていた。

「たぶん、一華先生ならすぐに解るだろうからって、立川さんがね」

 と歩き近づく。

「ご苦労様。立川さんが寄越してくれたのなら、質問しても大丈夫だと?」

「ギリギリまでなら」

 一華は首をすくめ、佐藤の家の窓を指さした。

「あれは階段の窓?」

「ええ、踊り場です。覗き込むにはつま先立ちをすれば首辺りまで出せてこの通りを見ることは可能です」

「この辺りは事故が多いの?」

「……何故です?」

 青田が意外な質問に問い返す。

「いや、多ければ、。とあの窓へ行くだろうけど、もし、事故なんかめったに起こらない場所だとしたら、まず楽に見れる向こうの大きな窓から見ると思う。そのあとでこちらに来るかもしれない。と思っただけ」

「そういう調書は残ってないですね。としか。頻繁に事故があるかどうかは不明ですね。調べておきます」

「でも」と小林君「音の方角で覗きに行ったんじゃないですか? 窓を開けていれば解るでしょうから」

「今日のように暑い中、聞いた限りでは、節電、エコに協力して、暑い中、冷房を付けない生活をしているようには、到底思えないけど」

「あ、あぁ。そうか」

「それと新聞の記事には、早朝目が覚めて窓辺で涼んでいたら事故を目撃したと書いてあったよ。あんな涼むには不向きな窓で、涼むんだね」

 四人が窓を見上げた。


「ここはこのとおり、人を避けて通れるほどの道です。向こうのあの曲道のような細さはない。それなのに、なぜここで接触事故を起こしたと思いますか?」

「よそ見でしょうね、先の道に気を取られていたか、携帯か、他の何かか」と一華。

「相田 良平さんを任意で調べていたんでしょう? 彼がしていない。ということは考えなかったんですか?」と拓郎。

「彼は夜勤明けの帰りだったんですよ。

 相田 良平は母子家庭で、昼はスーパーで働き、夜間は道路工事の旗振りをしていたんです。寝不足と疲労でのだろう。ということで調べていたようですね」

「もうろうとして、……例えば、もうろうとして、何かにぶつかっとする。ハンドルを切って、そのまま走行しそうだけどな、ガラスが割れていなければ。あたしならね。

 ドンという衝撃を受け、はっと目を開けたとき、ブレーキを強く踏んで停まっていたとする。なぁんだ、寝ぼけて踏み込んでしまった。と思って通り過ぎそうな気がする。あたしなら」

「あり得ますが、直前に人が見えたとしたら、」

「そうね、そういうこともあるか。

 相田 良平の持病って?」

「喘息です」

「喘息?」

「ええ。ですが、申告されず、しかもその時彼は風邪をひいていて、それをこじらせ肺炎を引き起こしていたんです。夏型肺炎? というそうです。だったと思う。

 そのせいで、急激に咳き込み、呼吸困難に陥った。もちろん、措置はしたそうですが、あまりにも強く発作が出たため、」

 青田が言葉を切った。

「母子家庭でしたね? お母さんは?」

「半年前亡くなってます。彼が亡くなってから月命日には決まって、息子は無実だから、ちゃんと捜査してくれと訴えに来ていました。五年間」

「病気、ですか?」

「心筋梗塞です。路上で倒れてそのままでした」

「被害者の親御さんは?」

「事故半年後に離婚してます。その前から離婚の話し合いがされていたようですが、とりあえず、49日が済むまでということらしいという話です」

「では、一応、両親とも元気だと?」

「ええ、父親はだいぶ前から県外に居ますけどね」

「と、言うと?」

「鈴さんが生まれてすぐに女を作って出て行ったきりだったようです。すぐに離婚しなかったのは、相手の女の方も家庭持ちで、そちらも離婚がなかなか進まず、五年前になって片付いたので、離婚してくれと紙が送られてきたという話です。

 その間一度も会っていないし、鈴さんに対して興味など全くないようだと言ってました。じっさい、事故で亡くなったと言いに行ったときでも、「誰? あぁ、そう。それで?」と言ったそうです」

「薄情な」助手の小林君が言い捨てる。

「まぁ、そういうわけなので、鈴さんもほぼ母子家庭のような生活をしていたんですよ。

 二家族とも、大変苦労していたそうだが、子供たちは親思いの子に育った。というのは、関係者みな口をそろえて言いますね。

 相田 良平に関しても、そういうことをする子じゃない。というのが皆一致した意見だったようです。

 事故を起こすか、起こさないかは分からないが、起こした後で、逃げるような、ような卑怯な奴じゃない。と言い切っていたようです」

「そんな彼が、ひき逃げをしている。驚いたでしょうね」

「ええ、ですから、皆が何かの間違いだと、ちゃんと捜査しろと言っていたそうです。目撃者が居ると言ったら、どこのどいつだと、そいつに、本当にそうだったか聞きただす。という人まで現れたので、氏名公表は避けられたんですが、」

「一回だけ新聞に載った」

 青田は頷いた。

「すでに夕刊は配られた後でした。そのあとは厳重に、目撃者保護で統一されたんですがね。五年前は、いろいろと甘かったですからね、我々も。世間も」

 青田の言葉に三人は同意して頷いた。


「相田の家へ行ってみますか?」

 青田の言葉に三人は同行した。

 先ほど通った狭い角を通り抜け、いったん駅に出てから、線路を渡り、古い町並みが残る駅前の道を少し行った先にある古いアパートで止まった。

「来月取り壊されるそうです。老朽化と、拡張工事の関係もあるそうですが。

 一階の右の端、角部屋と言ってもすぐ隣のアパートが迫っているので、唯一開いている窓と言えば西北に開いた窓だけで、薄暗い部屋です。台所と、四畳半二間の部屋です。

 まぁ、母子家庭の親子が住むところといった印象を受けました。

 忙しい母親が、それでも子供のために少しでも過ごしやすくなるようにと、明るめのカーテンや、食器にしてもにぎやかなものが多かったらしいです。それが余計にその部屋の暗さを表していたとか、」

 青田の言葉に一華は頷き、辺りを見た。


 たぶん―。青田はその捜査に参加し、相田の部屋にも入ったのだろう。さも誰かから聞いた。もしくは調書を読んで来たにしては感傷的な表現が多すぎる。とはいえ、そこを指摘してもしようがないので一華は黙っていた。


「相田さんは普段どこに車を止めていたんですか? ―駐車場が見えないアパートのようなので―」

「あぁ、駐車場はその道を入ったところにある月極めです」

 道が奥へ伸び、確かに駐車場らしい看板が見える。


「それじゃぁ、今度は、沢口さんのバイト場から、家までの道をたどろうか」

「え?」と助手の小林君。

「え? とは何よ?」

「いや、家からかと思ったんですけど」

「家のほうが近い?」

「ええ、まぁ。そのつもりだったので」

「バイト先へは何分?」

「十分はかからないかと」

 一華は空を見上げて嫌そうな顔をしたが、

「行こう」

 と言った。


 駅へいったん戻り、現場検証した佐藤の家の前を過ぎ、まっすぐ、県道へ出てから、県道を南下する。公営団地群へぶつかるこの道の途中に黒天商店街が東へ向かって伸びている。

 その商店街の裏道に、沢口 由子ゆうこが勤めている居酒屋「呑み屋」がある。今はもちろん昼間なので営業をしていない。

「これからそっち―西―へ行くんだよね?」

「でしょうね」

 県道へ出てから、南下すると公園が見えてきた。道はまだまっすぐ公園団地のほうへとのびているがいったん右折する。

 言ったとおり、県道沿い側に歩道はなく、そのかわり、公園内歩道、自転車道あり、注意。という標識が立っていた。

 公園と言っても、車止めのポールが二本立った入り口、歩道のアスファルトブロックが斜めに横断して右手―県道側―には県道との仕切りのフェンス前に生け垣があり、何本か大きな木も植えてある。そこにコンクリート造りの公衆トイレがほぼ中ごろにある。

 左手―公団住宅側―は少し傾斜が付いているようで、奥へ行くほど山になっていて、唯一の遊び場のような砂場があるだけだった。

 歩道には、四か所街灯が立っていた。トイレの近くの歩道にも街灯が立っていた。

 公園出口にもポールが二本あり、外に出ると、県道へと向かう道路に出る。

 少し歩くと新駅前通りの横断歩道があり、そこを渡って、町の区画一つ分歩くと、クリーニング屋の角を曲がった2軒隣の、クリーム色の外壁、茶色い屋根のアパートに着いた。

「ここです」と、助手の小林と青田が同時に言った。

 一華は拓郎のほうを見て腕を叩いた。

「え? あぁ、二十分ほどですかね、歩くと」

 一華は頷き、歩きだした。

「どこ行くんですか?」

 と三人が追いかける。一華は無言で歩き、クリーニング店向かいにあるスーパーに入った。


 一気に冷気が体にまとわりつく。

 汗と、それを冷やす冷気が体の表面上でせめぎ合っているのが解る。

 一華が手をひらつかせる。助手の小林君が苦笑いをして店内奥へ行き、イオン系ドリンクを会計を済ませて持ってきた。

 スーパーの入り口に用意された休憩所。タクシーを待つようだったり、暑さの中の避暑地用として用意されている場所には机もあり、弁当を買ってそこで食べてもいいようになっていた。

 一気に飲み干し、一華はやっと、

「死ぬかと思った。溶ける、溶ける」

 と言った。

 三人も一気に飲み干し、安堵する。

「とりあえず、道順は解ったから、もう帰ろう。その前に」

 少しは復活したらしい一華が店内奥へと行く。

 

 青果、鮮魚売り場を素通りし、お菓子売り場を見つけてその列に入る。


「冗談じゃないわよ、何よ、あたしが悪いっていうの? このくらいしてくれてたじゃない、あの、スナックの、佐藤さん? あの人にはできて、なんであたしにはしてくれないのよ」

「ですから、あの人は」

 近所に住んでいそうな中年婦は、店員にしつこく交換しろと、商品を突き出している。だが、

「それは先ほどあなたが開けたもので、それを中身が違うからと棚に戻されるのは、」

 という、何とも変なクレームだ。

「だってこの表じゃ解らないじゃないの、何が入っているか。佐藤さんの時には、解りましたって、交換したじゃない」

 とさらに詰め寄る。

 青田が嫌そうな顔をしてその対応をしようと一歩踏み出そうとした横を一華が通り、

「あのぉ」

「何よ」

 急に話しかけらら、オバさんは眉間にしわを寄せて一華を睨む。

「佐藤さん、というのは、スナック摩天楼のママさん?」

「そ、そうよ、何よ」

「いやぁ、別の店でも、その佐藤さんのクレームがひどいって話をちょうど聞いてきたところなんですよ。そんなにひどいんですか?」

「え? ええ。自分でつぶした桃を管理不足だとかって大騒ぎしたり、」

 とおばさんが答える。

「まじかぁ。それは、だめだ……でも、もう、心配はないですよ」

「え? あぁ、この店は、一度来て、それきり来ないからね。でも、他の店がすべて入店拒否したら仕方なく来るわよ」

「……、いやぁ、彼女、殺されたんですよ。知らなかったですか? いやですねぇ。あれでしょうかね? 変なクレームいうから、いろんな人の怒りを買っていたのか、怖いですねぇ。たかだかクレームを入れただけで殺されるなんて」

 一華の言葉にオバさんは呆気にとられた顔をしたが、自分で開けた商品を店員からひったくってレジに向かうと会計を済ませて出て行った。

「あ、ありがとうございます」

「いえいえ」

 店員は寺田という名札を付けていた。

「あの人はいつもあんな感じですか?」

「時々ですかね」

 一華は嫌そうにおばさんが自転車に乗って出ていくのを見届けてから、

「なんで、佐藤さんはここに一度来て、その後来なくなったんですか? 何か対策をしたんですか?」

「いいえ、別に。私あの人を他の店で見て知っていたんです。本当に嫌なクレーマーで、とうとう、ここまで足を延ばしてきたんだと思っていたんです。

 この店は、彼女の家から数件のスーパーや店があるので、今まで被害を被ってなかったのですが、半年前にやってきたきり、別に、本当に何もしてないようですけどね」

「店長対応でしたか?」

「いいえ、パートの一人の行動です」

 と親切に答えたが、寺田は不審そうに一華を見る。

 青田と、佐竹はその隣の列に身をひそめた。たぶん、隠れていたほうがいいような気がしたのだ。

「……、それより、これ、かわいいですねぇ。やはり、こういうのがあると、子供は喜びますかね?」

 と側のポップを指さした。

「そうですね」

「何というキャラクターなんですか? 有名なんですかね?」

「いいえぇ、これは、あぁ、ちょっと待ってくださいね。林田さん、林田さん、ちょっと」

 と寺田の手招きに女性が近づいてきた。

 制服を着て、品出しをしていた手を休め近づいてきたので、軍手を外した。

「なんでしょう?」

「あぁ、この人が書いたんですよ。絵のこと聞きたいって」

 寺田はそういってその場を離れた。

「あぁ、すみません、お仕事中。このキャラクターのことを知りたくて、」

「これは……勝手に書いたものです。名前は……名前のないものです」

「うまいですねぇ。いやぁ、実は、うちの生徒がこれを書いたキーホルダーを持っていたのでね、なんのキャラクターなのかと思っていたんですよ」

 林田が首を傾げる。

「あ、あぁ。私、……名刺が、」

 というと、助手の小林が横からすっと名刺を差し出した。

「静内大学で考古学を教えているものです。

 生徒がこれのキーホルダーを持っていたので、有名なのかと思ったんですよ。かわいい絵なので」

 林田が少し会釈をし、

「大学の先生ですか。そうですか、」

 と言った。その声のトーンに違和感を感じる。

「ええ、ご存じないかもしれませんが、沢口 由子という生徒なんですよ。彼女は一生懸命で、常に前向きで、頑張り屋で、ああいう生徒がうちの大学に居ることはとても喜ばしいんですが、その頑張りとどうもそのかわいい絵がすごく、何と言いますか? 似合っているというと言いますかね、だからね、あなたそっくりね。ったら、彼女、かなり嬉しそうにしていたので。

 私は、考古学が専門ですから、土ばかり見ているので、流行りだとかには疎くて。だから、人気のあるものなのだろうなぁと。でも、ちょっとかわいいから、私も柄にもなく欲しいなぁと思ったら、ここにあったんでね、とてもかわいいですねぇ」

 そういって商品ポップに顔を近づける。

「このお菓子がおいしいと、この子が言っているようで、……この子はとてもいい子のようですね。元気で、はつらつとしていて、笑顔がいい。沢口さんそっくりですね」

「え……ええ」

「お子さん居ます? お子さんも喜ぶでしょう、これだけ絵がうまいお母さんだと。私なんかは全然ダメで、」

「居ました」

 短く、そして強く、素早く言った。

「居ました? あぁ、お嫁に?」

「いいえ、事故に遭って、」

「あ……すみません。知らなくて、」

「知らなくて当然ですよ。ええ。大丈夫です。でも、うちの子が好きだった絵なんです。娘をモデルにした絵なんです。私、この子以外は描けないんですよ。どうしても、この子になってしまうんです」

「そうですか。……お子さんは、絵の上手なお母さんが自慢だったと思いますよ。絵を描いてくれて、うれしかったと思いますよ」

 林田は深々と頭を下げてバックヤードに走りこんだ。


 スーパーを後にして、駐車場に向かう。

「青田さん、隠れてましたね、」

 助手の小林君がシートベルトをしめながら言うと、助手席に座った青田が首をすくめ、

「顔見知りだからね。無関係で居たほうがいいかと思ってね」

「なるほど。それで、一華先生? 何かわかりましたか?」

「どう、なんだろうね?」

 拓郎が聞き返したがそれ以来一華は黙った。

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