エピローグ2 最後から二番目のユキ、新しい出会い。

 小さなステージの上で、三人で歌い踊る。

 ひとりはサイドテールの女の子、クウ。もうひとりはショートカットの女の子、ウミ。

 そしてこのわたし、凜々原華りりはらはな。この三人のユニットで、「トライアース」。

 ステージから見た観客席はがらりとしていて、わずかにいる観客もどこか退屈そうにしていた。なんだか、ここにいる自分が惨めに思えてくる。

 雪花がいなくなって、学校にも居場所を失ったわたしは、この三年でアイドルを目指した。そして、事務所入りして新人ながらこうして念願のアイドルになった。だけど、いまは夢は夢のままのほうが良かったのかもしれないと、どこか感じていた。

 この白けた空気の中に、無理やり作った笑顔を振りまく。

 なんでわたし、アイドルになろうとしたんだっけ。なんでこんなただただ苦痛なことしているんだっけ。

 もしこれからもずっと売れなかったら、これからどうなるんだろう。

 楽しげな曲調とは逆に、不安がどっと押し寄せる。喉の奥から酸っぱいものが上がってくる。

 雪花が生きていれば、きっとこんなつらいこともまだましだっただろう。だけどもう、雪花も、雪花が最後にくれたものさえも、いまはもう残っていない。

 曲が終わる。ポーズを決める。気怠そうなまばらな拍手が広がる。気分が悪くなるのを耐えながら、退場までずっと耐え続ける。

 これから、なにを目的に生きていけばいいんだろう。アイドルとして活動するようになって、また考えるようになった。

 雪花のいない世界で、わたしはただひとり惨めに生き続ける。




 クウ、ウミ、わたしと続いて更衣室に入る。

 わたしはいつものように、アイドル衣装を淡々と脱いで私服に着替える。営業時は最低限に話すけど、こういうときにメンバーと世間話するようなことはない。

 クウとウミが仲良く話している。アプリゲームの話や、美味しいスイーツの話。でも一番多くを占めているのは、プロデューサーやマネージャーなど関係者への悪口だった。

「いくらなんでも、あんな言い方はないじゃないですか!」

「いやでも、ハナの動きがどんどんひどくなってたのは事実だしなあ……」

「ハナさんはその気になれば決められる人ですよ! マネージャーもウミちゃんも、それを分かってない!」

「いやでもさあ、その本気が出てないから意味ないんでしょって。問題起こす前にどうにかなってくんないかなあって……」

 聞こえよがしに、よくこういう話が出る。他人をダシに話をされるのが、本当に苦手になった。

 わたしはそそくさと私服のパーカーに着替えて、鞄を肩にかけてロッカーを閉じる。

 予想以上に手に力が入り、大きな音が出た。二人がこちらを向くのを見て、しまったと内心ヒヤリとする。

「あー……ごめん、なさい……」

 ロッカー伝いに更衣室出口へと向かおうとする。しかし、ウミはすぐさまわたしの背後のロッカーに強く手を張り、逃げ道を塞ぐようにする。

 わたしが少しだけ腰を抜かすなか、ウミが不快そうな目つきでわたしを見る。

「そういや、聞いた話なんだけどさ……」

「……なに」

「ハナが中学時代、女と付き合ってたって。レズだって聞いたんだけどさ……あれ、本当?」

 ぐいと近づいて、ウミの右手がわたしの顎を撫でる。ぞくりと、いままで避けてた感触が蘇り、視線を巡らせて逃れる先を探す。

 頬に手が滑り、顔が近くなったところで、わたしは耐えられなくなる。すぐさま、その身体を手で強引に離した。

「本当です……」

「へえ、マジなんだ?」

 見下す身長差からにやりと笑う。

 前から、ウミはどうも苦手だった。なにかとわたしに突っかかってくる感じがあって、それがいつかの自分を思い出させる。

「そういう色恋目的でアイドルになったとか? まさか、手近な誰かを取って食えればそれでいいとでも?」

 その問いに、目を伏せて首を振る。

 そんな目的はない。雪花以外にそういう好きになった相手はいないし、わたしにとって、目の先の偶像アイドルはいまもずっと雪花のままだ。

 だから、こんな小さな煽りにも負けてはいけない。誰よりも真っ直ぐで、誰よりも強かったあの子の背中を見てきた身として、そんな情けない真似は恥ずべきものだ。

 それが、「わたし」として前に進んだ、凜々原華の使命だから。

 張り詰めた気持ちに、息を吐いて顔を上げる。ぎらぎらと睨みつける目の前の彼女の瞳をまっすぐ捉え、右腕で彼女の腰を抱える。

 びくりと身が震えて手が離れたところに、左手でその顎をそっと撫でる。

「わたし、あんたらみたいなのは趣味じゃないの。少なくとも、そーいう他人のコンプレックスにかこつけて気に入らないやつ蹴落とそうとする、卑劣で幼稚な女は無理だから」

 腰を一瞬撫で付けてから、そのまま左手を下げて、とんと胸元を押して退かせる。

 ウミはプライドを傷つけられたようにわなわなと唇が震えていた。

 ちらりと、クウの方を見る。途端、怯えたように視線を外そうとするのが見えて、しまったと苦笑する。

 やっぱり、他人と上手くやっていくのは難しい。それでも、わたしはあの頃の繋がりを後悔していない。

 その痛みが、大好きだった雪花の呪いを確かめられるから。

「好きでもない相手を食ってあげるほどわたしだって優しくないし、さっき言われたとーり、本気出せばあんたらなんて当て馬にしてやれるんだから」

 軽蔑にも似た眼差しが、ウミの目つきに浮かぶ。

 そのまま、怯えるように身を退いたクウの横を通り、更衣室の扉までまっすぐ歩いた。

「ま、待てよ!」

「それじゃ、バイバイ」

 振り向かずゆるく手を振って、さっさと扉を開ける。




 港沿いの道をぼんやりと歩く。夕焼けで赤く染まる港は、とても綺麗だった。

 いままで明かしてこなかったことが明るみに出て、あんなことを言われて、あんな見られ方をして。

 実際、傷つけられていないと言ったら嘘だったりする。

「華は本当、ダメだなー……」

 歩きながら目元をぐしぐし拭って、どうにか感情を抑えようとする。

 化粧が取れてるか心配になって見回して座れる場所を探し、近場の茶色いベンチを見つけた。しかし、そこにはすでに女の子がひとり座っていて、その背中はどこかしょげているようにも見えた。

 ベンチに向かい、鞄を膝に乗せて女の子の隣に座る。女の子は紫のランドセルを抱えて、どこか遠くを見つめていた。

 いつか見たことのある顔だと思った。手鏡を取り出し、顔の化粧と紫のヘアピンを確かめてながら、そんなことを思った。

「あの」

「な、なに……?」

 女の子の目がこちらを向いていた。

「さっきからじろじろ見つめて、なんのつもりで――」

 その瞳が揺れて、きらきらと輝いた。

 思い出した。たしかこの子、前に病院で雪花のお父さんに襲われてた子だ。

 あれから三年経ってそこそこ大きくなったようにも感じるのに、その時の面影は結構残っている。おかげで、あの時以来の出会いだったのに心当たりを手繰り寄せられた。

 見たところ、いまは小学校高学年くらいか。

「あの……」

「なに?」

「あ、いやその……どこかで会ったような気がしたんですけど、たぶん気のせいですよね?」

「いや、会ったよ」

 鞄から銀のバングルを取り出して、女の子に見せる。

「それ……」

「ひさしぶり。元気にしてる?」

 このデバイスは、いまではほとんど使っていない。

 桜花さんとその繋がりの人たちがバングルの回収と妖精の討伐に動いてくれるおかげで、ここ三年での戦闘は二~三回くらいで済んでいる。本当はわたしも渡さないといけなかったのだけど、雪花との数少ない思い出の品ということで、条件つきで特別に許可をもらっている。

 その条件というのが、「絶対に臨界機能エリクシードを使わない」ということだった。

 桜花さんの話によると、いまのわたしが使っても雪花に会えず、人間にも戻れないらしい。どのみち、臆病者のわたしが使うことはないのだろうけど。

 バングルを手鏡と一緒に鞄に戻すと、女の子の手が袖に触れる。

「このままいてくれませんか?」

「いいけど……理由、聞いていい?」

「その……お父さんもお母さんも仕事で出かけてて、鍵も忘れちゃったので……」

 寂しさにかられて雪花の裾を掴んだ、いつかのわたしを思い出した。

 多分、この子の理由はそれだけじゃないんだろう。両親共働きという環境に孤独を感じているとか、そういうこともあるのかもしれない。

 女の子の指に、空いた左手を重ねる。ぴくりと、重ねられた指が揺れ動く。

「普段は家でひとりでいるの?」

「……はい。お父さんもお母さんも、結構遅いので」

「結構寂しいでしょ」

「でも、仕方のないことですから」

 ふと見回して、公衆電話を見つける。思いつきで鞄からメモ帳とボールペンとスマホを取り出して、自分の名前とスマホの携帯番号を書き写していく。

 ページを破って、女の子の袖を掴む手に渡した。

「えーと……」

「りりはらはな、っていうの。また寂しかったら、あそこの公衆電話でここにかけて、このベンチで待ってて。すぐに会いに来るから」

 女の子がメモを食い入るように見つめている。

「……いいんですか? お姉さ――はなさん、別に暇じゃないでしょ」

「まーね。バイトもあって、本業の方もあるし。それでも、誰かにとっての偶像アイドルでいたいから」

「アイドル?」

「まったく有名じゃないけど、実はアイドルやってるんだ」

 にこりと笑いかけて、

「よろしくね。えーと――」

雨宮有紀あめみやゆき、です……」

「…………」

 こんな偶然もあるものかと思った。

 一瞬だけびっくりして、言葉が詰まる。女の子――有紀――は困惑した面持ちで顔を近づける。

「どうしました?」

「いや、なんでもない……よろしくね、有紀」

 それはとても馴染みのある呼び方で、懐かしくて。口ずさむだけで、とても愛おしく思えてくる。

 いつか失われた心臓の高鳴りと熱が戻ってくる。

 わたしはかつて雪花にあげたものだった紫のヘアピンを外して、有紀の髪に留める。一瞬だけ、雪花の姿が重なったような気がした。

 なおも戸惑いを覚えていた有紀に向けて、おのずと笑みが浮かぶ。

「うん。似合ってる」

 わたしのなかに、いつか散った花がまた芽吹いていく。

 その小さな花を、次は絶対に守りきりたいと、心の中で強く願った。

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非日常にて、蠱毒の箱庭の長い今日。 ~Killing Side~ 郁崎有空 @monotan_001

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